東村山びとインタビュー(その1)
先日、島嶼部で働いていた小学校教師の友人・アベが帰ってきた。
アベとは東村山の小学校と中学校が同じだった。
やけに自意識と正義感が強いやつなのでウザイなーと小さい頃は思っていた。
でも、社会に出てからは、「真っ直ぐで熱くていいやつじゃん」と感じるから不思議だ。
アベ自身は小学校時代からあまり変わっていない(外見も)。
アベ的なものに対する僕の気持ちが変わったのだと思う。
4月から僕の隣町の小学校で働き始めたアベに「東村山を愛してる?」と聞いてみた。
するとアベは、「5年間いた島のほうが好きかも」と相変わらず正直に返してくれた。
アベが働いていた島には1回だけ行ったことがあるが、親たちと教師の距離が近く、
子どもたちも素朴さが残っているような気がした。
僕たちが通った小学校は20年前にすでに学級崩壊をしたりしていたので(僕も一因を
作ったのだけど)、教師のアベは「島はいいよ~」ということになるのかもしれない。
とはいえ、「東村山をもう一度見つめ直してみよう」ということには大いに賛同してくれた。
さすが、アベ。
ここまで話した後は、お酒が回ったこともあり、お互いの恥ずかしい過去を暴露し合うという
お決まりの幼なじみコース。
小さい頃の友だちって、なんだか安心感がある。
さんざん喧嘩したので今さら裏切られない、という感じなのだろう。
東村山生徒会 会長 大宮冬洋
東村山ツアー(その1)
生徒会会長の大宮です。東村山の魅力(あれば)を再発見する目的で、副会長の浦上くんと市内を歩き回っています。
第一回目(4月20日)は、東村山駅から徒歩5分の「ふるさと歴史館」へ。
スタートから渋すぎるぜ……。
しょぼい建物を予想していたのですが、意外にもセンスの良い黒々した建物。
ただし、館内は予想通りガラガラ。日曜日にこんなに空いてて、大丈夫?
写真を撮らせてもらおうと係の人に声をかけると、学芸員の石川さんという方が「よかったら常設展を案内しますよ」と席を立ってくれました。いい人だなあ。見学者が少ないので危機感があるのかもしれません。
東村山にはまともな歴史はない、とバカにしていたのですが、石川さんの説明によると、全国的にも重要な遺跡や歴史的建造物がけっこうあるそうです。
●下辺部遺跡(縄文土器だけでなく木や動物の骨も出土。当時の生活を知る上で貴重な遺跡)
●大和時代の官道跡(府中の武蔵国府と群馬の上野国府をつなぐ重要道路)
●鎌倉街道と久米川古戦場(上記の官道が後には鎌倉街道となり、新田義貞が鎌倉幕府と戦う際にも利用された)
●正福寺地蔵堂(都内唯一、関東地方でも三つしかない国宝建造物。ちなみにあと二つは日光の東照宮と鎌倉の円覚寺舎利殿!)
などなど。
時代ごとにわかりやすく展示してあって、説明書きも丁寧です。
歴史好きにはいい場所かもしれません。入館無料だし、空いているし。
ふるさと歴史館としては、東村山の歴史は「道」というテーマで貫けるとのことです。古くは大和政権の官道が南北に通り、現在は西武線が縦横に走る(駅が9つもある)街、東村山。
ここで副会長が疑問を発しました。
「しょせん通り道だってこと? 9つも駅があるのは、市内では遊んだり働いたりしてないってことじゃん」
うーん、確かにそんな気がする。でも、観光名所というほどのところはなくても、散歩がてら歴史を訪ねるのは悪くない暇つぶしになるんじゃないかな。
歴史館が独自に作成している「歴史のさんぽみち」(全5コース)を参考にして、今回は正福寺・かやぶき民家園・将軍塚・久米川古戦場・徳蔵寺を訪ねてみることにしました。
●正福寺地蔵堂
室町時代の1407年建立、らしいです。中には江戸時代の地蔵信仰によって、たくさんの小地蔵が奉納されているそうですが、たまにしか公開してないとのこと。建物自体はがっしりとした木造で、築600年の風格はあります。
●かやぶき民家園
江戸時代の農家を移築して公開していたようですが、9年前に放火されてしまったとのこと。門だけがボロボロになって残っていて、かなり寂しい外観でした。
●将軍塚
「トトロの森」で知られる八国山の中にあります(正確には所沢市になるのですが、強引に東村山の名所にしてしまうところがいいですね)。新田義貞が久米川の戦いの指揮を執ったという伝承があるそうです。そんなことよりも、八国山は手入れが行き届いている雑木林と山道が続き、素晴らしい散歩コースだと思いました。
●久米川古戦場
八国山のあたりは、新田義貞の鎌倉攻めだけではなく、さまざまな戦いの場所になったそうです。古戦場跡は小さな公園になっていました。副会長は「これだけ?」とつまらなそう。「この地に立って、歴史に想いを馳せるのがいいんだよ。空は変わらないんだから」と僕が歴史小説家の受け売りを言うと、「空も変わってるよ。昔より汚れているだろ」と副会長。もう、いいよ!
●徳蔵寺
江戸時代初期から続く大きなお寺(臨済宗)。寺の規模もさることながら、境内に誇らしげに貼り出してあった近隣住民地図に驚愕。諏訪町全域に及んでいます。これって全て檀家さん? だとしたら、すごい一体感だろうな……。
以上、昼食(@東村山駅近くの「MARU」。ポークカレーが旨かった!)も含めて5時間の「東村山北部ツアー」。
萩山町出身の僕たちにとっては、野口町・諏訪町という自然と歴史豊かな地域を歩くのは新鮮でした。特に、八国山と北川に挟まれた北山小学校は素晴らしい環境にあるなあと感じました。あの小学校出身だったら、もう少し東村山好きな大人になっていたかもしれません。
東村山生徒会 会長 大宮冬洋
ごあいさつ
あなたは東村山を愛していますか?
僕たちは15年以上も萩山町に住み、第三中学校時代は生徒会長と副会長まで務めました。両親は今も東村山に住んでいます。
しかし、僕たちはいまだに東村山を愛せません。
大宮は杉並区、浦上は渋谷区に住んでいて、たまに実家に帰るときは「まだ東村山に住んでんのかよ。遠いし、町全体に活気がないからつまらないんだよなあ……」と少々ブルーになります。
ど田舎だったらまだいいのです。お笑い芸人・はなわのように、「佐賀が最高!」と開き直れるから。
でも、新宿まで西武線で40分という東村山はすべてが中途半端な気がします。チェーン店だらけの繁華街にも、横のつながりの薄い住宅地にも、個性というか文化が感じられません。
東村山が生んだ国民的コメディアン・志村けん(三鷹市在住)はこんなことを言っています。
<ぼくは土が好きですから、少し前まで麻布十番のビルの谷間に住んでいたんだけど、それがいやになって、今は少し郊外に引っ越しました。庭がほしくて。東村山の土の感じが忘れられないんでしょう。今は実家には、おふくろと兄貴夫婦が住んでいて、年に二、三回帰りますけれど、もう周りはマンションだらけですね。昔は富士山が見えたけれど、今はもう見えない。(中略)東村山の東京らしくないところが好きでした。今はベッドタウンになっちゃったけれど。>(『東京人』1999年7月号)
いまの東村山はまさに「ベッドタウン=寝に帰るだけの場所」ではないでしょうか。「地価が安いのでしかたなくここに家を買ったけど、できればもっと都心に住みたい」という不満が町全体にどんより漂っているような気がします。
また、あるビジネス誌によると、東京都40市区対象の住民満足度調査では、
●東村山市は総合39位(1位は武蔵野市、40位は足立区)
項目別でも、「街並み」「地域の将来性」「継続居住意向」はそれぞれ最下位という結果でした(『プレジデント』2008年3月3日号)
つまり、かつて住んでいた人もいま住んでいる人も、東村山を愛している人が極めて少ないのです。悲しいことですよね。できれば、地元を誇りたいし愛したいのに……。
しかし、もしかすると僕たちの視野が狭いだけなのかもしれません。
高校生になったときからすでに地元に見向きもしなかったから、いい飲み屋とかも知らないし。
いままで出会わなかった素敵な店や場所、温かい人間関係などに触れることができれば、東村山の「良さ」を見直せるはずです。
月に一回ぐらいは東村山に戻り、遠足をしたり飲んだりしながら、少しずつ地元を再発見しようと思います。
その結果、「やっぱり愛せない」と感じたら、僕たちはもう東村山と縁を切ります。
30歳を過ぎ、両親も年老いてきたいまだからこそ、最後の機会だと思って「東村山生徒会」を結成します。小学校の生徒のようなまっさらな気持ちで、改めて地元・東村山を見つめ直そうという会です。
東京都東村山市に1年以上住んだことがある人、いま住んでいる人ならどなたでも参加できる会(ミクシィ上には「東村山生徒会」コミュニティがあります)です。ぜひご参加ください。
2008年4月1日
東村山生徒会 会長 大宮冬洋
副会長 浦上洋二郎