【課題】ハンカチ
【本文枚数】六枚
【人物】 七尾弥生(23)OL
橘慶佑(25)会社員
山上剛(25)橘の同僚で友人

〈深層の恋人〉

○乗用車・車内(夜)
橘慶佑(25)、ハンドルに覆い被さるようにして項垂れ、溜息を零す。
橘「俺がもっと早く告白していれば、弥生ちゃんは山上じゃなくて、俺を選んでた?」
俯いたまま応えず、膝上で藤色のハンカチを握る七尾弥生(23)。
弥生「ハンカチ返すね。本当にありがとう」
ハンカチを差し出す弥生の手をそっと押し返す橘。思い直したように、ハンカチごと弥生の手を強く握り込む。
弥生「やめっ……!」
弥生、腕を引こうとするが、橘に二の腕を掴まれ、胸に強く抱き込まれる。
弥生「さ、触らないでって、言った……」
抵抗しようと手を伸ばすが、橘のシャツを弱々しく掴むしかできない弥生。
橘「ごめん、ごめんな。離せない、弥生。……ハンカチは弥生が持っていて。俺のこと、忘れないで……」

○アパート室内
T半年後。
悲しげな表情で、山上剛(25)を見る弥生。
弥生「剛、怒ってばっかり……。何で不機嫌なのか、言ってくれなきゃ分からないよ」
無視を決め込む山上に、詰め寄るように近付く弥生。その手には、藤色のハンカチが握られている。山上、勢い良く立ち上がり、足早に玄関へ向かう。
弥生「待って! まだ話が終わってない!」
靴を履こうとする山上の腕を掴む弥生。山上、振り向きざま弥生の肩を掴み、乱暴に壁へ押し付ける。荒々しく弥生に口づけ、服を脱がす山上。抵抗する弥生の手からハンカチが落ちる。
弥生「剛! やめてっ! いやっ!」
弥生、山上の頬を叩く。ハッとなり、苦渋の表情で俯く山上。泣き出した弥生が、壁伝いに崩れ落ちる。山上、壁を強く叩き、玄関を飛び出して行く。床についた弥生の手が、ハンカチに触れる。意識せずハンカチを握り、スリップ姿のまま、裸足で駆け出す弥生。

○住宅地の路地裏(夜)
雨音に混ざって微かに聞こえる弥生の声に振り返る山上。弥生、路地の陰からよろめきながら走ってくる。駆け寄り、弥生を抱き止める山上。
山上「弥生! お前、その格好。……馬鹿っ」
びしょ濡れで抱き合う弥生と山上。

○アパート室内
ラグの上で向き合って座る弥生と山上。部屋着姿の弥生。山上、首にぶら下げていたバスタオルを外し、テーブルに置かれていたハンカチを見る。短く息を吐き、どこか清々しい表情で山上、
山上「このハンカチ、橘のだろ? 俺たちに何かあって不安定になる度、弥生はこのハンカチを手にする」
弥生「……!? そんなことないっ」
山上「たとえそれが無意識でも、お前の心の中にはまだ橘がいる。俺はずっと前からそのことに気づいてた」
穏やかな表情で弥生を見つめる山上。眉根を寄せ、山上を見上げる弥生。
山上「もう、俺を愛さなくていい」
弥生、泣き出しそうに顔を歪める。山上、弥生の頬に優しく触れ、
山上「別れよう。弥生は橘のところへ行け。あいつもお前を、忘れられないでいる」
【課題】旅
【本文枚数】五枚
【人物】 里口伊織(25)会社員
サム(25)グルメデリの店員、ポーランド系アメリカ人
水野俊介(25)伊織の同僚

〈WALL LESS〉

○ニューヨーク・エジソンホテル客室(深夜)
暗い部屋でベッドに座り、携帯で話す里口伊織(25)。
伊織「コロンビア大学の学長取材は無事に終えました。明日は撮影の後、MoMAに。……わ~かってますよ。飽くまで仕っ……」
突然、通話の切れた携帯を眺める伊織。光るディスプレイに照らされた伊織の顔がひくつき、抑え切れない不敵な笑みが浮かび上がる。

○ミッドタウン・グルメデリ店内(朝)
エッグマフィンを指差し、無言で緊張気味に注文する伊織。サム(25)が応じて、
サム「(英語)卵は半熟? 硬め? ドリンクはいらないの? スムージーがお勧め」
伊織「(詰まりながら)アイキャンノットスピークイングリッシュ」
伊織、サムに縋るような視線を向ける。
サム「ハハッ!(英語)いいよ。スムージーは俺のおごり。その代わり、君はニューヨークを思い切り楽しんで」
伊織、サムの意向を感じ取り、頭を下げる。ウインクするサム。微笑む伊織。

○ブライアントパーク・芝生内
オープンカフェの席で、向かい合って座る伊織と水野俊介(25)。
水野「あの清掃員、若くて、体格もいいのに……。やっぱり黒人だと、このニューヨークではまだまだ良い職には就き難いのかな?」
伊織「反対に、ウォール街で見かけたエリートは、圧倒的に白人が多かったよね」
伊織と水野、コーヒーを啜りながら、公園内を行き交う人々を目で追う。
水野「この後、公立図書館の取材だけど、里口は? 夜はブルーマンの舞台を見よう。チケットは二人分、既に用意してある」
伊織「さすが水野! 持つべき者は、気の利く同期。じゃあ、私はMoMAへ行くかな」

○タイムズスクエア(夕)
夕立の跡が残る劇場地区。濡れたアスファルトがネオンに輝いている。
伊織、煙草を咥え、風に消されるライターの火に焦れて、右手を翳す。煙草を炙っていると、炎に照らされた掌が視界に入り、片口で微笑む伊織。
伊織、大通りの交差点へ向かう。摩天楼を仰ぎ見た瞬間、躓いて派手に転倒。顔を赤らめ、立ち上がれない伊織。
サム「(英語)君、大丈夫か? 余所見してちゃだめだ。怪我はない? しっかり立て」
声を掛けながら、軽々と伊織を抱え上げるサム。伊織、礼を言おうと涙目の顔を上げる。服の汚れを払ってやっているサムと伊織の視線が合う。
サム「(英語)わお! 朝の君か。泣いてる?」
伊織「アイキャンノットスピーク……」
サム「ユーキャンスピークイングリッシュ。(英語)俺はサム。君の名前は?」
【課題】悲しみ
【本文枚数】四枚
【人物】 月野結衣(32)主婦
月野八尋(34)その夫
看護師

〈ありがとう、さようなら、また会おう。〉

○大倉産婦人科・診察室前
ハンカチを握り、俯いた姿勢で長椅子に座る月野結衣(32)。その前に立つ月野八尋(34)。結衣、月野に気づき顔を上げ、明るい表情を作ろうとするが、上手く笑えない。立ち上がり、足早に廊下を移動する結衣。月野、結衣の腕を掴み、引き止める。振り向いた結衣の目には涙が溜まっている。
結衣「先生が、紹介状を書くから、今すぐその病院へ行くようにって。胞状奇胎っていう異常妊娠なんだって。早く手術……」
言葉に詰まり、溢れ出した涙を隠そうと下を向く結衣。
月野「……結衣。泣いていいから」
抱き寄せようとする月野。結衣、月野の胸を震える手で弱く押す。
結衣「大丈夫。ここで泣いたりしたら、妊婦さん達がびっくりしちゃうわ。八尋、やっと授かった子なのに、本当にごめんなさい」

○急性期医療センター・病棟・個室(深夜)
結衣の個室から漏れる灯りが暗い廊下に一筋の光を射している。
ベッドの縁に座り、自身を抱き締めている結衣。扉のノック音。
看護師の声「月野さん、入るよー」
扉を開け、結衣に近づく看護師。結衣、立ち上がろうとするが、よろけて再びベッドに座る。結衣の隣に腰を下ろし、肩を抱き寄せる看護師。結衣、堪え切れず、涙を零し始める。
看護師「明日の手術、不安?」
嗚咽しながら、首を横に振る結衣。
結衣「(途切れながら)人の形にすらしてあげられなくて、まともに妊娠すらできない。この子にも、主人にも、申し訳なくて……」
看護師「胞状奇胎は原因すら分からない、誰しもがなり得るものなの。誰も悪くないのよ。自分を責めたりしないで」
力なく頷く結衣。

○全興寺・境内・地蔵尊前(朝)
とりの囀りが、時折聞こえる境内。
数体の地蔵が並ぶ前で、手を合わせる結衣と月野。
結衣「(心の声)君を妊娠できて幸せでした。もう一度、君を授かりたい。何度でも。この身が砕け散っても、君にまた必ず会いたい」
結衣、目を開け、穏やかな表情で月野を見る。笑顔で結衣の手を取る月野。
月野「そろそろ、行こうか」