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【人物】
徳永駿(19)デビュー2年目の騎手
徳永克己(36)駿の叔父
徳永駒子(41)駿の母
堂島伸二(44)調教師
内野圭太(19)駿の同期騎手
厩務員
アナウンサー
〈一流の背中〉
○栗東トレーニングセンター(冬の早朝)
数百頭の馬と人々が、道路を行き交っている。角馬場を周回する人馬の白い息が、暁に立ち込めている。鞍上の徳永駿(19)と徳永克己(36)が、馬群に混じり、並んで坂路へと進んでいく。
克己「おい、駿。さっき堂島のテキに挨拶せんかったやろ。挨拶が出来ん奴は何やってもあかん。始めにそう教えたはずやぞ」
駿「マインドブレイカーの主戦外されたんや」
克己「乗り替わりは、この世界じゃ日常茶飯事やろ。先のある馬なら尚更、実績のある乗り役が就くのは当たり前やないか」
駿「あの馬は俺が調教つけて、新馬戦を勝たせたんや。何の説明もなしに乗り替わるのは、なんぼ若手の俺でも納得できんっ!」
克己「……とにかく、ちゃんと挨拶して来い」
駿、前方を睨むと、馬に鐙で指示を出し、速歩で前の馬を追い抜いて行く。
嘶く馬を宥め、駿の背中を見送る克己。
○栗東トレセン・堂島厩舎洗い場中(朝)
厩務員に洗われている馬の脚元を熱心に見ている堂島伸二(44)。
堂島厩舎につかつかと入って来た駿が、堂島の側で立ち止まり、
駿「おはようございます!」
顎に手を当てた堂島は無視を決め込み、相変わらず馬を観察している。
僅かに片眉を引き上げた駿が、堂島と馬の間に素早く割って入る。
駿「テキ! おはようございます!」
首を伸ばし、駿を避けて馬を見る堂島。駿、堂島の眼前にグイと顔を寄せ、
駿「(大声)おはようございますっ!」
驚き、僅かに首を竦ませる堂島。
厩務員の声「はは。何や、駿、マインドブレイカーにわざわざ挨拶しに来てくれたんか」
駿、身を翻し、鼻先を寄せるマインドブレイカーを撫でる。その背後で顔を引き攣らせる堂島。笑っている厩務員。
○栗東トレセン・堂島厩舎事務所中
笑顔で事務所に入って来る克己。椅子に座った堂島が苦い顔で腕組みし、
堂島「駿、来よったぞ。生意気なやっちゃで!」
克己「すみません。向こう意気ばっかり強うて……。あいつは、まだまだ子供です」
帽子を取り、丁寧に頭を下げる克己。
堂島「期待しとる分、余計に腹が立つわ! なんぼ光るもんがあっても、克ちゃんの甥やなかったら、うちの馬には乗せてへん!」
○徳永家・居間(夕)
炬燵に入り、競馬のパトロール映像を見ている駿と克己。
駿「ほら! 馬が縒れとんのに、岩出さんが修正せんから、俺の馬が怯んで足が止った」
克己「若駒が縒れるんは想定内やろが……。実際、馬体もぶつかっとらんし、こんなもん危険騎乗の内に入らん」
不貞腐れて、リモコンを引っ掴む駿。克己、駿からリモコンを取り上げ、パトロール映像を再生する。
克己「駿、自分の騎乗姿勢を見てみろ。馬と体の間に無駄な隙間があるやろ。屋根のバランスが崩れたから、馬が走り難そうや」
不貞腐れながらも、画面を見る駿。
克己「岩出は馬が縒れても、きちんと姿勢を保っとる。このレースの勝ち負けは、騎手の技量の差や。お前が下手糞なんや」
信じられないという表情で、克己を見る駿。克己、駿を見据え、淡々と、
克己「負けを人のせいにするくらいなら、騎手なんか辞めてしまえ。まずは、まともに上体も畳めん、その硬い体を何とかせい」
徳永駒子(41)が、扉から顔を覗かせ、
駒子「克ちゃん、今晩うちでご飯食べて行くやろ? あら? お取り込み中やった?」
克己「いいや、何もない。食わせてもらう代わりに、姉ちゃんの手伝いでもしようかな」
駒子を追って、居間を出て行く克己。真剣な表情で、何度も映像を見返す駿。
○中山競馬場・パドック全景
犇めく観客。パドックを周回する人馬。
T・2013年 有馬記念(GⅠ)
○中山競馬場・騎手控室中
立ったまま、モニターを見上げる駿。映像には、馬に跨り、パドックを周回する克己の姿。内野圭太(19)が来て、駿の横に並び、モニターを見上げる。
内野「オグリノホマレ、鞍上が克己さんなら、最後に一発、あるかもしれんなぁ」
駿「嘗ては怪物でも、引退が決まるくらいや。オグリに全盛期の力はない。克己さん、ほんまはリボルバーの依頼も来てたんやで」
内野「俺ならリボルバーを選んでしまうわ……」
駿「当たり前や。それを、先に依頼をくれたのはオグリのオーナーやから言うて……」
内野「俺、克己さんのそういう所、好きや。お前はええな。あんな人の側で競馬学べて」
モニターを睨み、複雑な表情の駿。
○中山競馬場・芝ターフ中
ゲートに納まっていく人馬。ゲートが開くと同時に、沸き上がる大歓声。
内芝に殺到する馬群の中で、他馬の接触を受けたオグリノホマレが躓く。
○中山競馬場・騎手控室中
駿「あ! 危なっ!」
映像の中の克己が、すぐに態勢を立て直す。固唾を飲んで見守る駿と騎手達。
○中山競馬場・芝ターフ中
4コーナーを曲がり、直線に向くと、一斉に馬を追い始める騎手達。懸命に鞭を入れる克己が、先頭馬群に並びかける。残り10m、追いまくる騎手達の中で、克己は追う手を止める。
○中山競馬場・騎手控室中
モニターを睨む駿の顔が困惑に歪む。
駿「何でや!おっちゃん、何で追わんのや!」
○中山競馬場・芝ターフ中
克己、ゴール直前で手綱を一気に引き絞ると、手放す様に緩める。最後の1完歩でオグリノホマレが鋭く伸び、鼻先数㎝でリボルバーを差し切る。
克己、“よし”という様に、一度だけ奥歯を噛み締めると、馬にブレーキを掛け、大盛り上がりの大観衆の前を、何事もなかったかの様に行き過ぎる。
観客の声「(大合唱)オグリ!克己!オグリ!」
○中山競馬場・騎手控室中
アナウンサーの声「凄い凄い!最後の最後で怪物復活! 奇跡の立役者は徳永克己!」
内野「オグリ、勝ちよった。凄いレースや……」
茫然とする内野を置いて、駆け出す駿。
○中山競馬場・着順指定エリア中
克己、突っ立っている駿に馬上から鞭を投げて寄越す。慌てて受け取る駿。
克己、馬の首を撫でて労い、下馬すると、堂島や号泣する馬主と抱き合う。
検量室に向かう克己が、ついて来る駿に、
克己「最後、手綱の動き、見てたか?」
駿「……結果分かってて、オグリを選んだん?」
克己「んー? まあな。元があれだけの馬や。70%の出来さえあれば、乗り方次第で勝負になるとは思っとった。うまい事いったわ」
駿「……ほんまに、見事な騎乗やった」
克己「はは。走っとんのも見事なんも、馬や」
立ち止り、克己の背中を見つめる駿。