2021年の年末は、

ストマ造設の手術と、

腎臓の感染による高熱のすったもんだで、

なかなか退院出来なかったガーン



その時は、

何とか自宅でクリスマスと年明けを迎えたくて必死だったダッシュ



結局、願いむなしく病院で新年を迎えたんだけど門松




で今年、

2022年の年明けは



9月に入院して、

一時2、3日は自宅に戻れたけど、

それ以外は病院ライフ病院



私の心の中では、

諦めモード悲しい



クリスマスも年明けもお正月も、

退院出来るように、

無駄な抵抗もしなかった真顔



でも、

2022年、

こんな綺麗な初日の出を拝めたお祝い





キラキラ感動キラキラ


悪くないねルンルン

(ただの強がり泣き笑い


2021年10月の頭に、

またもや入院病院



今までの私は、

ひたすら入院に抵抗があって、

主治医の顔を見れば、

「いつ、退院できますか?」

が口グセだったニコニコ



そういえば主治医も、

この時も最初は、

「早く退院出来るといいね!

って言ってたくらい魂



でも不思議と今回は、

早々と観念してる自分がいた。



それくらい、

自分の体調の変化を実感してたもやもや



実際、入院してから9日後には、

緩和ケア病棟に移動することが決まった。



ここの病院には緩和ケア病棟があるし、

ちょうどコロナで病室も空いてたから、

すぐに移動出来たから、

私はラッキーだったグッ



そうじゃなかったら、

別の病院に転院するか、

空くまで待つかしないといけないブー



サクッと手続きはすすみ、

ベッドに寝たまま移動完了OK



私の緩和ケアライフが始まった凝視




と、

その前に思い出した電球



地獄の嘔吐があったんだった煽りオエーガーン



というのも、

そもそも今回の入院は腸が詰まったことが原因の腹痛ガーン



そこは解決してないから、

水分をとっても下から出ないので、

上から出てくるゲローオエー絶望ゲロー



出せばスッキリするけど、

その繰り返しだし、

嘔吐というのも

体力を使うし、

なかなかキツイ魂



それでも我慢して数日は耐えてた。



その改善策は、

鼻から胃へ管を入れる方法しかない。



前にも

その痛さと不快さを経験済みの身としては、

出来れば避けたいところガーン



でも嘔吐のキツさと天秤にかけたら、

鼻管を入れる数分を我慢する方がよっぽどマシ滝汗



覚悟を決めて、

鼻管を入れたおかげで、

嘔吐からは解放され、

いよいよ治療はすることがなくなったので、

緩和ケアへ移行となった。



一般的には緩和ケア=死のイメージが強いみたいで、

周りからは本当に移動していいのか心配顔だったけど、

不思議と私には抵抗感があまりなかったニコニコ



何でだろはてなマーク




でも実際、

緩和ケア病棟の方がゆったり時間が流れてる気がして、

快適に過ごさせてもらってるニコニコ



感謝、感謝飛び出すハート





【2021年 10月】

前回の救急搬送からの入院は、
約10日で退院できた病院


といっても、
体調万全の退院というより、
入院してたとしても何か治療する訳ではないから、
自宅に帰りたいなら帰ってもいいよって事チーン


そんな自宅ライフを2日後、

またもやお腹の激痛がやってきたゲッソリゲッソリゲッソリ




腸の辺りの痛みゲッソリ笑い泣き滝汗



いつもは肛門からお尻側が痛くなるので、

お腹の前側の痛みは、

腸が詰まりだした痛みなので、要注意注意




その腸閉塞に近い痛み用に“ブスコパン”という薬を処方されていた薬



それを飲んで、

とりあえず、おさまる真顔



また次の日も腸の辺りの痛みゲッソリ笑い泣き滝汗



“ブスコパン”でおさまる真顔



そして、次の日もまたもや同じ場所の痛み



プラス



今度は、

足が重だるくて、

体の身の置きどころがない感じで、

これもまた言葉じゃ表現できないけど、

我慢ならない症状に襲われたゲッソリポーン滝汗笑い泣き





いつもは歯を食いしばってるけど、

その時は

「痛い、痛い」

と声を出すのをやめられなかったガーンもやもやガーンもやもや



あの痛みの感覚は、

今までの人生で味わったことがなかったドクロ




今回ばかりは、

トイレの便器を抱え込みながら、

“もう自宅には帰ってこれないかもなぁ”

と、観念してる自分がどこかにいたブー




前回の教訓をいかして、

こんな短いスパンで救急車を呼びたくなかったけど、

そんな事をいってられる容態じゃなく、

またもや救急車のお世話に救急車




気持ちの良い秋晴れの日に、

つかの間の自宅ライフは終わり、

またもや病院へ逆戻りとなった病院




そして私の予感通り、

そこから自宅には帰ってこれず、

入院ライフが続いている病院笑い泣き






こうやってブログを書けてることに感謝照れ




というのも、今日の寝起きのこと




ダイヤグリーンいつもの朝のルーティーンダイヤグリーン



担当の看護師さんの朝の挨拶からの


カーテン開けて、


オムツパッドの交換、


点滴の交換が終わり、




仲良しの看護師が病室に来てくれて、

お喋りを楽しんで、




1人になった時のこと、



心臓がバクバク、



不安な気持ちがバーッと押し寄せてきたガーン




最近たまにあるから、

そんな時は酸素を吸って、

深呼吸をしてるとしばらくすると落ち着いてきた。



今日も、そのパターンだと思ったのに、

落ち着くどころか、

ひどくなる一方ガーンガーン



こりゃダメだと、

ナースコールガーンガーンガーン



と看護師さんが駆けつけてくれる間に、

お腹が激痛えーんガーン滝汗ゲッソリ



もうそこからは、

今まで経験した事ない痛みとの戦いブーブーブー



痛み止めを入れても良くならず、

タイミングよく出勤した緩和ケアの先生の判断で、

強い痛み止めの点滴を打ったおかげで、

痛みから解放された



らしい。



その辺の意識はないガーンガーンガーン




次に目が覚めたのは、

昼過ぎだった。



目を開けると、

旦那さんと母親がベッドの側で心配そうに座ってたタラー



そういえば、

病院から電話したって言ってたっけ!?




何はともあれ、

こうやって目が覚めて良かった照れ



意識もハッキリして、

話せるようになって本当に良かった照れ



自力で飲み物を飲めるようになって良かった照れ



もうダメかと思ったけど、

こうやって生きていられて本当に良かった照れ




まだ、あきらめないぞ!!


【2021年 9月】

この頃には、

貼り薬のフェントステープが

用量としてはかなり多くなっていたショボーン



さらには、

飲み薬の痛み止めのアブストラルでさえも、

1日の処方量の上限いっぱいまで飲んでた薬



というわけで、

前々から在宅医療の先生から説明されていたけど、

皮下注射での痛み止めに変わることになった。



イメージとしては、

手術後に硬膜外麻酔を首からぶら下げてるけど、

それとよく似ている。



同じような容器で、

ボタンを押すと薬が流れてくる。




確か1度プッシュすると、

15分位?時間を開けなくてはいけない。



でも仮にそれより前に押しちゃっても、

ロックがかかっているから、

薬は流れないようになってるから安心照れ



これだとアブストラル錠より1日の制限がないので、

痛みを我慢しなくてもいいし、

そのうち口から薬を飲むことが出来なくなることを予想して、

変えることになった。



でも、多分、

これが私には合わなかった気がするガーン



副作用なのか、

とにかく気持ち悪いゲロー



嘔吐というんじゃない、

胃がムカムカ?

何だろ?



言葉じゃ、表現できない気持ち悪さタラータラータラー



食事もほとんど食べれなくなったガーン



といって効き目としても、

何回プッシュしてもイマイチ痛みが和らぐ実感が少ないのに、

気持ち悪さだけは一丁前だったえー



結局、

入院中に皮下注射から点滴の痛み止めに変えてもらい、

気持ち悪さと痛みからは解放された笑い泣き




この頃の体は、

ジェットコースターのように急降下だったなぁブーブーブー