2017年 9月に子宮頸がんの宣告を受けて、
その時には、
ステージ1bか2aだった。
それが手術後の病理検査の結果で、
放射線と抗がん剤治療をしなくてはいけなくなり、
抗がん剤の1クールで入院中に、
肺に転移してることが分かった
もうその時点でステージは1bでも2aでもないのか、
ステージは最初に決められたら、
ずっとそのままなのか分からない
でも、別にステージがどっちだったとしても、
何かが変わるわけでもないし、
気にしなかった
それが、
転移した肺の腫瘍をとる手術をしても、
モグラ叩きのように後から後から肺に腫瘍ができて、
ついに手術適用外になった
とそうこうしてるうちに、
今度は腹膜播種になり、
ついには肝臓にも怪しいのがうつってるらしい
そうなると、
ステージは4なの
でも結局、
手術は適用外だし、
私は抗がん剤治療はしないと決めて無治療だから、
そこをハッキリさせたからといって、
何かが変わるわけでもない。
実際、緩和ケアに入院するってそういうことだ。
入院する前にも、
『血液検査やCT検査などの治療行為はしなくて、痛みを和らげてQOLを上げるだけになりますが、よろしいですか?』
と確認されている。
もちろん了承済み
ただそれでも気になってしまうのが、
“余命”
こればっかりは誰にも分からないといえば分からないんだけど…
というのも、
気になりだしたきっかけが、
私のストマが必要ないのに手術した問題で、
外科部長との医師の話し合いの時のことだ。
開口一番、
『○○さんは、今の自分の体の状態をどこまで主治医から聞いてますか?
その…余命とか…』
と何ともデリカシーのない発言をいきなりくらった
それまで私の婦人科の主治医からは、
余命については何も聞かされてなかった。
(それが良いか悪いかは別として)
でも正直な先生だから、
言葉の節々や表情で何となく察してしまったけど、
私も明確な数字を聞きたいわけじゃなかったし、
2人の暗黙の了解みたいなとこだった。
それを外科部長がズカズカと踏み荒らしていった
でもそうなると気になってしまうのが、
人のさが。
ただ私の性格上、
もし“1年です”なんて言われたら、
“そんなわけないない私はもっと生きるぞー”
なんて強くはいられない
ビクビク1年を過ごしてしまいそう
なので、
私は余命宣告は聞かないと決めている
(これは、人それぞれの意見や考えがあって、正しい、正しくないと決められることじゃないので、私一個人の考えです。)
そう思うと、
余命宣告を聞いて、
それを受け入れて生きている人を心から尊敬してしまう
私はそこまで強くなれないけど、
でも諦めない気持ちで毎日過ごしてる姿で、
1人でも周りの人を勇気づけられたら、
嬉しい
【2021年 9月】
介護ベッドで、
1日の大半を過ごしていたある日のこと。
強い痛みに襲われた
いつもはレスキューのアブストラルを飲めば、
痛みが治まるのに、
その日は何ともならない
アブストラルは、
2時間は空けなくちゃいけないし、
そもそも痛みの種類が違う
明らかに、
覚えのある腸閉塞の痛みだった
トイレにこもって、
強い嘔吐と冷や汗、
というより脂汗
『間違いない』
でも、そんな緊急事態でも私の脳裏に浮かんだのは、
“これで病院へ行ったら、もう帰ってこれないかも”
“このままジッとしてたら、痛みが和らぐかも”
と、あらぬ期待をしていた。
それに時刻ももう確か夜の21時か22時で、
救急外来しかやってない時間帯
「どうせ行っても痛み止めの点滴を打つだけだから、
家で様子見るよ」
とやせ我慢にも程があるセリフを吐いていた
でももちろん腸閉塞がジッとしていて良くなる訳もなく、
時間とともに、
吐く回数が増え、
痛みも強くなり、
トイレの便器を抱えて動けなくなり、
観念した
でも人間って、
こんなに痛みに支配されてる脳みそでも、
案外どこか冷静に考えてる部分もある。
私の家は、
大体小学生くらいのお子さんがいるファミリー世帯が住んでる住宅街だ
私には子供がいないから、
近所付き合いとは程遠いが、
どこにでも噂好きのお喋り奥さんはいるもんだ
それが間が悪いことに、
家の斜め前
何度、窓から事の成り行きを覗いてる奥さんの姿を見たことか
まさに
『家政婦はみた』
脂汗をかきながらも、
また救急車で運ばれると、
『こんな時間にどーした、どーした』
って思われるなぁ、
『病気なのがバレちゃうなぁ、嫌だなぁ』
ってボンヤリ考えてる自分もどこかにいた
(今って、サイレンを消して来てもらうって出来ないみたい。前は頼めば、やってくれるって聞いた気がするけど…)
なのでまずは、
訪問看護師から、
「何かあったら、いつでもいいので電話してください」
と言われていたので、
ひとまずそちらに電話した
夜間担当の看護師さんが30分後くらいに到着
私の様子を見て、
こりゃ、イカンと、
在宅医療の先生に電話してくれて、
診察に来てくれることになり、
またそっから1時間以上後に到着
でももう先生が到着した時には、
選択の余地はなく、
自力で動けず、
痛みの限界に来てたので、
迷うことなく、
救急車を呼ぶことになった
さらにさらに、
総合病院に着いても、
熱が37.5度以上あったので、
いくら
『ガン患者で腫瘍熱もあるし、腸閉塞の痛みです』
と訴えても、
PCR検査を受けて、
結果が陰性じゃないと病院の中に入れない
病室のベッドに落ち着いて寝れるまでに、
どれだけ時間がかかったことか
やせ我慢せずに、
サクッと初めから救急車を呼べば良かったと、
心から後悔した
【2021年】
無治療での自宅療養生活
薬は、
飲み薬のカロナールも1日の摂取量の上限いっぱい
さらにレスキューとして、
飲み薬でアブストラル
貼り薬は、フェントステープ
どれも、日増しに量が増えていった
それと共に、
活動量が減っていき、
ほとんどの時間をソファでテレビを見るか、
YouTube三昧になっていった
キッチンにたって料理を作ることもしんどくなり、
お出かけどころか、
月に1度の緩和ケア外来と婦人科と泌尿器科の通院も辛くなっていった
それも緩和ケアと婦人科は同じ日だったから、
通院は月に2日だけで良かったけど、
それもキツくなっていった
そんな時、
何の話の流れだったか、
婦人科の主治医から在宅医療もそろそろ考えてもいいんじゃないか?と言われ、
早速詳しく話を聞いてみることにした。
そこで話はサクサク進み、
まずは介護ベッドが届き、
確か数日後には訪問看護師さんやケアマネジャーさんが決まった。
そうなるともう今までの病院には通院はせず、
連携している訪問看護の専門の病院が診察することになる。
それも自宅に来てくれるから、
本当に助かる
週に1回、大体1時間もかからないくらいかな。
正直、医者は若先生で、
少〜し頼りない感じだったけど、
とにかく穏やかで優しかった
まだその時は診察といっても、
検温、血圧を測って、
後はお喋りするくらいだったから、
問題なかった
訪問看護の方はというと、
2021年8月からお願いして、
最初は週2回で、
シャワーとストマの交換の介助をしてもらってた。
でもまだ自力で動けたから、
介助といっても、
横にいてついてくれてるだけって感じ。
それが9月の頭には週3回に増えた
時間は1時間で、
確か月に2日は料金を払うと延長してもらえる。
私は最終的に、
シャワー介助とストマ交換と、
さらには腎ろうのガーゼ交換があったから、
1時間では全部は無理だから、
よく延長してもらってた
でも9月23日には救急車で運ばれて入院したから、
在宅医療をお願いしたのは、
結局、少しの期間だったなぁ
でも私の担当だった訪問看護師さんは、
明るくてテキパキしてて、
気が利いて、
優しくて、
人見知りな私もすぐに打ち解けれて、
すごく感謝してる
ちゃんと挨拶も出来ないまま、
病院へ逆戻りしちゃったから、
私の目標の1つは、
退院して元気な顔でお礼を言うこと
待っててね