2024.05.03 知立まつり(壱)西町出発~集結する山車 | 明るい朝の『お散歩日記』

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GW後半5/3は愛知県知立市の

『知立まつり』に行ってきました。

 

 

知立まつり(大祭)

本楽

 

知立まつりは、知立神社の祭礼です。

二層の大型の山車が曳き出され、

山車文楽やからくりが披露される『大祭』と

一層の花車が曳き出される『間祭』が

毎年交互に行われます。

 

コロナの影響もあり、

六年ぶりの大祭になりました。

 

なお、

今の知立神社があるあたりは

江戸時代は刈谷藩領でした。

このため、

お隣の刈谷市にある

市原稲荷神社の祭礼とは

隔年で交互に山車曳きを

行っていたといいます。

 

間祭の年は刈谷で

山車が曳かれていました。

 

 

西町山車蔵

山車の出発前

西町の山車蔵に到着。

 

 

西町の山車

山車は蔵の中

 

 

出発式が始まりました。

 

 

山車に供物を捧げます。

 

 

蔵出し〜曳き出しの動画になります。

 

 

 

 

知立神社の参道の坂を上ります。

お宮とは反対方向に向かいます。

 

 

参道から旧東海道に入る曲がり角

旧東海道の枡形の曲がり角

連続する曲がり角で

山車を担ぎ上げて進みます。

 

その度に流れる『神舞』の御囃子

これぞ『知立まつり』って感じです。

 

 

名鉄の知立駅方面に進みます。

駅の建て替え、および駅前再開発で

一変した景色の中を進みます。

 

 

担ぎ上げないときは

風流な御囃子を演奏しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名鉄名古屋本線 知立駅

 

 

先着の本町が西町を出迎えます。

 

 

本町の山車

 

 

本町の楫方が並びます。

 

 

西町と本町の山車

 

 

本町の山車があるにも係らず、

駅前のロータリーからバスが出てきました。

 

 

ギリギリでバスが出ます。

 

 

本町の山車

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中新町の山車

先着の中新町

 

 

宝町の山車

こちらも先着

 

宝町の山車は

矢作町一区(東之切組)の山車でした。

 

大正12年6月1日、

名古屋鉄道の前身である愛知電気鉄道が開通。

町内の八劔社から矢作神社に

山車を巡行することができなくなり、

山車は碧海郡刈谷町泉田中組へ売却されました。
その後、昭和22年に宝町に売却されました。

 

後楫や胴山の高欄など

知立型山車の特徴を備えていますが、

前山の縦横比、上山の六本柱など

矢作の山車に近い形をしており、

矢作の山車に知立山車の台輪を

ドッキングした山車になります。

 

刈谷の山車には胴山の高欄がないですが、

ほぼ知立の山車と同型。

どちら時代に改造されたのでしょうか?

 

 

よく見ると

前山が前傾しているように見えます。

 

 

上山高欄に対して

前山の屋根が平行ではありません。

 

 

 

 

胴山の高欄に対して

前山の壇箱が平行ではありません。

 

明らかに傾いています。

矢作の山車に無理やり

知立山車の台輪と高欄をドッキングし

前山が付かなくなったので、

傾けたものと思われます。

 

 

特徴的な後楫

 

 

壇箱は矢作の山車にそっくり。

矢作一区の山車の彫刻は

瀬川治助重光作だったそうですが、

当時のものなのでしょうか。

 

 

前山の屋根付近の彫刻も

知立型より豪華

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四輌の山車が並びました。

知立の山車は五輌ですが…

 

 

山町の山車

 

他の四輌の山車は西から

知立駅に向かいますが、

山町だけが東から来ます。

 

このため、山町の山車は

車列に加わりません。

 

 

方向転換して、東に戻ります。

 

 

残りの四輌も順次出発し、

東へ向かいます。

 

 

集合し東に向かって出発する山車。

山車の動きを把握していなかったため、

山町の山車だけ動画に入っていません。

 

 

 

続きます。

次は町の東側にある山町に集合した山車の様子