スザンヌさんとインターネットTVと闇なべ的精神
インターネットTVってどのくらい普及しているんでしょう。
昨日、タレントのスザンヌさんが気になって調べ始めたら、いつのまにかインターネットTVにたどりついていました。最近、地上波の放送でよく見かけるスザンヌさんが、ずいぶんとたくさんのインターネットTVに出演していることにビックリしました。
生放送やアーカイブなどで半日ほどスザンヌさん漬けだったのですがそこで得られた結論は…
スザンヌさんはよくわからない人
ということです(笑)。あんな人やこんな人のようでいてあんな人でもこんな人でもない。今支持されているタレントさんが各々持っている秀でたモノがスザンヌさんにも当てはまりそうでいて、当てはまらない。だから、どう理解したらいいのか、よくわからないんです。頭の回転が速い、空気が読める、リアクションがうまい…そういったことが全て当てはまりそうで当てはまらない。なのに、たしかに「面白くて魅力的」。う~ん、まったくもって、わかりません。
それにしても、インターネットTVというのはずいぶんとたくさんあるんですねぇ。TVの多チャンネル化を肌で感じました。多チャンネル化すれば自分の趣味・趣向にあったチャンネルを選べるようになるわけですよね。そうなると学校なんかで「あのテレビ観た?」「観た観た~」「あそこのあのシーンがさぁ…」みたいな会話って成立しににくなるんでしょうね。話題についていくために興味はないけど番組を観る、という態度って、意外に重要だと思います。そうでもして自分の外の世界との交流をどこかで確保していかないと、面白い!という感覚は死んでしまうように思えてなりません。面白いという感覚の源は、自分の趣味や趣向じゃなくて、驚きや不思議のほうにあるんじゃないかなと。よくわからない人・スザンヌさん漬けの半日を通じてふとそんなことを考えました。
だから、多チャンネル化時代に番組に必要とされるべきは「深さ」ではなく「ごちゃごちゃさ」。自分の好みを追及してだしや素材を極めたなべよりも誰が何を入れたかさえわからない闇なべ的な精神。アイドリングにもちょっと関係ある話…かなぁ(笑)。
ひっそり更新…クイズ文鳥など
アイドリングで3本の指に入ると思っている企画「クイズ鳩」の続編「クイズ文鳥」がやっていたので、どうしても一言二言書きなぐりたくて久しぶりに更新。また検索でたどりつかれる方が前より増えたようで、アイドリングファン以外の人に見てもらえるようなら、またちょっとモチベーションも上がってくるというもので。一度「おわり」と言っておきながら更新するのは、あんまり褒められたことじゃないんですけども…。
で、「クイズ文鳥」の率直な感想。
こんなにも二番が利かないものかなぁ
クイズ鳩のときの「企画自体の面白さ」が今回は失われていました。クイズ鳩の時とは状況が変わっていたんですね。その当時は、マニアイドルなどの集団参加企画が主で、まずメンバーのソロ企画という発想が不意打ち。また今ほどパスが回ってこないどちらかと言えば地味な印象だったまいぷるがメインという発想が不意打ち。そのまいぷるの、テンポ・テンション・言動がタレントとしてもコーナー司会としてもこれまた不意打ち。アイドリングメンバーや升野さんや視聴者がまいぷるに振り回されるカタチで半ば困惑気味に、しかしその困惑を心地よく楽しむ感じにこそあの企画の魅力があったと私は思っています。しかし、今回のクイズ文鳥にはそれがあまりなかった。私だけでなく、アイドリングメンバーや升野さんにも、あまり振り回されている感じ、戸惑う感じはなかったように見えました。二番が利かない(正確には三番?)のは、私が思っていた以上に「鮮度」がこの企画の魅力の大部分を占めていたいうことの裏返しでしょう。
そのへん、まいぷるが「司会」という立場を利用してもうすこし遊んでみせるというか、内容はクイズ鳩をほぼ再現しているものなだけにまいぷる自身がアクションをおこしやすい状況があったので、そこで何か前回との差異をつくれたら鮮度を多少なりとも保てたのかなと。内容が同じだけにまいぷるのここ数ヶ月での姿勢の変化みたいなものが現れるのかなぁと思っていたのですが、それが見られなかったのは少し残念でした。
あと、これは意外に自分のなかでは大きいのだけど、今回升野さんがあんまり「ハマってなかった」なぁと。インターパッシヴィティ、替わりに笑ってくれる人の重要性を以前に指摘しましたけど、前回のクイズ鳩では升野さんが「いままでアイドリングでそんな大笑いしたことあったかな?」というくらいには「ハマっていて」それが今でも印象に残っています。升野さんがハマらないのも結局鮮度の問題だと思いますが、この違いは、ケッコウ大きいかもしれないなと。
升野さんは昨日の「虎の門」に出演してましたね(ナンだ?!にも出てました)。変声機を使っての天の声によるMC役(田中)でしたが、これは前回わりと厳しいことを言いましたが(すべり笑いを強要するのはいいとしても終始そればかりで単調)、今回もちょっとどうなんだろうと。「虎の門」はセットの費用の関係か、企画は一度失敗しても二度三度はやる、というのが常なんですが、今回の企画もそんな印象でした。
前回同様の升野さんの単調な絡みっぷりもそうですが、あのMCで企画内容自体を面白いものにしちゃダメなんじゃないかと。焦点がボヤけて、企画をそのまま楽しめばいいのか、企画を踏み台にしてMC升野さんと芸人さんとの絡みを楽しめばいいのか、企画自体が盛り上がりそうな感じだと、そこのところがよくわからなくなってしまう。まぁこう書いても、見た感じ、次はなさそうでしたが…。
今回は露骨に不満に駆動されて書いてしまいました。あまり気持ちのいいものではないですね…。いつかわかりませんが、次に書くときは、感動に駆動されて書けますように。
ありがとうございました!!!
200回目の放送が終わりました。200回記念SPとあったので何か特別なことをやるのかと思いましたが、とくにメモリアルとは関係なく、いつもどおりのアイドリング!!!でした。もしくはオンデマンドでなんかあるのかな。
消しゴム落としって、他の番組ではまず成立しないですよね。私にとっての最後の放送が、こういうアイドリングらしい新企画でよかったなぁと思います。
印象に残ったのは、ヤザワァーの「表情芸」。変顔、セクシー顔、はじける笑顔などなど、いろんな表情で魅せてくれるヤザワァーですが、今日の、相手を蹴落としたときの「したたかな悪女」フェイスもグッときました。自分を自分でデフォルメしていると言いますか、あの表情2割り増しぐらいのやりすぎずひきすぎすの感じが、笑いを心地よく誘うんですよねぇ。ヤザワァーって、すぐ笑ってしまうゲラだというのもあるかもしれませんが、笑いをとりにいくとき自分も心からそれを面白がっているところがすごくイイなぁと。
売れなかったお笑い芸人さんが、最後くらい自分の一番やりたいこと・面白いと思うことをやってやめよう、で、やってみたところそれが思いのほかウケた、なんて話を何度か耳にしたことがあります。たしかに、その時々の需要や笑いのカタチ・パターンみたいなものはあるんだと思います。でも、誰も心の底からは面白いと思っていないカタチやパターンより、少なくともひとり(自分)は純粋に面白いと思っているその笑いにこそ、演者生命を賭してでも追求していく価値があるのではないでしょうか。だから、ヤザワァーだけでなくほかのメンバーにも、「自分が面白いと思うこと」その小さな火を絶やさずに大きくしていってもらいたいと思います。結局のところ、人はテクニックとか発想とかに魅せられるのではなくて、人は人に魅せられるものだと思うので。これも、私がアイドリング!!!から教わったことのひとつです。
さて、今日の放送分の記事も書き終わりました。私も不特定多数の人に向けてこうしてブログを書いているときには、こう言っては大変におこがましいですが表現者のはしくれなわけで、やっぱり「自分が面白いと思う」その気持ちが失われないうちに筆(というかキーボード?)を置くことにしました。アイドリングは、フジテレビのCSが加入のままなので、たまに動向をチェックしようかと思っていますが、このブログはこの記事で最後になります。2ヶ月ほどの短い間でしたが、いつも読んで下さった方々、コメントを下さった方々、みなさんの支えで今日までブログを楽しむことができたことを心から感謝するとともにお礼を申し上げたいと思います。ホントにありがとうございました!!!
おわり