ペールラシェーズ墓地(2015年4月、フランス・パリ) | クラシック音楽と食べ物と。。。

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今回は、2015年4月、フランス・パリからです。

前日はショパンゆかりの地を訪ねましたが、今回も芸術家・音楽家が眠る墓地へやってきました。

 

ペールラシェーズ墓地(Cimetière du Père-Lachaise)は、パリ東部にあるパリ最大の墓地で、年間350万人以上の人が訪れるそうです。44ヘクタール(東京ドーム10個分近く)の広大な土地に数えきれないほどの人たちが眠っています。ここに眠っている著名人は数えきれいないほどで、今回は音楽家、芸術家を中心に回ってみたいと思います。

 

地下鉄2番線のPhillippe Auguste駅を降りると、既にペールラシェーズ墓地の壁が延々と続いています。

 

しばらく進むと、入り口が見えてきました。

 

ペールラシェーズ墓地のホームページに著名人の墓の地図がありそれを持っていったのですが、それでもこれだけ広大な墓地だと目的の墓地にたどり着くのは容易ではありません。

お墓全体はこんな感じです。

 

まずは、ロッシーニ

ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini)。
1972年2月29日今のイタリアに生まれ、1868年11月13日パリで76歳の時に亡くなっています。セビリアの理髪師など、数々のオペラを世に送り、作曲家として成功を収めたのち、44歳で早々に音楽家を引退し、以降は悠々自適の生活。美食家としても有名で、○○のロッシーニ風と名前のついている料理も彼の名前からとられているほどです。今は、ここペールラシェーズ墓地に眠ります。

 

アルフレッド・ド・ミュッセ(Alfred de Musset)。フランスの作家です。

 

ルイージ・ケルビーニ(Luigi Cherubini)。イタリア出身の作曲家です。1760年9月14日今のイタリアフィレンツェに生まれ、1842年3月15日パリで亡くなります。生前は大きく評価され、パリ音楽院院長なども務めますが、現在では演奏される機会はそれほど多くないのではないでしょうか。

 

ショパンのお墓。言わずと知れたピアノの詩人。

1810年3月1日、今のポーランドに生まれ、1849年10月17日パリで亡くなります。

墓石の正面には、ショパンのレリーフ。

墓石の上には、オーギュスト・クレサンジェが制作した女神像が置かれています。文芸をつかさどる女神の一人エウテルペーが壊れた竪琴に涙しています。

お墓の前には、多くの花が捧げられています。ピアノを志す人たちも多く訪れているものと思います。

ショパンの遺体はここに安置されていますが、心臓はポーランドに持ち帰られており、ショパンの心はここにあるのか、それともポーランドにあるのか、はたまた既にどこにもないのか、そんなことを考えてしまいました。

ピアノを弾く人たちを悩ませ、そして魅了してきたショパンマズルカ、ノクターン、エチュード、ポロネーズ、スケルツォ、バラード、ソナタなどなど多くのピアノ曲を生み出したショパンショパンがいなかったら、今の世界どれだけ無味乾燥なものになっていたのでしょうか。多くの素晴らしいピアノ曲を残してくれたショパンに感謝の気持ちを伝え、次のお墓に向かいます。

 

ショパンのお墓の前には、ギュスターヴ・シャルパンティエ(Gustave Charpentier)。フランスのオペラ作曲家です。1860年6月25日フランスディウーズに生まれ、1956年2月18日パリで亡くなっています。なんと亡くなったのは95歳の時。ショパンの墓の前にあるのですが、彼を知る人は少ないのかもしれません。

 

ベリーニのお墓。ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(Vincenzo Bellini)。1801年11月3日シチリア島に生まれ、1835年9月23日パリで亡くなっています。イタリアオペラを代表する作曲家です。

 

カミーユ・コロー(Camille Corot)のお墓。印象派に大きな影響を与えたフランスの画家。1796年7月16日パリに生まれ、1875年2月22日パリで亡くなっています。この人の風景画好きなんですよね。でも、コローってこんな顔だったんだと今更ながら。

 

こんな道を通って次のお墓へ向かいます。

 

モディリアーニのお墓は同じようなお墓が10列も20列も連なっているところにあって、事前に調べて持って行っていた写真を手掛かりになんとか発見。アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani)。イタリアの芸術家。1884年7月12日イタリアで生まれ、1920年1月24日パリで亡くなっています。モディリアーニと言えばあの顔と首が長~い独特の肖像画がすぐに頭に浮かびます。

 

次は、オスカー・ワイルドのお墓へ。

 

オスカー・ワイルドのお墓は、かなり特徴があってすぐに見つかりました。

 

オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)。1854年10月16日現在のアイルランドに生まれ、1900年11月30日パリで亡くなっています。小説家、劇作家で、かなりの色男だったようです。今でもお墓には大量のキスマークが。。。ガラスで囲まれていて、「故人の尊厳を尊重してくれ」というステッカーも貼られていたのですが、その上によじ登ってキスマークつけているんでしょうか。。。


マリー・ローランサンのお墓。マリー・ローランサン(Marie Laurencin)。画家。1883年10月31日パリで生まれ、1956年6月8日にパリで亡くなっています。水彩画調の無駄な線を削り取った夢見るような少女の肖像画は、なんともふわふわしていて独特な画風です。墓石から木と花が生えています。

 

火葬場(多分)にやってきました。

この建物には納骨堂も併設していて、多くのプレートがはめ込まれています。

 

ここの地下にマリア・カラスのお墓があります。

20世紀最高ソプラノと呼ばれたマリア・カラス(Maria Callas)。1923年12月2日アメリカ・ニューヨークで生まれ、1977年9月16日パリで亡くなります。マリア・カラスの遺灰は、一旦ここに収められたのちに、本人の希望によりエーゲ海に散骨されているはずですので、ここに残るのはプレートのみということでしょうか。

 

バルザックのお墓。オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)。19世紀のフランスを代表する小説家。1799年5月20日フランストゥールで生まれ、1850年8月18日パリで亡くなります。

 

ビゼーのお墓。ジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)。1838年10月25日バリで生まれ、1875年6月3日フランスブージヴァルで亡くなります。なんといっても有名なのはオペラ「カルメン」。何度聞いたかわかりません。

元々、このお墓の上に胸像が設置されていたようですが、持ち去られてしまったようです。そんなもの持ち去ってどうするのでしょうか。それもお墓から。

 

もういくつか行こうと思っていたお墓があったのですが、見つけられませんでした。いやあ、無茶苦茶広いお墓です。相当に準備してこないとお目当てのお墓にたどり着くのは結構大変です。今回も、この辺りにあるはずと思って探しても、なかなか見つからなかったり、同じようなお墓が延々と続いていて1つ1つ墓石の名前を確認していったりと、ちょっとお墓参り侮っておりました。ペールラシェーズ墓地、緑も多く、お墓ですがすがしいというのも変なのですが、すがすがしい雰囲気で、素晴らしい彫刻も多く、そしてショパンのお墓にもお参りできて、来てよかったと思います。

 

パリにはいくつか大きな墓地があるの、これから別の墓地へも行ってみます。その内容はまた次回レポートさせていただきます。