パリのショパン第二回(2015年4月、フランス・パリ) | クラシック音楽と食べ物と。。。

クラシック音楽と食べ物と。。。

ヨーロッパでの生活を振り返るブログ。

今回も前回に引き続き、パリショパンゆかりの地を訪ねます。

 

前回は、スクワール・ドルレアンピガール通り16番地のそれぞれショパンが暮らしたアパート、そしてメシアンが60年間オルガニストを務めたサントリニテ教会を訪ねました。今回はその続きです。

 


レストラン ル デリ/Restaurant Le Dalí


いきなりショパンとは関係ないのですが、チェイルリー公園のすぐ近くにあるホテル ムーリス(Hotel Meurice)のレストラン ル デリ(Le Dali)でアタヌーンティーをしようと思い地下鉄で移動します。かなか豪華なレストランです。かなり席数少なめでゆったりした雰囲気。

 

もちろんAfternoon Teaセットを注文。サンドイッチ、スコーン、ケーキが3段で出てきます。

 

サンドイッチは5切。どれもおいしい!!

 

ケーキは「まあまあ」でした。日本人の口には少々繊細さが足らないと感じてしまいます。紅茶を飲んでいたのですが、少々ケーキが甘目だったのでエスプレッソを追加。

 

スコーンは2つ出てきておいしかったのですが、個人的にはロンドンで食べるスコーンのほうが好きかもです。全部完食しておなか一杯になりました。大満足です。

 

そこからすぐ近くにあるアンジェリーナへやってきました。ここのモンブランが有名なのですが、さすがにこれ以上食べられないので、お土産用のマロンペースト買って退散します。

 


ヴァンドーム広場/Place Vendôme


高級店が立ち並び華やかなヴァンドーム広場ですが、ショパンファンにとっては、違った意味を持つ場所ではないでしょうか。ここにはショパンが終焉を迎えた家があります。ヴァンドーム広場12番地「ショパン最後の家」。
一階にはショーメのブティックがあり、そのアトリエからは今も多くのジュエリーが生まれています。
ショパンは、死を前にの高級アパートに引っ越ししました。1849年9月下旬のことです。当時のショパンにはこの高級アパートの家賃を払えるだけの財力はなかったようですが、友人が支援してくれています。ポーランドから呼び寄せた姉一家に看取られて亡くなるのは、それから一カ月もしない10月17日のことでした。ショパンの遺言で、心臓だけが取り出され姉によってポーランドに持ち帰られたことは有名な話ですね。ポーランドを出てから、故郷をあれほど思い続けながら帰ることができなかったショパン。死してその心がやっと故郷に帰れたということのようです。
 
こちらは、玄関ホールの階段です。高級感漂っていますよね。
 
ショパンがここで亡くなったことを示すプレートも壁に掲げられていました。
 
コンコルド広場から地下鉄の8番線でグラン・ブールヴァール(Grands Boulevards)駅へ向かいます。
 

フランス国立高等演劇学校/Conservatoire national supérieur d'art dramatique


フランス国立高等演劇学校
ここのホールは旧パリ音楽院ホールパリショパンが演奏したホールで唯一現存するホールだそうです。学生と教授らしき人が入り口で話しこんでいてなかなかシャッターチャンスがなかったのですが、合間を縫って写真撮影。
 
そういえば、ベルリオーズベートーヴェンの姿を初めて見たのがこの建物の前だったとか。
 

ポワソニエール大通り27番地/27, boulevard Poissonniere


最後にやってきたのがポワソニエール大通り27番地ショパンパリで「最初に住んだ家」です。家と言っても全部が残っているわけではなく入り口だけが残っています。
ショパンが友人に手紙で「僕はポワソニエール大通り27番地に住んでいる。君が信じられないくらい魅力的な部屋に。素敵なマホガニーの家具付きで、並木道の歩道に面したバルコニーからはモンマルトルからパンテオンまでの、パリで一番美しい景色が見渡せる。皆がこの眺めを羨ましがる。5階(日本式の6階)までの階段は誰も羨ましがらないけれど。」と書いているこのアパートは2部屋だけの小さなものだったようですが、ショパンが希望に満ちてパリに来て最初に住んだ家でした。1831年ショパン21歳の時です。
 
大通りというだけあって、かなり広い通りに面しています。今では車が行き交う通りですが、ショパンが住んでいいた時代はどんなだったのでしょうか。
残っているのは、2つのビルに挟まれた入り口部分。
1831年から1832年までショパンが住んでいたことを示すプレートが掲げられています。
 
2回にわたりパリショパンゆかりの場所を訪ねてきましたが、いかがでしたか。
夜は、パリに新しくできたフィラルモニ・ド・パリへコンサートを聞きに行きます。その様子は、また次回レポートさせてもらいます。