最近思うこと 。。。Part 3: 被害者のエネルギー | The World of Euphorian'Z

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こんにちは。星影です。流れ星

 

お久しぶりです。はやいもので、9月の半ばにさしかかろうとしています。それにしてもまだまだ暑いですね。。。。

朝晩は、あれ?ちょっと涼しくなったかも。。。って感じがしないでもないですが、日中お日様が出てるとやっぱあっつ〜!ってなります。

皆様はいかがお過ごしですか?

 

暦の上ではもう秋ですよね。皆さん今年の夏はどうでしたか?私はと言いますと、コロナも落ち着いてきた。。。ってことで海行けるかな〜なんて思ってたんですけど(もちろん潮干狩りに!)どうもコロナ開けの海は貝達の発育が宜しくないらしく、海の公園もほとんど貝がいないとか、ウチの近くも育ちが悪いからって潮干狩りなし!ってことになってたようで。。。何なんでしょう。。。貝も自粛してたとか???。。。

 

でもその他ではね、鎌倉三十三観音霊場巡り再開とか、私なりにはおもしろい夏となりましたよ。にっこり

 

。。。。さてさて今日は最近思うことのPart3、“被害者のエネルギー”についてお話ししましょう。。。またちょっと長くなりますがお付き合いくださいませ。

 

今回私が言う“被害者のエネルギー”って、ある意味前回お話しした“正義感のエネルギー”に密接に通じているものだと思います。

 

つまり“正義感のエネルギー”ってある時は無意識的にも“被害者”を作り出し、その被害者がまた正義感をもって反論なり、判断しそれに伴う行動を起こすことで、元々の“正義感のエネルギー”で判断していた加害者と同じ波動になり、また別の被害者をつくりだしてしまう。。。という負の連鎖的なことが起こってしまう可能性がある、ってことですね。

 

まずちょっとこれについて良い例があるのでお話ししましょう。

 

アメリカにいた頃に見たあるテレビのトークショーでのお話です。(アメリカには様々なトークショーがありまして、驚くほど過激な内容を扱ったものが結構あり、観客とゲストの意見でハチャメチャになるケースも多くあります。確か殺人事件にまで発展したのもあったはずですよ。ゲッソリ

 

。。。で、私がたまたま見ていたトークショーは、その回、“許し”というテーマを扱ったもので、昔レイプにあった白人女性が、犯人特定の際、間違って“この人だ”と断定してしまい、選ばれた黒人男性は15年だったかかなり長い時間、無実の罪で投獄されました。捜査にDNA鑑定が取り入れられるようになってから、彼の無実が判明したのですが、トークショー上でそのレイプにあった女性が自分の間違った証言のせいで無実の罪で投獄された男性に謝りたい、とのことで登場していました。

 

で、登場したその女性は最初こそレイプの被害者ということで、観客の同情も少し集まりましたが、その後登場した、無実の罪で投獄された黒人男性は「もう終わったことだから」とすごく穏やかですでに許していることを伝えており、観客や司会者からも称賛されてました。その時の司会者の事実確認の言い方もちょっと主観が入っていたような気がしましたが、レイプされた女性は司会者との会話のやり取りの中で「その男性を選んだ時は正しく間違いないと確信していた」とか「私はいつもいい国民の一人であろうと努めている」とか間違いを起こしたことに対して自分を養護するようなことを言ったんです。で、最終的にはその女性にはまるで観客からの同情は集まらず、その女性はまるで自分が加害者のように扱われたのが納得できないという感じになり終始笑いもしない無表情のままで、その場は和やかに許しのムードで終わるというより、黒人男性を称賛するだけのムードで終わった。。。という。。。何とも皮肉な結果となってました。

 

確かにその白人女性はレイプというものすごく悪質な犯罪の犠牲者なわけですよね。その中で泣き寝入りせず、屈辱的と言われるレイプ犯罪の証言等を警察でも行ったんでしょう。 でも、その結果無実の人を監獄へ送ってしまいたことに対する申し訳ないという気持ちより、自分だってそもそも被害者で、悪気はなかったんだから自分も悪くないんだ、という気持ちが強いと感じられました。誰かの人生15年を台無しにしてしまった。。。という大きな過ちによって、たぶん彼女自身、自分の中の何かを改める必要があったんでしょう。。。でもその時はまだそれに気づけていなかったのかもしれません。間違って監獄送りへしてしまったことの謝罪はするべきだトークショーに出演してみたものの、彼女自身の「自分だって悪くない」という主張に周りの同情がまるで集まらなかった。。。ってことです。

 

この彼女の例は、先程言った被害者の加害者(正義感)のエネルギーがどちらもはっきりと具現化されてしまってる例ですね。

明らかに彼女は彼女自身の内面のヒーリングが必要な感じがしてました。私は彼女への周りの同情できないという態度には納得は出来ましたよ。彼女やっぱり何かすごく頑なで感じはよくなかったですもん。 でも、やっぱり気の毒でしたね。彼女はレイプっていう一生のトラウマになりうる経験をしたわけですし、深い傷を負ったからこそ周りへ攻撃的になることでしか自分を守ることが難しくなることだってあるんじゃないでしょうか。。。

 

。。。まぁ、そんな風に、何か(誰か)の被害者になってしまうということは、特に精神面にダメージを受けその人自身の人生に大きく影響してしまう。。。非常に難しい人生の試練を与えられて生まれてきたと言えると思います。その中での“許し”という課題は本当に大きく難しいものだと思います。

 

そしてそんな中、今回もう一つお伝えしたいのは、理不尽な誰かからの言動や出来事の被害者の周りの人たちについてもこれらを当てはめて考えてほしい、ってことです。

 

これもね、ものすごく辛いレッスンを与えられた方々だと思います。例えばいじめによる自殺者の家族とか、大切な人が悪質な事件に巻き込まれ被害者になってしまったとか、不慮の交通事故や自然災害などの被害を受け怪我をする亡くなるなどした人の家族、恋人、親友などそうですね。

 

自分や自分の大切な人が理不尽な形で傷つけられたりして、それに対して加害者が正当に裁かれなかったり、誠意が感じられなかったり、自然災害のように何に怒りや悲しみをぶつければいいのかわからないような、何かしら蟠りが残るような形で終わった場合など、それらの人々の怒り悲しみ苦しみは計り知れないものでしょう。

 

そして、そういう中で被害者同様心に傷を負ってしまった人はその怒りや悲しみをどこへもぶつけることができず、許すということもできず、ただただ恨みという負の感情を持ち続ける。。。ってことが起こっても不思議はないですよね。

 

私はそういう人達に対してもどうこうしろ、なんて言える立場ではもちろんありません。私だったらその痛みに耐えられるだろうか。。。その状況を受け入れる事さえできないのでは。。。と思わされる出来事は、普段耳にするニュースの中にも沢山あります。

 

でもそういう出来事もいつどんなタイミングで自分や自分の知人にふりかかるかなんてわかりませんからね。

。。。だから、これから述べることについては、単に情報として頭の片隅にでもまず受け取っていただければと思います。

 

ここから先が大切な部分だからです。

 

“誰かを許すことは自分のため”

 

この言葉聞いたことありませんか?例えば、このブログにひきつけられている方々は多分無意識的でもそうでなくてもエネルギーに繊細な人って多いんじゃないかと私は思ってるんですが、スピリチュアルなことに惹かれる人の中にはこういった課題を持っている方は多いはずです。だから今幸せだな〜と思えていたり、誰かを許せなくて苦しんでいない状態だとしても一緒になって考えてほしいと思います。

 

。。。とは言うものの、私もいろいろあった時、いろいろ本読んだりして、この言葉聞く度に「んなもんわかっとるわい、それができんけん苦労しとんじゃろうが」むかつきと思ったりしてました。

でもね。。。やっぱこれってホントなんですよ。いろんな意味で。

 

因果応報。。。What you give is what you get.。。。カルマ。。。

What comes around goes around.。。。人を呪わば穴二つ。。。

 

とか色々言葉はありますが、これらの言葉ってある意味、悪いことはしちゃだめだよ、っていう教訓のような言葉ですね。が、これらの言葉の中で言われていることって、実は“被害者”側の人たちにもそっくり当てはまることなんですよね。

 

Part 2でお話しした正義感のエネルギーはPart 1でお話しした二元性のエネルギーを考えた時、グレイゾーンに含まれてしまうっていうこと言ったと思いますけど、Part 3の被害者のエネルギーもまた同様のことが言えるんですね。

 

“被害者”という立場に立たされて持ってしまった怒り、悲しみ、恐れなど、それらの感情って一旦出てきてしまうのって、自然であり仕方がないものなんだけど、例えば加害者に対しての怒り、恨み辛みを持ち続けたりすることそれ自体も、持ち続けてしまうと結局は自分自身を傷つけてしまうことになってしまうだろう。。。ということです。

 

ここでもね、理不尽だけれども、“誰かを判断するとその人と同じ波動になってしまう”っていうの当てはまっちゃうんですね。

 

私が以前このブログで、ネット上でよく耳にする“スカッとする話”とか、聞いてもあんまりスカっとはしない、って言ったことあったと思いますが、それってエネルギー自体がどういうものか。。。って知っていくと、仕返しみたいなことをしている場合などは、心からスカッとすることは難しくなるからなんですね。

 

“モラルの提示”っていうのはみんなが平和に仲良く暮らしていくためには必要なものでしょう?そのための法律が存在し、それらを守ったり規制したりするための職業も存在する。だからもちろんそういうルールの中で良し悪しをはっきりさせるための行動をとるな、と言っているわけじゃないです。人々が一般に観念としてもっておくべき”モラルの提示”っていうのは私は存在して然るべきだとは思ってます。

 

。。。ただね、法律などで行き届かない問題なんてまだまだ世の中くさるほど存在してるのも事実。そのグレイゾーンでゲームみたいに自分の利益ばかりを重んじて行動している人や、自分の社会的な地位や権威を利用してもいいと勘違いしている人達も存在しているようですよね。。。長い歴史の中ではそのグレイゾーンで被害にあった方々は泣き寝入りのような状態に追い込まれることもあったことでしょう。。。

 

公平か不公平かで物事を見ると、不公平で理不尽だと感じることなんて探せばこの世にた〜くさん存在して、そのなかにはどう転んで見ても気の毒としか言いようがないような“被害者”も存在すると思います。

 

私が今回言ってるのは感謝できることが沢山周りにあるのに自分を被害者だと思って文句をたらたらたれている人達のことを言っているのではないですよ。人は自らを“被害者”に仕立てることで周りからエネルギーを集めて、意図的に“被害者であることを選ぶこと”だってできるのですから。これは、誰しもみんなが知っておかなくてはならないことです。

 

でも自分自身の意図ではなく心や体が傷つけられ、ダメージを受けてしまったような被害者の場合、私からお伝えできるのは以下の2つぐらいかなと思います。

 

問題からは目をそらさず真正面から受け止め、それでも ”そこにとどまらない” “前に進み続ける” ってこと。

 

私が口で言うのは簡単です。言うなれば私の自分よがりの祈りにも近いものかもしれません。当事者の気持ちなんて当事者本人じゃないとわかりませんから。でも、それでも頭の片隅にでもいいから情報としては置いておいてほしいなと思います。無理なんてしなくていい、焦らず自分を責めず、どんなに時間がかかってもいいんです。何度大声あげて泣き叫んでもいいと思います。でも心のどこかで前に進もう、っていう気持ちだけは持ち続けてほしい。“前に進む”っていう行動も人それぞれ、何でもいいと思います。わかり合える人達と集まる、でもいいし同じ思いをした人達をサポートしたい、でもいい、自分のずっとやりたかったことを始めてみる、旅行に行く、新しいカフェに行ってみる。。。な〜んでもいいんです。

 

問題から目を外らすな、真正面から受け止めろ、っていうのもある意味他人だから言えるんだろ、とも言われそうですが、これもね、人間の防御本能で自分という存在を正気で保つために、“忘れる”とか、“感情を押し殺してその感情を感じないものとして隠してしまう”っていうのがあるんです。幼少期に性的虐待などを受けた人が多重人格者になってしまったり、感情を押し殺し大丈夫だと自分に言い聞かせ大人になって今度は自分が子供を虐待してしまうようになるとか。。。

 

これらは特に自分一人で解決することが難しいケースだと思いますが、先程例にあげた、レイプを受けた女性が間違った人を犯人に仕立ててしまったケースも含め、自分の中での課題を消化できていないと、負の連鎖で別の被害者が作られてしまうっていう可能性がでてくるんです。

 

アメリカにいた時によく耳にした言葉の中に

“Let God handle the situation."

“Let God take over the situation."とかってあるんですが、“神にその状況をまかせなさい” っていう意味です。私はキリスト教じゃないですがこの言葉は今でも好きです。

 

自分一人じゃどうしようもなく消化しきれない問題にぶつかった時や、人から意図的に傷つけられたりして憎しみの感情に耐えられなくなりそうな時など、こうやって祈るんです。こう考えて、仕返しなどをせず直ぐに許すことは出来なくても、自分の中にPeace of Mind (平穏な心)を見出すわけです。

 

スカッとする話の中には、意地悪をした人達に対してこちらは何にもしなかったのにその人達には後々いろいろ悪いことが起きた。。。なんていう話もあったりしますが、つまりはそういうもんなんですよ。

 

先程あげた言葉。。。カルマとかってね、ホントにほんとなんです。誰かを傷つけようとか自分の利益追求のための行いとか明らかな悪意を伴っている場合など、悪いことすればいずれその代償を払わなければいけなくなる。

その代償っていうのが、どういう形で来るか、生きている間にくるのかそれとも亡くなった後に来るのか。。。ってことはいろんな状況によってそれぞれ違うとは思いますが、100%返ってくる。。。これって宇宙の法則なんだそうです。

 

。。。だから何が言いたいかと言いますと、あなたがどんなに意地悪をされたり理不尽な思いをしてやりきれない気持ちでいるとしても、あなた自身がリベンジなど仕返しをする必要はないってことです。あえてあなたが自らを彼らの波動まで下げて手を下す必要はない、ってこと。

 

あなたはあなたが与えられた課題を愛を持って受け止め、愛を持って前に進んでいけばいいだけ。。。それだけなんです

。。。う〜ん。。。これもね、もちろん口でいうのは簡単だというのはわかってます。でもね、リベンジは多分成功してもあなた自身は心からスッキリしないし、それによってあなたの心に本当の平穏は訪れないと思うんですよね。

 

最近しみじみとそう感じている。。。っていう理由ですが、まず、このブログを読んでいただいている方はご存知だと思うのですが、私何故か神様系、仏様系の存在から何かしら寝ている間を通してコンタクトをいただくことがありまして、それが増えていくごとに、これらの体験を通じて、自分の考えていることやちょっとした行いがあちらの世界の存在には筒抜けである、ってことを否が応でもでも知らしめられてるんですね。(ま、私の場合、あちらが知っててくださって嬉しいと感じる場合がほとんどですが。)

 

それでも何をしても「向こうの世界に筒抜け」っていう部分はもう否定できない部分なので、皆さんに声を大にして言いたい。

大丈夫です。悪いことをやってる人達はぜ〜んぶバレてますし、あなたがもし今つらい状態にいたとしても、その祈りも全部つたわっています。もちろん感謝の気持ちや、あなたの優しさもちゃんと伝わっています。

 

神様仏様など外的なスピリットにバレてるだけじゃなく、スピリチュアル的に考えると、あなたの中にもいわゆる悪人の中にも神性って存在してて、人を傷つけるなどのモラルに反したことなどをすると、ある意味それぞれ自分の神性の部分、ハイヤーセルフでも魂でも呼び方はなんでもいいんですが、今度は自分が傷つけられ自分が傷つけた人達の気持ちを理解できるような経験を選ぶようになっている、というふうにも言えるんですね。

 

この考え方は自分の人生におこっていることに自分で作り出した現実として責任を持つ、っていうことにも繋がってて、物事がいかに誰に対しても白黒だけでは片付けられない、っていうことがわかってきます。

自分にできることって、自分に課せられた課題やレッスンを愛を持って一つ一つクリアしていくこと。それだけで実は十分人生の上では成功者なんですよ。

 

。。。とまぁ、こんな感じに熱弁してみました。ニコニコ

 

駄目なもんは駄目、間違ってることは間違ってる、でいいんですが、二元性を超えた考え方で物事見ると、実は世界がもっともっと愛に溢れてくると私は思ってます。愛立ち上がるスター

 

今回は“最近思うこと Part 1〜3”で、そんなところが伝わるといいな〜と思って長々と書かせていただきました。ニコニコラブラブ

 

許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

あ〜長かった。。。(と自分でも思うニヤニヤ汗

それではまた〜UMAくん音譜

 

星影流れ星