最近思うこと。。。Part 2: 正義感のエネルギー | The World of Euphorian'Z

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(少し前に投稿してたんですが、投稿日時の設定が最初に書き始めてた日のままになってたので本日再投稿しましたイヒ汗)


おはようございます。星影です。流れ星

 

相変わらずムシムシと暑いですねー。。。皆さまいかがお過ごしですか?

 

さてさて、今回は『最近思うこと Part 2』の正義感と被害者のエネルギーについてです。。。。と思ったんですが、前回ちょっとお伝えした通り、またとてつもなく長くなりそうだということがわかったため、今回Part 2はまず『正義感』について書くことにしました。(まいどまいどすんません汗にっこり

 

さてさて、早速ですが本題にはいります。

以前から、この"正義感"についてはこのブログの中でも時々お話しはしてきてたと思います。

でも、今回二元性についてお話ししていく中、やっぱりとっても大切、って思ったから改めてお伝えしたいと思いました。


まず、皆さん、“正義”っていう言葉を聞いて、どういうことを考えますか?どういうイメージを持っているでしょうか???


多分大部分の人はあんまりこの言葉自体に対して悪い印象を持ってはいないのではないかという気がしますが、どうですか? 私もそうです。例えば、普通に考えると、“正義感が強い”って言われても決して悪いことではないし、あんまり悪い気もしない、って感じしゃないですか?

 

前回『二元性のおわり』ってところで、陰陽マークを例にとりあげて人のグレイゾーンについてお話しました。今回お話しする“正義感”もこのグレイゾーンに属しているものとして説明させていただきますね。

 

。。。つまりですね、結論から言いますと、あなたが思ってる“白い”正義感って、もしかしたら同時に真っ黒かもしれませんから!!物申すってこと。そしてそれをもっともっと私たちみんな、それぞれが自覚した方がいい!ってことです。

 

グレイゾーンで正義と共に行動している人達っていうのは、いわゆる”こうすることが正しい”と自分で信じていてやっている言動が誰かを傷つけていたり、例えば批判や判断を下している相手と同類じゃん!ってことになってることがある、ってことに気づいてない場合が多い、ってことなんです。

 

私も子供の頃とかは、この“正義感”みたいなものを掲げてる、“優等生”タイプのいやな子供だったな〜と自分でも思います。例えば、忘れもしない小学5年の時、何か忘れ物とかして放課後教室を掃除するっていう罰を受けた男子生徒がいたんですけど、その子がこっそり帰ろうとしてるのを見つけたんですよ。で、私は正義感丸出しで「待て〜!」って走ってその子のこと追っかけたってことがありました。。。笑 で、階段の踊り場で追いついてその子のランドセルを後ろからひっ捕まえたらその子の猛反撃を受け、振り向きざまに思いっきりグーでほっぺたを殴られましてね。めちゃくちゃ痛かったんです。「いった〜。。。」ってなって顔を押さえてる間に逃げられたんですよね。。。ほっぺたを誰かに拳で殴られるなんて後にも先にもあれ以来ないですけどあの時はめっちゃ痛かったけど正義感で奮い立ってた私、泣かなかったんですよね。。。

。。。ま、何が言いたいかと言いますと、正義感ってどんなに痛くたって涙をひっこますぐらい、自分のこと正当化できていいことをしている、っていう自己愛の錯覚をくれるんですよ。今だから思いますが、ホント、これって自己愛の“錯覚”じゃないでしょうか。。。

 

”正義”っていう言葉は厄介で、人は理屈にかなった理由があり一定数の賛成を得られるような事柄について行動する時、相手側の人間をあたかも”悪”の根元のように目の敵にして扱うことがあります。その事柄が例え生死を扱うような内容でなくても、その時に生まれる”相手を悪人のように扱うエネルギー”ってものすごくネガティブで悪質で人を傷つけるには十分な凶器になるものなんですね。

随分前になりますが、アメリカに住んでいた頃、メディアで見かけた写真がまさにそうでした。

動物愛護グループが有名デザイナーのファッションショーで毛皮反対のデモをしていて、その一人がケーキをデザイナーに投げつけたんですよ。それが正にデザイナー本人にヒットした瞬間の写真でした。デザイナーはゲッソリこんな顔で、その女性はムキーこんな顔。。。。いや〜その動物愛護団体の女性の顔の怖いこと怖いこと。。。私はホントそれ見て「悪魔みたいな顔になってる。。。これじゃどっちが悪もんだかわかんない。。。」って思いましたもん。

 

いわゆる正しいとされること。。。この場合は動物の命を大切に。。。。ってことですがそれ自体は全然正しいことでも、罰ゲームでもないのにケーキを人に投げつけるもんじゃない、食べ物を人に投げつけるもんじゃない、なんて幼稚園児でもわかることじゃないですか。動物の命を大切にしないのは悪い、じゃあ食べ物を粗末に扱うのはいい、ってことになると世界の飢えに苦しむ人達やそれを支援している人達はどう感じるか、ってことですよね。

 

キリストの言葉にもありますよね。

”Do not judge others, otherwise you will be judged in the same way you judgeed them"

他に判断を下してはならない。さもなければ、あなた自身も同じように判断を下されるだろう。


 。。。って意味ですが、正にこれです。スピリチュアル的、エネルギー的に見ても、"正しい"とされる事柄をを正当化し誰かを批判することで、その批判されている人と同じ周波数になってしまう、ということ。そして自らも"批判される”対象となってしまってるんですね。


これこそ、私がもう二元性の考え方じゃこれからやっていけない、って言う由縁なのです。キリストのこの教えにしても、キリスト教でない私でさえ知ってるのに、なんでこの教えが多くの国の政治のシステムに未だに反映されていない、っていうのが不思議で仕方ないと言いますか、結果政治家の言うことは信用できない、っていうことにも直接的に繋がっている、ってこと政治家だけでなく、私たちそれぞれが当たり前のように理解していなければいけない時期に来てると思います。


このように、動物愛護のチャリティー活動の他にも例えば、家族は大事にしなければならない、同性愛者は罪だとか、法律ではこう定められている、とか、聖書(経典)にはこう書かれている、先生はこう教えている。。。などなど。。。仕事でやらなければならないから。。。とか色々な理由はあるにしろ、”お前が悪い”、”お前が間違っている”と判断するエネルギーって、非常に非生産的なんです。


つまりね。人からのエネルギー搾取になってるんですね。私が"正義感"って自己愛の錯覚をくれる、っていうのはそういうことです。そもそも判断する相手が存在してこその自分の意見でしょう?そう考えると、エネルギー的に判断対象の人にエネルギー的に助けられている、とも言えなくもない。マウントを取ってくる人っていうのとエネルギーの動き自体は同じなわけです。


マウントとかをする人と違って正義感からの言動のタチの悪い部分は、判断対象の立場に立たされた人がどれだけのネガティブなエネルギーを向けられるか、ってことについてはだいたいの場合まず考えない、ってところです。

 

もちろん全てはケースバイケースではあると思います。でも、私がここで強調したいのは、そうした”判断”のエネルギーってホントものすごいネガティブなエネルギーで、誰かを本気で嫌ったり憎んだりも出来るんですよ。それって簡単に誰かを死に追いやるほど、本当に悪質なものにもなりうるものなんだ、ってことです。正義感の成れの果てが戦争、とも言えるでしょう?どんなに正義を掲げてもやってることは"人殺し"ですからね。おねだり泣


これらは私たち日本人のように今まで普通に平和に暮らしてきている人ほど気をつけなければならないことだと思うんですよね。


あと、もう一つ大切なことがあって、この判断するエネルギーって、ある意味その状態を長期化させるものでもある、ってこと。つまりですね、思いやりを伴わない正論で誰かが悪いと判断を下してるとします。それって現実の設定なんですよ。判断を下されている相手はその人のエネルギーが届く範囲にいる限り、変化しづらい、ということが起こるんです。それが社会的な立場、親子とか先生と生徒とか上司と部下とか、そういう上下関係が成り立つ間で起こってる場合は尚更です。正義感で厄介なのは、判断を下したり下したり下されたりしながらその関係の間に愛情がある場合や愛情だと勘違いしてる場合もある、ってこと。。。

でも判断を下されている側の方で心当たりがある方は何かしら対策は必要にはなってきます。


 。。。そんなこといろいろ指摘して言うのは簡単だけど、じゃあどう具体的に変わっていけばいいの?ってところだと思うんですけど、その答えになってくるのが実は思っている以上に簡単で、

スター"クリエイティビティ"スター

のエネルギー、なんですよね。立ち上がるクラッカー


クリエイティブなエネルギーって、ものすごーくいろんなものを中和してくれるんです。ほら、アートや映画やドラマの中で結構強い主張とかされてても"ま、芸術だから"と片付けられたりしますよね。個々でできることってそんな大袈裟なことじゃなくて、クリエイティブになれるならなーんでもいいんですよ。形なんて。アーティストなんかにならなくても音楽や絵とか楽しめるし、歌ったり踊ったり、文章を書いたり料理をつくったり、プラモ作ったり車いじったり、動画作ったり、部屋の模様替えしたり、書道したり、日曜細工作ったり、刺繍したり。。。なーんでもいいんです。そのクリエイティブなエネルギーを自分で作り出せる、そのエネルギーの中にいる感覚を自分自身が知っているってこと大切だと思います。


エネルギーの世界ってほんと面白くて、いろんなものがいろんな形で影響しあうから、生産的なクリエイティブなエネルギーが増えて相互的に絡みあったりすることによって物事っていい方向に平和的な形で進んでいくはずなんです。


ま、これを突き詰めていくと、自分の中の神性と繋がるってことと重なってくるんですが、最近広まってきた瞑想しましょう、っていうのと同じくらい"クリエイティブ"なエネルギーをそれぞれが理解する、っていうの大切だと私は思ってます。なんなら学校の道徳の時間とかで必須で教えて欲しいくらいですよ。


"正義感"については、〜だから正しいんだ!って思ったら、言葉に出す前に一度相手の立場に立って物事を考えてみる、っていう癖をつけるのも大切ですよね。私、日本に帰ってきて接客やクレーム対応の仕事とかやってみていかに発する言葉や言い方で相手の気持ちが変わるか、っていうの実感してるんです。例え相手と違う意見の着地点から話してても、相手の立場を考慮した言い方って、ちゃんとその思いやりは相手にも伝わるんですよ。モラル的な判断って大切ではありますし、その意見を表現すること自体は決して悪いことじゃないですが、正義感掲げてネットとかのコメント欄で言いたい放題書いたりしてる人とかには、言葉にする前に是非考えて欲しいところです。


ま、因果応報。。。What you give is what you get.。。。カルマ。。。

What comes around goes around.。。。人を呪わば穴二つ。。。

 

とか色々言葉はありますが、これらの言葉の中で言われていることって、ホントにホントなんでね。ぜーんぶあちらの世界には筒抜けだし、記録も残ってるし、最終的には自分に返ってきますからね。その時その時、自分が後悔しないように思いやりを持って生きていく、っていうことですね。


あ、あとね、このクリエイティブなエネルギーって、外側に対して中和作用や平和的な影響があるだけじゃなく、自分自身への癒しにもなるじゃないですか。"アートは癒し"ってよく言いますよね。例えばね、ちょっとした精神疾患とかだったら、このエネルギーと人間関係とかをちょっと整理するだけで治っちゃうケースも結構あるはずですよ。精神内科に通って症状がなかなか改善しない、っていう人は一度じっくり立ち止まって何か自分で出来る簡単なこと、見つけてみるのもいいかもです。簡単なことなーんでもいいんです。わらしべ長者のお話みたいに藁一本から始まることだってたくさんあると思います。ニコニコ


。。。ぼけーDASH!今回も長くなりましたね。

読んでいただきありがとうございます。


今日は"正義感はくせもの!"というお話でした。爆笑

Part 3では被害者のエネルギーについてお話しします。照れ


許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜UMAくん音譜

 

星影流れ星