最近思うこと。。。Part1: 二元性の終わり | The World of Euphorian'Z

The World of Euphorian'Z

Euphorian 星影つきよの 〜*〜EUPHORICな世界〜*〜

こんにちは。星影です。流れ星

 

今回は久々にちょっと思うところがあって書くことにしました。

 

なんか最近も有名な方の悲しいニュースとか耳にしましたが、いや〜考えさせられますよね。で、最近もつくづくわかってきたことがありまして。。。なんか書いてたらめちゃくちゃ長くなっちゃったので2回に分けて書きますね。

 

まず一回目の今日は。。。『二元性の終わり』です。

 

。。。どういうことかと言いますと、多分これからの時代ね、一人ひとりが個々のレベルで自分の中の陰と陽を受け入れていかなければいけないんだろうな。。。。ってね。で、この考え方がみんなの“当たり前”に早くならなくちゃ。。。ってね、思うわけです。

 

“陰と陽”って聞いて皆さんは何を思い浮かべます?手っ取り早いところ、このシンボルマークとかその一つかと思います。

 

私このブログでも何度も言ってますけど、この陰陽のシンボルってホント真実の核心をついててすごいな〜って思うんですよ。グラフィックを勉強した者としても、コンセプチュアルな部分とか非がつけようがないといいますか。。。びっくりキラキラ

 

。。。で、本題に入りますが、この陰陽のシンボルマークって物事は白黒だけでは片付けられませんよ、って言ってるんですよね。

今まで、二元性、つまり善と悪、光と影、勝ち負け、正しいことと間違っていること、白と黒、プラストマイナス、男と女、。。。みたいに反対になるものを基準にいろんなものごとが定義づけられていたけれど、それだけじゃないでしょ?ってことをもっともっと個々のレベルで常に自分に問いかけながら生きていかなくてはならない。。。っていう時代になってきてるんだろうな。。。と思うのですよ。

 

この陰陽マークを中心でクルクル回せば白と黒が混ざってグレーになりますよね。私が思うに多分本来物事ってこのグレーの部分が大部分で、元々最後に持ってくる結果的なものや結論なんて陰陽マークの黒と白の点々、ぐらいの割合でいいんじゃないかという気がします。結果や結論は出ても、その物事の他に占める割合の部分もちゃんと理解できていなければならない。。。っていうか、その結果・結論から何を学べたか、どういう精神状態へたどり着いたか。。。対局にある意見や見解はどういったものか。。。そういったことへの理解が大切になってくるってことです。

 

じゃあ、“個々のレベルで常にそれを自分に問いかけながら生きる”ってつまりどういうこと?。。。かと言いますと。。。

ちょっと誤解を招きそうな部分でもあるんですが、自分自身の中にも“黒”の部分、“闇”の要素は常に存在しているということを認めた上で、その中で“光”を選ぶ、ってことです。

 

この、“闇”を受け入れる、っていう部分、ものすご〜〜〜〜く大切なところなんですよね。中にはこれ読みながら「何言ってるの?私は善人よ」と言いたい人もいるかもしれませんが、もちろん善人は善人でいいんですよ。

 

でも自分の中の“闇”を認識している善人とそうでない善人ではそれこそ二元性の白と黒ぐらいの差が生じる場合も出てくるんですよね。

 

そして自分の中の闇を認識していない善人が、世の中のグレーゾーンの事柄に関わる時、“正しいこと”をしていると信じながら、知らないうちに世界に闇を増やすような結果をもたらしてしまうこともあり得る、ってことなんですよね。。。

 

Part 2でお話しする“正義感”についての中でもう少し詳しくお話しするつもりですが、つまりはですね。自分の中の“闇”の部分を認識してそれが存在すること自体を許してあげることによって、周りに対する不必要な判断、ジャッジメントと英語ではよく言いますが、そいういうものがどんどん少なくなるんです。どんなことが周りで起きようと、表面に見える事柄だけで判断せず、他にも違った見方があるのではないか、相手はどういう気持ちなんだろうか、とか柔軟になれる>>自分の中に常に余裕ができる>>感情的にならずにすむ>>世の中や人に対して優しくなれる。。。ってことなんですね。ほんわかラブラブ

 

自分の意見っていうのは持ってていいと思うんです。でもそれを人に押し付けたり、正義を掲げて相手を論破して悪者にする、なんてことをしなくてすむ、といいますか、そんなことしようと思わなくなるはずなんですよ。。。自分の意見を言うときも、自分の意見を言いながらも相手側の意見や考え方も配慮し思いやれるはずなんです。

 

私が早くこの陰陽の統合の考え方がみんなの“当たり前”になるといい。。。って思うのわかっていただけますか?

この考えがもっと普遍的に人々の中に広まれば自然といろんな物事が平和的な解決へと導かれていくはずだと思うんです。。。

 

私は小学生ぐらいの頃から、誰かが誰かのことを「性格が悪い」って言ってるのを聞いて、この言葉にいつも違和感を感じてました。「そもそも人の性格って良い悪いで判断できるの?人間ってそんなに簡単なもの?」ってね。。。ま、そんなことを考える小難しいガキだったわけですが、半世紀生きてきた今でもやっぱりその考えは合ってたよな。。。って自分ながら褒めてあげたくなりますよ。多分人に対しても物事に対しても多面性を持ち合わせているもんなんだろうと思うんです。

 

人間が生きていく上で、この二元性を用いてモラル的な方向性を示す必要性があり、世の中を治めてきたっていうのは悪いことではなかったと思います。でも現在においても、グレーゾーンに属している事柄があまりにも多い。。。ってことですよね。そのグレーゾーンに属している事柄を扱う時、個々が自分にいろいろと問いかけながらいろんな角度から物事を見ながら答えを出していかなければならない、ってことだと思うんですよ。

 

ホントこのね、自分の中の闇を否定する善人のジャッジメントのエネルギーって、羊の仮面を被った狼、みたいに人を容赦なく傷つけるエネルギーにもなり得る、ってこと、こういったジャッジメントを受けたことのある人であれば私の言っている意味すご〜くわかっていただけるのではないでしょうか。。。。

 

大切なのは、自分がそういったことをわかってるわかってない、ではなく、今までの二元性の考え方が行き詰まってきているんだ、ってことを理解して、何かが起こった時にその都度その都度謙虚に自分自身を振り返ってみるってことですよね。その中で、自分がわかっていなかったな〜って思う部分を見つけたり、自分に優しさ、思いやりが足りなかったと思えば一つ一つそれを直して同じことを繰り返さなければいいだけのことなわけで。。。

 

人間なんて人間一人一生かけたって学べることがなくなることなんてないと私は思ってるんです。おごっちゃいかん、他人に対してというより、まず自分に対して謙虚でありつづけたいものです。

 

自分の中で闇を見つけて限りなく黒くなりそうでも諦めないで、光を選べるそんな強さを持ちたいですね。光が選べた暁にはその都度どんどん優しい人間になれてるはずですから。。。照れ愛

 

。。。次は今日お話したグレーゾーンの中でこれから観念として理解しておきたい“正義感のエネルギー”と“被害者のエネルギー”についてお話ししようと思います。照れ飛び出すハート

 

許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜UMAくん音譜

 

星影