吉野山 ああ吉野山 吉野山 涙の別れ編 | The World of Euphorian'Z

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Euphorian 星影つきよの 〜*〜EUPHORICな世界〜*〜

おはようございます。星影です。流れ星

 

お日柄もよく素敵な週末になりました。皆さんいかがお過ごしですか?

今日は小話として、以前お話ししていた吉野山での不思議な経験の続きをご紹介しようと思います。

 

実はこのお話は全体をまとめてお話しするのは初めてだと思います。ある意味数年を経て、ああ、そういうことだったのかもな。。。と思った、っていうお話なんですけど、歴史上の人物のことでもあるので少しお話ししていいことなのかな〜と考えてて今までこういう形で改めてお話ししたことなかったんですよね。

 

でも、最近こういう不思議な話をする、っていうことはそれが怪談だとしても、ある意味鎮魂の意味がある、っていうのを聞き、そういういう意味でもこの話をするのは意味があるのかも。。。と思いここでシェアさせていただくことにしました。

 

まず吉野山での不思議体験から。キラキラ

吉野山の金峰山寺からさらに奥に進むと、金峯神社という吉野山の地主神を祀っている古い神社があるのですが、そのすぐそばに義経の隠れ塔っていうのがあります。現在のものは再建したものらしいですが、そこには小さな塔が建っていてそこに頼朝からの追っ手から逃げていた義経と弁慶が隠れていたという話です。

 

私が最初に吉野山に行ったのは日本に帰ってきた姉が亡くなってからまだ間もない頃でした。ですから、私の義経に対する知識は学生時代に習った歴史上の人物。。。牛若丸で、弁慶という家来がいて。。。ってぐらいで、私にとっては最期に義経を守りながら身体中に矢を受けて大往生した武蔵坊弁慶の方が印象には残っていました。ま、とにかく子供の頃に見た時代劇の義経の印象が強く、好印象として残っていたっていう感じではあります。でもそれ以上の歴史的な知識はかなり忘れてましたし、私にとっては歴史上の人物としてそれ以上でもそれ以下でもない、と言いますか。。。ま、そんな感じです。

 

で、そこの隠れ塔まで行きますと、小さな木の看板。。っていうかなんて言うんですかね、そういうのが立っていて、そこには、以下の言葉が書かれています。

 

”吉野なる深山の奧のかくれ塔

 本来空のすみかなりけり”

 

この和歌を唱えながら、行者さん達はこの隠れ塔の周りをグルグル回って修行をしたんだそうです。

私はもちろんこの文言は覚えてなかったのですが、最後が〜なりけり、で終わってた、ってことと意味が行者の修行に関係なくない?っていうようなものだったっていうことだけ覚えてて、ネットで 〜なりけり、隠れ塔、で検索したらすぐ見つかりました。

 

これを見つけて、役小角を始め山伏とか行者とか興味津々な私は「私も〜!」歩くと思って、誰もいなかったことをいいことにその和歌を唱えながらグルグル隠れ塔の周りを歩きまして、ちょうど3周して、「これくらいでいいか」と思った時、それは起こりました。

 

私はいきなり「義経さま〜。。。えーん」と言いながら、ボロボロと涙を流して泣き始めたのです。

悲しくて悲しくて涙がボロボロと流れてきたのを覚えています。えーんえーんえーん

 

。。。そして5分ぐらい経った頃でしょうか。私はけろっと元の正気の状態に戻りまして、「今のは何だ?」となった訳です。

 

ま、私自身が「義経さま〜」なんて言って泣くわけありませんから、「今のは誰?」ってことになるんですが、その時は「弁慶は最後まで一緒に行ったから違うよな。。。誰か他にお付きの人でもいたのかな。。。」ぐらいに思っていました。その後も別に何ら変わったこともなく、体調を崩すとか嫌な感じがするでもなく普通だったので、何だったのかな〜ぐらいでそのままスルーして一人旅を続けたんです。

 

その後私は何度も京都に一人で旅行してたんですが、ある時、二条城からちょっと先のお店でご飯食べようと思ってテクテク歩いてたんですよ。そしたら、右手に鳥居が現れて「神泉苑」って書いてるから、「これは神社なの?お寺なの?」と思いながら立ち寄ったんです。早速ググったら、義経と静御前が出会った場所で、(大好きな飛び出すハート)弘法大師様が雨乞いをしたとかあるじゃないですか。見るとこいっぱいでご飯そっちのけで1時間半ぐらい広くない境内をうろうろしてたと思います。その時ですかね、そう言えば静御前って義経のLove Interestだったなってことも思い出しました。

 

そしてその旅からも帰ってきてまた少し経った頃、ブラッと立ち寄った古本屋で何気なく本を見てると、ぴゅっと目に止まった単行本がありまして、(ちなみに本屋に行くとよくそういうことがあります)それが『静御前』についてだったんです。そしてそれをパラパラとめくって立ち読みしたんですが、静御前と義経が最後に会ったのが吉野山だった、ってこと、そして静御前とその子供の行末などが書かれていたと思います。

 

それを読んだ時、それ以前にお参りしたことがあった弁慶と義経にゆかりのある鎌倉のお寺や、静御前の子供が殺されたという由比ヶ浜での海水浴なども思い出し、つくづく義経様関係にはご縁があるんだな。。。と思い始めたんですね。

その時、吉野山で「義経さま〜」ってボロボロ泣いたことも思い出して、「じゃあ、あれはもしかしたら静御前だったのかな。。。」なんてちらっと思いましたが、もちろんわかるはずもなくその時もこれまたスルー。その本も買ってません。

 

ちょっと余談になりますが、私がご縁を感じたお寺や神社には通常3回はお参りして、御朱印をもらうようにしている、っていうのはお伝えしたかと思いますが、もちろんこの神泉苑もその後も来て3回お参りさせていただき、静御前の御朱印もいただいてきました。静御前の御朱印は確か3回目で頂いたと思います。(あそこは沢山御朱印がある)そして、私がご縁を感じたっていう時って、何かしらやっぱ印象深いことが起こると言いますか、歓迎していただけてるな、と感じるようなことが起こるんですね。例えば動物が集まってきたり天候、風、雲、太陽の光、などを通しても感じることがあります。由比ヶ浜での海水浴の時もこれでもかっていうくらい泳いでる私の周りで、30cm近い魚が何回も跳ねてたことが印象に残ってます。神泉苑の時はまず初回は雨乞いの龍神様らしく雨でしたが池のでっかい鯉がゴボッと2回ぐらい跳ねてまして、鳥達が集まってきて可愛い可愛い。そういうのもあってご縁を感じたんですね。

(この時のこと以前書いたことあったような気がしたんで探したらありました。この時の可愛い鳥達が写ってます。飛び出すハート鞍馬山のちょっぴり不思議な写真もお見せしてます。)

 

ご縁のサイン 2017-06-11

https://ameblo.jp/euphorianz/entry-12282815477.html

 

。。。ま、そんなこんなで神泉苑とも無事ご縁を結んだ私は、その後もこれまたご縁をきちんと結んでおこうと3度目の鞍馬山へ行きました。

 

鞍馬山は若きし頃の義経が天狗と修行をした、と言われており義経公供養塔があります。平泉でこの世を去った義経の魂は鞍馬山に戻ったと言われているようです。で、私は鞍馬に行った時はケーブルカーには乗らずテクテクと歩いて色々お参りしながら鞍馬寺まで登るのですが、途中にある義経公供養塔まで来た時、静御前のことを思い出しました。

 

心の中で、「向こうの世界で二人が幸せになっていますように。。。」と願いながらその時たまたま持っていたキスチョコ2個をちょこんとお供えし手を合わせたんですが、その途端に、またブワッと涙が込み上げてきました。その時は私が私でなくなることもなく、オイオイと泣くことはありませんでしたが、「あ、喜んでくれたのかな。。。」とは感じましたね。

 

この「義経さま〜」の経験は、以前私が寝ていて経験した悪いものが背中からズルッと入ってきた時の感覚とは全然違ってて寒くもなければ気持ち悪くもない、言ってみれば私と一体化してる感じでした。私としては私でない誰かの感情を私の体を通して味わうのは正直言ってあんまり気分は良くないんですけどね。私を通して泣いていたスピリットが静御前であるかどうかは私にはわかりませんが、私が感じた限りでは、変な恨み辛みみたいな感情は全くありませんでした。ただただまっすく義経様に向けられた愛情ととにかく悲しい、傷ついているという感情って感じです。後一つ加えるとすれば、悲しみのあまり持ってしまっただろう男性に関わると不幸になる、という嘆きにも似た感情。もし静御前だったとしたら無理はないですよね。白拍子っていうのは言うなれば高級娼婦でしょう?愛した男性とは結ばれるも幸せも束の間その人は実の兄に殺され、愛する人との子供は男子だったからと産まれてすぐ殺された。。。自分は踊りたくもないだろうに囚われの身でありながら踊らされている時、静御前は一体どんな気持ちだったんでしょうか。。。

 

私を通して泣いていたスピリットが誰であれ、あまり良い男性経験をしてきたとは言えない私であってもここまで絶望はしてないんだけどな〜と思うので、正直こういう形で私と同調して欲しくはないというのが本音と言えば本音なんですが、それでもここまで誰かを追い詰めなければならなかった時代、ってやっぱり変わるべきして変わって来たんだろうなと思います。義経と静御前って800年以上経ってもなお、こうして悲劇のヒーロー、ヒロインとして愛されてはいる存在なので、私はきちんと供養され成仏もされているとは思うのですよ。エネルギー的には神様的位置にあるんじゃないでしょうか。実際ほんと怒りとか恨めしいとかそういう感情は一切なかったですし、悪いものから感じるような暗い、冷たい、寒い、臭いとか全くありませんでしたから。ただ、私と一体化しているように出てくる感情表現を私はどう捉えれば良いのか。。。って気はしますし、場所にエネルギーってものが残っていたっていう可能性や。前世の何かが関係している可能性もなきにしもあらず。。。考えると色々出て来ますが、今のところ深追いせずスルーしてます。わからんもんはわからん、わからなければならない時に自ずとわかるやろう。。。というのが私の基本スタンスです。

 

とりあえず、傷ついた気持ちを思いやるとか、こんなことは繰り返されてはならないという歴史とか、そういうことをちゃんと伝えていくことも鎮魂に繋がるし、やっぱり大切かもしれないな。。。と思い今回お伝えすることにしました。吉野山で私について来た(かもしれない)義経さまを慕う霊魂を私がその背後の歴史を理解しながら、義経さまの魂がいる鞍馬山へ連れて行ってあげることができた。。。のかどうかは分かりませんが爆笑、私を通して泣いていたスピリットさんも喜んでくださってるといいなと思います。

 

ちなみにあの時鞍馬山で義経公供養塔をお参りして以来、静御前らしきスピリットを感じるようなエピソードも全くなくなりましたよ。ウインクラブラブ

 

こちらは神泉苑でいただいた静御前の御朱印です。

 

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吉野山に関するお話は他にはちょこっとはありますが、大きいのは今のところこのくらいですかね。。。実は吉野山はまだ3回のご縁結びはできていないんですよ。西行庵もまだだし、またそろそろ行かなくては。。。ですね。新しく面白い事あったらご報告します。ウインク飛び出すハート

 

許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜UMAくん音譜

 

星影流れ星