Water, Water……、


で思い出すのはヘレン・ケラーですが、木曜夜、またまた東京ミッドダウン 21_21 DESIGN SIGHT『water』展のオープニングレセプションに行って参りました。






佐藤卓ディレクション、コンセプト・スーパーバイザー:竹村真一


「水」をデザインした展覧会と捉えてよいのか、

「水」の在りようをデザインで見せた展覧会と捉えたらよいのか、

当然ながら非常にコンセプチュアルな内容でしたが、流石の美しいディレクション、デザインワークを堪能させていただきました。





「SKY WATER HARVESTERS(天の水を集める人々)」


逆さまに吊られた傘と、立ち位置。

「雨をさけるための傘は、逆さまにすれば、雨を集める道具ともなる」






題名はなんだったのか。

会場外に立てかけられた巨大な傘。

むこうにぼんやり見えるのが、普通サイズのオトナ。





「見えない水の発券機」


蝋細工の食べ物がならんでおり、その先に発券機。








オムライスとバターを引いてみると、





バターひとかけ、オムライス1個を作り出すことに使われる水の量。

見えない水の計算が大きい。
(例えばバターは牛一頭育てるところから水の計算が始まる)



等々、他にも色々な興味深い展示がありました。


撥水性の紙皿の上で美しい動きを見せる水、言葉で表現される水、音という姿で表される水……。


気になったのが、体重計ならぬ「体水計」

体重計の形ですが、乗ると身体の水分量が測れる。

キッズ用、ミドル用、シニア用にわかれているのですが、そこでふと、アリストテレスの「老いとはすなわち乾燥である」を思い出し、ひそかに「ぞぞっ」



昨年、水戸芸術館で開催された「佐藤卓展『日常のデザイン』」を観に行った際、佐藤氏と竹村氏のトークセッションを拝聴する機会に恵まれました。

主題については忘れてしまったのですが、デザインと人間について、デザインワークの可能性というようなことだったと思います。

結局、文化人類学者の竹村氏が話されるということは、ぐぐっと話がそっち方向へ向かう運命となっており、デザインについての話題は弱冠ケムにまかれながらも佐藤氏の絶妙な話術による合いの手とともに、人、環境の話をじっくり伺うことになったわけなのですが、非常に興味深かった。


「飽食」「放食」の日本、毎日33,000トンの食物が食べられることなく捨てられ、その廃棄コストは実に33億円。その裏で、世界では人口の8人に一人、約8億人が飢餓に苦しんでおり、2~3秒に1人、毎分24人が栄養不足のために亡くなっており、実はこの日本にも約65万人にのぼる飢餓(栄養不足)人口が存在するという事実も。でもって、廃棄される食料のうち、1/10だけでも再分配ができれば、日本国内で飢えている人はいなくなるそう。

これって、どう思う?

とか、

『地球に優しく』って言うけれど、べつに人間が地球に何しようが地球はビクともしなくて、人間が今のままだと生きにくい環境になっていくということだけだ。地球が窒素に覆われていた頃には今の人間が生活するなんて無理だったし、逆に太古の生物にとっては、今地球を覆っている酸素が猛毒だったりもするわけだ。なのにどうして人間ばかりが上から目線で「地球に優しく」なのだろう。

これって、どう思う?

とか。


完全にペースに巻き込まれて「へええ~」と感心しつつ、ふと、「そんで、デザインはー?」と皆が思い出した頃、

「でね、佐藤さん、僕はデザインの力こそが、ここに必要なんだと思うんですよ」

といきなり来たのでビックリしましたが、要は何だって繋がっている。

デザインの力は、きっと何かを変えられる。

私もそう思う。


そして、今回の『WATER』では、竹村氏を始めとするいくつかのクリエイターの作品は、私達がユビキタスとしての水の在り方を過信していることを暗示しているようでした。







じっくり観て戻ってみると、会場の外は宴もたけなわ。

流石、佐藤卓さんの企画展とあって、グラフィックデザイン界の重鎮の皆様方が大勢おいでで、ひたすら華やかでした。


ミッドタウンの秋の夜更け、大学時代の友人にも会い、恩師にも会い、久々にデザインの話などしてしまった、ちょっと懐かしくて刺激的な宵でした。



   Solomon R. Guggenheim Museum


「生涯学習から見た美術館活動」についてレポートを書けと言われ、同時に考えたことをちょこっとこちらに記しておこうと思います。

真面目です。

結構、カタイです(笑)。




生活に於いての美術館との関わりを考える時、先ずは海外との事例や環境の差を思い浮かべてしまう。

例えば数年暮らしたニューヨークでは、東京と比べると、街と美術館の関係がもっとずーっと密接だったような気がします。




   Jasper Johns "FLAG"


週約1回のペースでフリーナイト(入館料無料の夜)が設定されている美術館は多いし、ミュージアムマイル(セントラルパークの東側、美術館、博物館が立ち並ぶ5番街82丁目から105丁目の間)では毎年、6月第2火曜日の夕方に、ここいらの美術館が無料開放される Museum Mile Festival が催され、9つの施設に自由に出入りできます。

この日、5番街は車両通行止め。

ミュージックライブやパフォーマンス、キッズ対象のフェイスペインティング、チョークで路上にお絵かきなどなど、楽しい催し満載で、初夏の夕暮れ時、気楽にアートを楽しめる絶好のイベント、皆が心待ちにしている大切な行事になっています。

これは1978年、財政危機下にあったニューヨーク市が、アートの支援を高める為、そして新しい入場客を増やす為に、5番街沿いに立ち並ぶ美術館、博物館の協力を得て、市民に一日だけ全館無料で開放するイベントを行ったことが始まり。

その年の6月に行われた第一回目のフェスティバルは大成功、ニューヨークが誇る優れたアートを多くの市民、観光客に身近に感じさせただけではなく、イースト・ハーレムや高級住宅街アッパー・イーストサイドなどのご近所から、ダウンタウンのヴィレッジ、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリンに至るまで、広域から人々が集まりニューヨークシティーがひとつになる歴史的な一夜となったそうで、これをきっかけに誰でも気軽に美術鑑賞ができる風潮が定着したことで、その後の各美術館の入場者数を大きく増やし、現在でも市の活性化に大いに貢献しているのであります……。

めでたしめでたし。


無料開放に費用のリスクは生じるかもしれないけれど、この様な企画は、先を見越した大変賢い投資であるとは言えないか。

似たような提案として、東京の公的な美術館や博物館が一斉に無料になる日が年に一度設定され、大々的なイベントにしても良いのではないかと思うのですが、いかがでしょう?




   国立新美術館


今、ヒルズのミュージアムを皮切りに六本木の一連の美術館プロジェクトが始動に至り、ビジターの層を見るにつけ、上野の美術館、博物館に於ける観客の層と比較して、新たな客層を作ることに成功したようには感じます。

会社帰りに夜景と共に美術を楽しむとか、館内で有名フレンチを楽しむなどの機会が与えられることは、生活の中に新たな美術鑑賞と関連した余暇活動の機会を増やすこととなりますし、様々なアプローチから客層を増やす試みを持つことは、良い姿勢だと思うのです。

でもなぁ、「これで、一般市民の間に美術館文化が根付くのか?」と考える時に、やはり若干の違和感を覚えてしまう。

バブル時代、セゾン美術館を始めとした百貨店の美術館活動は全盛期を迎え、当時はあれで、美術館文化というものが日本の土壌に完全に根ざしたのだと思わせるほどの活気に満ち溢れていました。

けれど、ひとたび経済が崩壊して数々の美術館が閉館に追い込まれた後には、蓋を開けてみると、美術館が減っても大抵の人は困らない、若しくは気付かないという、悲しい現実が待っていた。

もし例えば欧米で、数多くの美術館やギャラリーが閉鎖に追い込まれることがあったとしたら、どうでしょう。

市民はもっと怒り、悲しみ、ジャーナリズムも大きく取り上げる筈なのでは。

やはり、美術館で美術を鑑賞する文化というものは、企業先攻型の経済活動の一環として発展するよりも、街ぐるみ、都市ぐるみの協力体制を基盤とした、生活や教育の一部として関わりを持ちながらの発展を無しに、真の文化としての定着は難しいのではないでしょうか。




   モネの「睡蓮」の前で  at MoMA


昔、平日の昼間のホイットニー美術館で、印象的な光景を目にしたことがあります。

カルダーの作品を集めた小部屋で《La magie Calder(カルダーのサーカス)》のビデオに見入っていたのですが、そこへ教師に引率された小学校低学年程度の児童十数人のグループが入って来て、先生のレクチャーと共に鑑賞を始めました。

「うるさいと嫌だなぁ」などと密かにつつビデオを見続けていると、予想に反しておとなしく楽しそうに観て回っいたので「ほっ」

暫くして気付くと、小さな子供達が抽象的なモビール作品を真面目顔で眺めながら、先生を前にあれやこれやと意見を交わしておりました。

幼い頃から学習のプログラムの一環として、本物の美術を(しかも現代美術を)鑑賞させ、意見や感想を自分の言葉で言わせる。人数も理想的。

ニューヨークという環境そのものも恵まれているということは否めないのですが、私の子供時代にはまずあり得なかった教育。

感想をきちんとした言葉に置き換えて表現させる動機付けは、アート作品を注意深く鑑賞する動機付けになると同時に、アートそのものに対する興味をも効果的に芽生えさせるきっかけとなる筈です。



今の時代は、日本でもそれぞれの美術館で様々な良い試みがなされているとは思うのですが、参加しようにも告知方法のまずさか、こちらへはいまひとつ効果的に伝わって来ないことが多いように感じます。

大勢の人々に、特に子供達に、本物の美術作品と気軽に触れ合ってもらえるような機会が積極的に作られ、大々的に告知されることを望みます。

それが必ず、美術館文化というものが国民ひとりひとりの生涯に渡って根付く流れを育むものになると、信じています。

合掌~。



※ そんなわけで皆さん、文化の日に無料になる美術館が数々あること、ご存知ですかぁ?

 「芸術の秋」でございますよ。





「ワイン会」というものがレストランにとってウェルカムなのか、そうでないのかは、そのお店やシェフ、スタッフの心意気によって違って来るものではないかと思うのですが、とにかく10人で10本のワインを持ち込めば、お店は百個のグラスを用意しなければならないのですから、「大変よね~」と、陰ながら同情するのであります。

もちろん「持込み代」というものはお支払いしますが、良いレストランになればなるほどグラスも大ぶりで繊細になりますから、扱いも面倒且つ慎重になり、「本当に大変よね~」と、同情プラス心からの尊敬をするのであります。


ここ、恵比寿のフレンチ「モナリザ」さんは、そんな中でもとってもホスピタリティ溢れるサービスで迎えて下さる最高のお店のひとつです。



先日伺った時はまさに10人で10本のグラス100個コース。

その前に伺った時には12人で12本でしたので、私達が去った後、スタッフの皆さんは144個のグラスを洗って磨かれたのでしょう(涙)。

私達が到着する前に、グラスにはそれぞれポストイットで1~10の番号が付けられ、サイドのテーブルにきっちり並べられているのです。




こちら、河野シェフのお料理は勿論最高です。





プレゼンテーションも美しく、味わいも見た目通りの華やか且つ繊細さ。





お皿が進むごとにどんどんグラスも増えていきます。





デザートあたりで9番、10番を飲み干せれば理想的な進行具合なのかもしれませんが、こちらに伺う場合はお料理に合わせて名醸ワインとすることが多いので、それぞれをゆっくり楽しんでしまう為に、最終的にテーブルの上はグラスの海となるのです。





美しい。

しかし、スタッフの方々にとっては「惨状」なのだろうとお察ししますが……。



レストランでのプロのサービスにはいつも感謝しておりますが、「ワイン会」ではその3倍くらいの敬服を申し上げます。

本来なら足を向けて寝られないのですが、感謝対象は東西南北に点在しているので仕方無く、部屋のレイアウト通り銀座方向へ足を向けて寝ております。





       最後にワイン空瓶集合写真。酔っ払いブレブレショットバージョン。






久々の東京ミッドタウン遠征。


べつに遠いことはないのですが、余程の用が無い限りは滅多に参りません。

週末の人混みカオス状態しか体験していなかったもので、ついつい足が遠のいていおりましたが、平日の夜の状態はなかなか素敵でした。


天井高く贅沢なつくりの地階フードコートは閑散として、完璧な空調はすうーっと心地良く、ほんのり異国のハーブやスパイス、フレッシュフルーツの香りなどが漂ってきます。

美しくディスプレイされたガラス張りのサダハル・アオキやジャン・ポール・エヴァン内には、ゆったりと品定めをする客と丁寧な対応をする店員が透けて見えます。

もはや土産物を探す特別な場所としてのお役目は引退しつつある DEAN & DELUCA 店内には、エグゼ風ビジネスマンやOLが品良く今晩のおかずやデザート、酒のつまみなどを選んでおられる姿が見受けられ、人種も適度に豊か。

ここに、キッチンで切らしていたピンクの岩塩を見つけ、小パック3つを掴んでレジに並ぶも、キラキラの紙に包まれたキャンディーや、きれいなミント、チョコレート、キャラメルに目眩、

高級デリカテッセン、コーヒーとフルーツジュース、ヴィネグレットの混じった香り、異国語の会話……、ここは何処ぉ~?

完全にマインドトリップし、ボケーッとしていたら、「お次のお客様~?」と、きれいな優しい声で呼ばれてしまいました。

ああ、ここでレジのお姉さんがもっと厳しく「NEEE~~~~XT!!」と怒ったように叫んでくれればカンペキなのにぃ……、と思っている自分に気付き、ひとりニヤニヤ。


かくして、平日夜の東京ミッドタウン、フードコートは、私の隠れニューヨーク場所(ミッド~アップタウンバージョン)として記憶にエントリーを果たしました。



* * * * * * * * * *


さて、前置きが長くなりましたが、東京ミッドタウンに参上の理由。


21_21 DESIGN SIGHTで催される展覧会「THIS PLAY!」のオープニングレセプションに参りました。





DISPLAYの進化形「THIS PLAY!」をテーマに、ファッションデザイナーとその仲間たちが安藤忠雄の建築21_21 DESIGN SIGHT で遊びます。
参加することで変化する服やゲームシーンとファッションの関係、見て感じる展示など、全てが実験的な試みです。
ガビガビになったファッションを脱ぎ捨てフレッシュな自分と遊んでください。


(本展担当ディレクター津村 耕佑からのコメント より抜粋)


ゴミゴミした受付を通過し見回した会場の中は、遊び心に満ちた楽しい空間でありました。


入り口のケータリングコーナーでは、透明のプラスティックカップに全部で8色ほどのカラフルな液体が並んでいましたが、「これ、なんですか?」と聞くと、「あ、水です」と。

「え、全部水ですか?」

「はい、リキュールで色付けただけです」

では、ということで、一番毒々しい、ブルーキュラソーで真っ青になった発泡水をいただきました。

リキュールの味で、ほんのり甘くて炭酸にマッチして美味しい。

なんか、やられた。

ちょっとしたアイディアですが、展覧会のコンセプトとリンクしていて、巧いなと感心しました。

いつもだったら、私達が先に考えつくタイプの発想なんだけどー……、と微妙に敗北感。



さて、展示。


福笑いならぬ、服笑い

『服で福笑いして遊びましょう!が、コンセプト』という分かり易さ。

皆さん、とても楽しそうに遊んでいました。






こちら、タイトルそのもの DISPLAY

『服とマネキンと照明という最小限の要素による展示で、消費社会におけるDISPLAYの原点に目を向け、新たな可能性を探った作品』だそうです。

いやあ、そこには気付きませんでしたが、きれいな作品でした。
質感がクール。






一生を着る (Wear throughout Life)






Puzzling Wall






スペース パッチワーク

石にパッチワーク、面白い。






そして、造形作家の田宮奈呂氏による、奈呂星人六本木観光

量感のある、とてもきれいなフェルトの作品です。


奈呂馬星人





奈呂赤星人(奈呂馬星人の長女だそうです)






絵本を買いました。





内容は無いよぅって感じで(すみません)、人形5体のプロフィール絵本ですが、オシャレでちょっとおマヌケなところが奈呂氏本人の自己紹介のような感あり(マブダチなので)。






かわいいので、フェルトの奈呂星人ボールも買いました。





こんなものが自分で作れるのなら作ってみたい~!と思った矢先にこんなイベント発見。

ワークショップ「フェルトを作ろう!」









好きな色の羊毛が、フェルトになる過程を体験。皆で大きなマットを作ります。
参加クリエイター:田宮奈呂



ボールではありませんが、カラフルなフェルトマットを作るなんて貴重な体験かもしれません。

参加したいのはやまやまですが、

第1回 9月17日(祝)13:00~16:30 小学生対象
第2回 9月24日(祝)13:00~16:30 中学生以上対象

となっているので、お子さんに譲ります(涙)

第1回締切は9月13日(水)、第2回締切は9月20日(水)ということなので、お早めにどうぞ。






会場を後にする前に、嫌がる作家に無理矢理サインを強要して帰って参りました。

(投げやりなサインをくれました)


もっともっと活躍の場を広げて、凄いアーティストになって欲しい。

そしたら、このサインを自慢します。





THIS PLAY! 展
会期:9月11日(火)~9月24日(月・祝)
東京ミッドタウン、21_21 DESIGN SIGHTにて

※会期が短いので、興味のある方はお早めに~。





15、6年前、敬愛する母の従妹が出した本「LAQUER & SILVER」は、溜息が出るほど美しい、漆と銀が織りなす東洋と西洋のハーモナイゼーションを食卓上に見せてくれました。

以来、ことある毎に銀器や黒い漆に目が行き、許される限りは買い集める年月。

黒と銀でパーティをまとめるのも大好きです。



しかし、世の中に何故か真っ黒な漆の供給が足りていない。

デパートの漆売場など見ても、

「朱が主流なんでねぇ。地味だし中身がきれいに見えないから敬遠されるんですよ」

なんて言われて、あっても濃い溜塗りがほとんど。

地味? きれいに見えない? そうかあ???


まぁ、オーダーすればよいことなのですが、やはり「出会い」を求めてしまいます。

出会える場所で咄嗟に思いつくのがニューヨーク高島屋の3階「ホームコレクション」ですが、かと言って遠過ぎるので、今はたまにアンティークショップで気に入ったものを見かけると即買いしてしまいます。

そして出会ってしまった京都「うるわし屋」さん。

Montrachetさんのブログで見て、

「行きたい、行きたい~!!」と思っていたのですが、祇園祭の際に訪問叶ってがっつり散財しました。

艶やかな漆黒が「これでもかーっ!」と角膜を通過し脳を刺激してくるのです。

しかも、NY高島屋にこんなクオリティのものは無い(という淡い記憶)。

銀器にも素敵なものが色々ありましたが、当然いっぺんに頂くわけにはいかないので、漆に集中しました。





そして、この戦利品を生かすべく到来した宴ネタ。

「神宮花火大会を窓外に眺めながら暑気払いパーティといきましょう!」と、ワイン仲間に声をかけ準備に突入。


そして実家に赴き、箱に入った銀器を持ち出し、並べてみる。





こちら、アンティーク家具屋にひっそりと佇んでいた1920年代の燭台ということでしたが、今回は花器として使用しました。






当日、写真のことなど忘れており、ほぼ食い尽くされた食卓をパチリ。





もう、セッティングというよりはバラバラに放置された感じになり果てていますが、やっぱり黒と銀て綺麗。




彼方を眺める皆さん。





あの空の下はコンサートで大フィーバーしていたのでしょう。






翌昼、36度の猛暑の中、頭痛と共に目覚めた私。

天に突き抜ける夏空が更なる目眩促進に。





テーブル上に纏められていた空瓶を玄関先に移動しつつ、記念の集合写真をパチリ。





強者どもが夢の跡。

ここに運んだのは、空になった瓶だけですけどね……。