本日は「アイスクリームの日」なんだとか。


朝っぱらからJ-WAVEで別所哲也がそう叫んでいたので、「へー、そーなんだ」と知っただけですが。


なんでも、

日本初のアイスクリームは、1869年(明治2年)5月9日 (旧暦)、町田房蔵が横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売したものである。「あいすくりん」という名称で、一人前の値段は2分、現在のお金で約8000円と大変高価な物であった。

これを記念して、日本アイスクリーム協会が毎年5月9日(新暦)を「アイスクリームの日」と定めている。

後に1899年7月、東京銀座の資生堂主人、福原有信が売り出して世に広まった。

(Wikipediaより抜粋)


てことで、今やピエール・エルメのアイスだって8千円も出せば山の様に買えるわけですが、当時の努力が今の日本のアイスクリーム文化の礎を築いてくれたのでしょう。

感謝合掌。





物心付いてからナポリ、レディーボーデンに始まる私の中でのアイスクリーム革命は、サーティーワン、リーベンデール、ハーゲンダッツ、グリコ・ジャイアントコーン、ホブソンズ……、などなど、それぞれが各時代に彩りを与えてくれました。


ちなみに、「日本人で初めてアイスクリームを食べたのは1860年に咸臨丸で渡米した遣米使節団であるとされている。」とのこと。

うちの曾爺さんなんかも咸臨丸に乗ってたクチなので、そう思うと感慨深い。

遺品に見る彼の後々のすごいアメリカかぶれは、もしかしてアイスクリームが旨過ぎたショックによるものかもわからない。



しかし、毎日なにかしら「ナントカの日」ですね。

ちなみに私の誕生日は「世界気象デー」だそうです。

てことは、毎日なにかしら祝うネタがあるってことですね。

そう思って意識して生活すると、案外楽しいのかもしれません。

今日はとにかくアイスクリームのことばかり考えて過ごす。

何処ぞのスペシャルなアイスクリームを買って帰るなんていうのもいいかもしれない。



そして明日は「愛鳥の日」、「コットンの日」、「たまり漬けの日」など。

コットンを纏って五月の風に吹かれ、雀、鳩、鴉などを優しい目で眺め、たまり漬けを食べましょう。


明後日は「鵜飼い開き」、「朔太郎忌」など。

鵜飼については縁遠い気もしますが、「鮎」という意味では大変有難い存在です。

世の中の鵜と鵜飼いの方々に感謝しつつ、口語体で詩でも詠って月に吠えようか。



わざわざ「なんかの日」に乗っかってしまうのも、何でもないと思っていた一日が潤った気分でいいのかもしれません。

プチ新たな発見です。


別所哲也よ、ありがとう。






数年前、「熱海再生計画」と銘打った、都築響一や村上春樹による座談会の記事を読んだことがありました。

延々と「都心から一時間足らずで行ける天然スパリゾートなのに勿体ない」、「どうしたら人が来るのか」ということを語り合っているのですが、年々驚く程の勢いで変化している熱海、善くも悪くも既に「心配ご無用」となった姿を目のあたりにする今日この頃です。



恒例となりつつあるGW2泊3日大家族ツアー、今年は熱海蓬莱旅館へ訪問となりました。

思えば一昨年の全く同じ時期にも比較的少人数で宿泊しましたが、その頃すでに熱海の雲行き(或いは風向き)は違っていた。

私ごときが言うまでもありませんが、現在「熱海バブル」です。



駅から蓬莱への10分ほどの道のりも、タクシーの車窓から眺める風景はマンション、マンション、またマンション。

「いやいやー、建つ前から全部売れてしまいますわ」と運転手さん。

「今ぁー、東京よりも高いですわ。そこなんか、リビングに二部屋付いたもんが1億4百万円。東京の人がポンて買うんだよねぇ。いったいどうなってんだろ」



そんな巷の諸事情からは一見浮世離れして見える蓬莱、先ずはチェックインまでの時間を洋館ヴィラ・デル・ソルのランチで過ごします。

ここから一気にタイムスリップ。





レストラン南葵文庫は、紀州徳川家の私設図書館として明治32年に麻布に竣工され、その後大磯に別荘として移築され、昭和62年にこの地に再移築されたもの。




豊かな歴史を感じる空間で新鮮な魚介ベースのコースを頂き、満腹ほろ酔い気分で5時間後の夕食を思い、長い階段ルートにて旅館へのアプローチをいたしました。




打って変わって純和風、節句の稚児人形によるお出迎え。



浴衣に着替え、再び過酷な階段を下り温泉でひと風呂頂いた後、部屋で涼しい風に吹かれながら読書、うたた寝などを繰り返すうちに間もなく「夕飯」の声。





ところで熱海の温泉旅館てところは、文筆家にでもなってしまいたくなる風情です。

熱海に限らず、箱根だろうが修善寺だろうが一緒かもしれませんが、時折聞こえるザーンという波音と、ザワザワ揺れる木々の音は、雑念を忘れて無心に何かの本質を求めたくなるような、そんな気持ちにさせるBGMです。



おばあちゃんをはじめ、義理の両親、義兄夫婦+姪、義妹+甥×2、我々と、総勢12名軍団は当然のように「宴会場へ」といざなわれるのですが、初めて目にするここ蓬莱の宴会場は、私の「旅館の宴会場」のステレオタイプな視点を覆す、なんとも上品な空間でした。




質良く大変美味しい料理が適量ずつ美しく盛られ、大変満足するも、ありがちな「すごい満腹」にはなりません。




しかし、最終的には美しく設えられた段も、子供による演芸発表の舞台となります。



翌朝、隈研吾デザインの露天風呂に浸かり、朝食をとった後にダラダラしていたところ、仲居さんに促されて近所の伊豆山神社参道の五百段の階段を上るハメに。

ただ温泉に浸かって食っちゃ飲んで寝ることを想像していた私&義姉のハイヒーラーズには、上りよりも寧ろ下りのほうが苦行に。




あまりに風景に溶け込んだ「入り口」。善くも悪くも「そんな扱い」。




階段両側面には普通の民家が軒を連ね、時折妙に楽しい偶像も見られます。



テキトーに参拝した後、日本で唯一ブルーノ・タウトの建築デザインが見られるという「日向別邸」へ。

タウトはドイツの有名な建築家ですが(奇しくも現在、ワタリウムで「ブルーノ・タウト展」をやっています)、ナチス迫害により亡命し、一時日本に滞在し、桂離宮を評価した著書が有名です。

なので、私などにとってはタウトといえば桂離宮ですが、乗せて来てくれたタクシーの運転手さんが、「ここは日向さんちの別邸なんだけど、本宅は京都の桂離宮にあるんだよね」と凄いことを教えてくれました。

何も言い返す気力が沸かず、「ああ、そうなんですか」で済ませてしまいましたが、罪なことをしたでしょうか。






「こんな小径の奥の鄙びた民家にタウトが?」と不思議な気持ちにさせるエントランスですが、まさにその家の地下に、タウトが内装デザインした空間が広がっているのです。






裸電球を吊るした照明、ひな壇のような段々作りの空間。面白い。


ガイドさん曰く、見学者の中でも学生や若手建築家は「へえー」と感心したように見て行き、中堅はむっつりと見て何も言わずに帰り、有名なセンセイがたは「うーん、やっぱりタウトは遊んでるな」とおっしゃるのだそうです。


しかし、ガラス窓のあちら側、本来うっそうとしているべき木々の密度があるところで妙にぽっかりと空いていて、雰囲気を変えている気がする。

「実はこの向こうに見える初島から来た中学生が、初島が木に遮られて見えないって言ったので、考え無しにそのまま役所に伝えたら、ある日やって来ていきなり大きい木を30本位切り倒しちゃったんですよ」とガイドさん。

嘘でしょー。

叫びそうになり堪えましたが、さすが熱海市。そこに全てを見た気がします。






旅館に戻って再び入浴とうたた寝後、2日目は洋館でのディナー。




大正7年生まれ。「感謝」と「幸せ」が口癖のおばあちゃん。




テーブルは「万俵な感じだね」と誰かが言った途端に、姪達による大介鉄平ごっこが始まってしまいます。



翌朝、最後の食事をとりながら、滞在中お世話になった仲居さんが談笑の中で、「そちらの窓から見える会社の保養所も、来年にはマンションになるそうですし、近隣にもコンビニみたいなホテルが軒を成して、うちも本当に大変なんです」とおっしゃっていました。

それも立場によって善し悪しなのでしょうが、熱海文化は何処にあるのか。

見送られ、駅へのタクシーの中でもまたマンション談話。

最近熱海を訪れる人達は観光にお金を落としていかないということで、タクシーも切実なのだとか。



今朝、大学で受けた「博物館概論」の講義の中で、現在の日本の文化的基盤について教授が語っておられましたが、戦後の日本を復興の最中に文化芸術に対する教育は極端に足りなかった。

親達の世代を見ていれば、そこへの教育が足りていない事はいやが上にも分かりますが、では熱海文化を担うべき次世代はどこにいるのか?

リゾートホテルにしろ、リゾートマンションにしろ、非常に東京モンの関与ばかりが目につく熱海。

もっと街に合ったレギュレーションを作ってもいいのではないか?

あまりにポテンシャルの高い街。このままでは、やはり勿体無い気がするのです。



頑張れ熱海!

いつの日にか、再び東洋のコート・ダ・ジュールに返り咲いてもおかしくはないのだ!!

(と私は思う)





最近、というか、5、6年前から頓に感じることですが、自分の世代の人がプロデューサーとして力を発揮している時代なんだな~と。



映画「ラブソングができるまで(Music & Lyrics)」を観てきました。

80年代ポップスのミュージックビデオを忠実に再現したようなイントロで、既に大ウケ。

更にコテコテなことには、VH1 の Pop-Up Video 仕立てになっており、完全に過去のものとして茶々を入れられながら扱われているという演出。

その後主人公が「あの人は今」的な番組に出されそうになるのですが、その共演者の羅列がまたドツボに嵌ってしまい、若者がし~んとしている中、独り大笑いしてしまいました。


ダサイ服、ダサイ髪型、ダサイ演出、当時はまさに自分もあれに夢中になっていたわけで……。

友達から聞いた話ですが、「音楽は17歳に聴いた物が一番心に残る」という説があるとのことで、まさにあの辺が私のドツボ中のドツボなのです。

週一度、土曜夜の小林克也を待ちわびたり、FENの「American Top 40」 を必死にエアチェックしたり、そんな自分の愛すべきダサイ時代が甦りました。

あの頃の方が、私にとって音楽は「貴重」なものだったような気がします。



映画は、一度大成功を掴んだ後、過去の栄光にすがって生活をしている主人公と、これまた過去に傷を持つヒロインの、再生とラブストーリーですが、現実に過去アイドルの再生のストーリーを見ることは稀で、ラブストーリー以上に励ましのストーリーとして気持ちの良い作品でした。

そして、制作者は同世代だなーと確信できてしまうあたりも心地良く。

今、時代は私達の世代にオイシイような気さえしてしまいます。

しかし、ヒュー・グラントの映画ってどれもこれもヒロインをキラッキラに輝かせますが、あれが彼の素晴しい持ち味なのだなーと久々に感心。


あんなヒロインになってみたかったものです。

(完全に過去形)




 * * * * *


ところで、打って変わってシリアス視点ですが、「あの人は今」で思い出した事。

8年ほど前、アメリカのテレビの「Behind the Story」という1時間番組で、「あの世紀のスーパースターはどうなった」という仕立てでレイフ・ギャレットの現在に至るまでを辿るストーリーを観ました。
(ご存じ無いかたはスルーで。でも、一応世紀のアイドルだったのです!)

もう悲惨極まり無く、ここまでチヤホヤ後の人生は狂ってしまうものかと、本当に気の毒になりました。

その他にも、もう少しソフトな「Where Are They Now?」という、まさに「あの人は今」というアメリカン・ティーン・アイドルのその後を紹介した番組がありましたが、毎度ポジティブな描き方をされつつも人生のピークを十代に設定されてしまった彼らの描かれていない苦悩と、芸能ビジネスの歪みを観るような気がしていました。





南青山 Velours で催された「キモノナイト」に行ってまいりました。



手ぶら同然で行きたいがために、お財布からお札だけ抜いて小さなバッグに突っ込んで行った私は、入り口でID提示を求められて慌てふためきました。

頼み込んで入れてもらったものの、「酔っ払って騒いだ時の為の身元証明」という意味で必要だということで、次回から必ず持って来て下さいと念を押されてしまった。

そんなに酔っ払って暴れそうに見えるのかって、……そいうことではありませんね。

受付では魔法の合言葉で良き待遇を頂きましたが、その際「お名刺を」と言われ、これまた「な、無い~」。

「社会人としての意識ゼロ」ということがよくよく判明した一夜でした。



屋内、かなりの混雑。

キモノに身を包んだキレイな姉さん達が微笑み、DJブースの彼女も当然キモノ。

なんとも国際色豊かな大盛り上がりパーティ空間でしたが、ガンガンにノリがいい音って、手っ取り早く一体感を作れるよな~と、改めて感心。

「着物じゃなきゃいけないの?」と聞いたら「全然」とのことだったので適当な服で臨み、お客のほとんども平服でしたが、

「この中で一番カッコイイのはどういう人かな」と連れにふったところ、

「やっぱ、キモノ着てる人でしょ」と。



(本人に許可取ってないので一応…)


理想的なパーティというのは、やはりひとつの感情、感動を共有できる集まり、もっと言えば、「お持ち帰りしたくなるような感動を共有できる集まり」だなぁ、と思うのです。

漫然と集まって、飲み食い喋り踊って帰り、翌日には忘れられているような集まりは、ただの「集い」と呼びたい。


私ももっとキモノを着よう。

テーマのあるパーティにはちゃんと「乗ろう」。



刺激的な夜でございました。


鯉のぼり



 カーペット敷きの床の上にひっくり返って、庭に面して開け放たれたガラスの引き戸の間から、高くて真っ青な空を突っ切ってぐんぐん移動していく雲を眺めていた。

 たまに、カタカタカタ……という音と一緒に、鉄のポールに括り付けられた大きな布の鯉がそよ風に煽られてぶわっと舞い上がる。

 同時に、部屋の中に温かい芝生の香りが吹き込んで来る。


 名も無き時間。


 弟がトコトコやってきて、「なにしてるの」と言って横に並んで仰向けに転がった。

「なにもしてないよ」

「なに見てるの?」

「お空」

「お空になにかあるの?」

「ない」

「じゃあ、どうして見てるの?」

「どうしても」

「どうしてもってどういう意味?」

「どうしてもはどうしてもなの」

「どうしてもはどうしてもなのってどういう意味?」

 こういう時の弟はしつこい。

「うるさいなあ、もう」

 ごろりと背を向けると、すかさず作戦を変えてくる。

「うるさいなあ、もう」

「やめてよ」

「やめてよ」

「やめな」

「やめな」

「いいかげんにしなさいよね」

「いいかげんにしなさいよね」

「むぎゅぅっ!」

「わーん、ママーっ、まーちゃんがつねったー」

「しっ」

 厳しい顔をした母が、人差し指を唇の前にかざし、もう一方の人差し指で部屋奥のベビーベッドを指した。

「どうしてそういうことするのっ」

「だって、」

 怒られて、恨みがましく見つめる先に、涙目の弟がむっちりした手で母のエプロンを掴んでいた。ちょっと悪いことをしたかなぁと思って、少し不憫になる。

「ダイヤモンドゲームやる?」

 聞くと、不機嫌そうな顔のまま黙ってコクンと頷いて、トコトコ付いて来た。

 私も弟も、退屈しきっていたのだ。



「ねー、今日はどっか行くのー?」

 キッチンで昼の支度をしている母に向かって叫んだ。

「明日からお出かけするんだから、今日はおうちでゆっくりするの。それに宿題あったでしょ。やっちゃいなさい」

「えー、じゃあ、たかしやまに行こうよー」

 弟が拗ねた声で叫ぶ。

「高島屋でしょ」

 すかさず訂正してやると、

「うるさいなあ、もう」

と、返して来る。

「うるさいなあ、もう」

「あ、さっきのまねした」

「あ、さっきのまねした」

「まねしないでよっ」

「まねしないでよっ」

「まーちゃんのばか」

「ひろちゃんのばか」

「あ、いまのはちがうよ」

「あ、いまのはちがうよ」

「だからーっ」

「だからーっ」

「ギャーッ」

 癇癪を起こした弟が金切り声を上げた。

「いい加減にしなさいっ」

 母が再びキッチンから怖い顔をのぞかせる。

「だって、まーちゃんが、」

「さっきは同じことしたんでしょ。自分が嫌ならやめなさい。そうじゃないなら喧嘩しない」

 怒られて、今度は弟がぷーっと膨れる。

「もうすぐお昼だから、パパ呼んで来てちょうだい」

 ぱっと顔を輝かせ弾かれたように駆け出す弟を追いかけ、二人でドタドタと階段を上った。薄暗い部屋でぐうぐう寝ている父の上に飛び乗って叩き起こす。

「ねー、どっか行こうよーっ」

「ぐうー」

「起きてーっ」

 父の上に馬乗りになってジタバタする弟を尻目に、枕の上に立って勢い良く雨戸を開けると、五月の光と風が部屋に飛び込んできた。

「こちょこちょこちょー」

 背後の父子はくすぐり合戦を始めている。

 階下から母の「ご飯よー」の声。そのまた後ろから妹のフニャフニャした泣き声。向かいの家からも兄妹が争う声がかすかに聞こえてくる。それに合わせるように、そこの家の犬が吠えている。
 カタカタカタ……、突風が鉄のポールを僅かに揺らす。遠くでガシャーンと自転車が倒れたみたいな音。壁にボールを打ち付ける音、お隣のお兄さんのレコードの音……。

「どっか行こうよおー」

 父の足にしがみついた弟が、諦めずに訴えている。


 庭の鯉のぼりだけが、我関せずの風体で気持ち良さそうに泳いでいる。



 * * * * *

ハワイなどに行く習慣の無かった我家のゴールデンウィークは、いつも結構退屈だったかも。

ダラダラなGW中盤、オトナになった今は夜な夜な出掛ける用事があるものの、まったりした昼間は今も昔も大して変わらないかなぁと、ふと思い出したのでした。