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Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

伊都国つうしん 106


● たい焼きにも「 天然モノ」と 「養殖モノ」がある??

   ちょっと前のヤフーにあった記事なので読んだ方もいらっしゃるでしょう。

 
   福岡は、糸島が天然鯛の漁獲量日本一、ということもあり、
   鯛は、魚屋でもスーパーでも、もっともよく出る魚です。
   天然はもちろんですが養殖モノもよく出ています。


   でも今回は、たい焼きの話です。

   たい焼きの「天然モノ」って? 「養殖モノ」って? 
   ええっ?? です。




 

           ヤフーで出ていた「ラジトピ」の記事。

           天然たい焼き “一時絶滅” の危機も
           増加傾向   だそう。

           たい焼きの 「天然モノ」「養殖モノ」を、
           自店舗の品を 「天然モノ」 として販売する
           たい焼き専門店、日本一たい焼き (福岡市)
           から聞きました ……… と。


           これ、あとで気づいたけれど、

           「日本一たい焼」で「き」はつかない。

           やはりネットニュースは、校正が超甘いなぁ。

 



この、日本一たい焼、わが家からクルマですぐの所にあります (笑)。
たぶんこのブログにも登場していると思う。


記事によると、
「天然モノ」 と「 養殖モノ」 の違いは、たい焼きを作る 『釜』 にあるとのこと。
「養殖モノ」 とは、生地を焼き型に流し入れて焼き、片側にあんこをのせて両側を合わせ、
一度に6~10個ほど焼き上げるものを指す。
これは、大量に販売するために考えられたものだそう。

一方、一度に1~2個までしか焼けない釜で作られたものを 「天然モノ」、
または 「一丁焼き」 と呼ぶそうだ。


「天然モノ」は、手間と時間がかかり、また熟練の技が必要でコストもかかる。
その分、養殖にはない皮のサクサク感を楽しむことができるそう。
 

まぁ、いわば 「昔づくり」 と「大量生産」 の違いを、
「天然モノ」 と 「養殖モノ」 と言い換えたわけですねぇ。

なんか、言い得て妙ってヤツです。

誰が言い始めたかというと、記事には、
2002年に発行された 『たい焼の魚拓』の中で、著者の宮嶋康彦という人が言ったのが、
最初だ、と言われているそう、とのこと。



 

        わが家すぐ近くにある 「日本一たい焼」。
        この日、小豆あんとカスタードクリームを頼むと
        「あん一匹、カスタード一匹ですね」 、という( 笑)。

        そして袋のたい焼きを渡される時
        「頭が上の一匹がカスタードです」 と(笑)。




 

        「日本一たい焼」 のサイトから。
         “天然モノ” を焼く釜、
         オリジナルの釜とのこと。
         焼き手を教育し検定試験も行っているらしい。
         全国に41店舗もあるそうです。




 

       上がカスタードクリーム、下が小豆あん。
       両方とも頭からしっぽまでしっかり。

       右のバゲットはやはり近くにある
       ドイツ人がやっているパン屋のバゲット。
       これもなかなかうまい。




● 話は変わり。

  ようやく、たった一つだけ生ったわが家のパプリカ。

最初は真っ白で、ええっ?と思っていたが、それが結構長い時間だったけれど、
だんだん色がついてきて、黄色味がかったあと、こうして赤くなった。


 

          それにしてもたった1個だけ。
          苗を植えてからたぶん2か月以上かな、

          たぶん虫にやられたんでしょう。

          たった1個だけど、
          ナミさんが何かの料理にまぜて使った。
          味は ……… 憶えていない (笑)。







 

伊都国つうしん 105

 

● 突然、「悲しい」 という字が読めなくなりました。

   例によって、夜、酒に酔いながら、ネットサーフィン(古い言葉か)していた時。
   なんのきっかけか、昔のことを思い出しました。


大学を、卒業式を出ないまま京都から、アルバイト先の東京へ出てきていた時代。
おそらく私の人生で、最も辛いと感じ、最も暗い、だったろう時代のことを。


その時代、高校の親友(当時東京の大学生)の友人と知り合いました。
初めて会った人ですが、なぜか気があったのでしょう。
辛く暗い日々を送りながらも、何度か彼とは、親友とともに会っていました。


それが、ある日彼から言われたのです。


「お前とは、会いたくない」
「お前に会うと、お前の悲しみが俺に、伝染るからだ」



そのとき、私が感じたのは、ショックではなく、
(あぁ、そのとおりだな) ……… でした。
それだけ自分の 「最悪さかげん」 を自覚していたのでしょうね。



で、その数年後だったと思います。

デビュー間もない井上陽水のある歌を、聞いたとき、
あの時の彼の気持ちは、そうだったのだろうな、と思わせる一節がありました。

その陽水の歌にあった一節、「悲しい人とは会いたくもない」。


確かに、よく分かる。
自分に近い感受性の持ち主が、苦しんでいるとき。
それが自分の大切な人、親友だったら、なんとかしようという気があるだろうけど。

そこまでの関係性でなければ、「お前とは、会いたくない」という、その気持ち、
なぜならばそれは、自分に伝染るから、という気持ち、

その気持ちは、当時もいまも、私は、よくわかります。
なぜなら、私もそう思う、からです。



ま、ともかく。
その感受性うんぬんは、置いておいて。


で、今夜、それは陽水のなんという歌だったかな………と、
うろ覚えで 「寂しい人とは会いたくもない 井上陽水」 と検索しました。


「寂しい」 ではなく 「悲しい」 だったのですが。

ネット検索で表れた 「悲しい人とは………」 の 「悲しい」 という文字が、
(あれっ、これ何と読むんだ??!) だったのです。

つまり、そのとき「かなしい」 が、読めなかったわけです。


よく知っている漢字が、(本当にこの字だったのか?) と感じる現象は、
これまでもよくありましたし、
それは、誰にでもあり、心理学で 「ゲシュタルト崩壊」 と言われています。


たぶん、それなのでしょう。


で、この 「悲しい」 の 「悲」 という文字、

「心非ず」 という文字は、おそらく 「泪」 とか 「淋しい」 のように、
日本で生まれた読み方、中国との意味あいが異なる(これは私見です)文字なのか、と。



再び、ま、ともかく。

なぜそんな昔の、そんなことを思い出したのかは分からず(たぶん酔っているから)、
ですが、
なんかとても不思議な時間、というか一瞬があり、
ある意味、それをとても楽しめたのでした。(なんじゃそりゃ、ですが(笑))


“悲しい人とは会いたくもない” …… と言った彼とは、
いまでも、お互いがよくわかるよき友人として、つきあっています。



 

         「悲しい人は会いたくもない」 は、
          井上陽水の
         「青空、ひとりきり」 の中の言葉。
          最初のパラグラフにある。

 

          (Uta-Net のサイトより)
 

伊都国つうしん 104


● 2つの二見ヶ浦の意味を、糸島出身の考古学者が ……。


   以前にも書いた「糸島日めくり」 には、さまざまな話題が載りますが、
   (面白そうだから、あとで再読しよう) と取り置きするものもあります。
 

  
 

   6月21日(古いですが)の日めくり。
   改めて読んで、とても興味シンシン。
 
   夏至の太陽は伊勢の夫婦岩より昇り、
   糸島の夫婦岩に沈みます。

   …… と書き始めている。




糸島に、観光名所として二見ヶ浦があることを初めて知ったとき、
あれっ、二見ヶ浦って、伊勢だよな、、、
何となく(二番煎じ?) のような感覚でした。

でもその後、櫻井神社を訪れて知ったことなどもあり、
どのような関係があるのだろう ……… とぼんやり考えていました。

それがこの日めくりの記事で、改めて、興味をそそられた次第です。

今回は糸島出身の、市井の、とはいえ大きな功績を残した考古学者の話を中心に。




「夏至の太陽は 伊勢の夫婦岩より昇り、糸島の夫婦岩に沈みます」

 ……… 知りませんでした。

ちなみに、両方とも 「ふたみがうら」 と読みますが、
糸島は 「二見ヶ浦」 と書き、伊勢は 「二見浦」 と書くようです。



こちらは、以前も紹介しました糸島半島にある 「二見ヶ浦」 です。

     

         糸島の観光名所「二見ヶ浦」。
         このブログでも何度か出ている。
         (写真は画像サイトより)


         この二見ヶ浦は、近くにある
         櫻井神社の社地。
         櫻井神社には、伊勢神宮の両宮が
         分霊された櫻井大神宮がある。




こちら、知らなかった夏至の日の、日の出と日の入り。


 

          東にある伊勢神宮の二見浦。
          夏至の、日の出。
          夫婦岩の間から太陽が昇る。
          (画像サイトより)




 

          西にある櫻井神社の二見ヶ浦。
          夏至の、日の入り。
          夫婦岩の間に太陽が沈む。
          (画像サイトより)




前述の日めくりの記事を(興味のある方は読んでみて)、
おおざっぱに要約しますと。


平原(ひらばる)遺跡(糸島にある)から出土した五面の大鏡のうちの一面が、
伊勢神宮に伝えられた ……… と、原田大六氏は考えた。

原田氏は、この大鏡が、伊勢神宮に祀られている 「八咫鏡」 と考える。
(八咫鏡 (やたかがみ) とは、天照大神から授けられた三種の神器の一つです)

なぜ伊勢に八咫鏡があるのか ………
それは、ひとつに「糸島の夫婦岩に相似する場所が伊勢に存在したこと」だ。



なんとなんと。

つまり、糸島のほうが先で伊勢のは後 ……、という話。


この日めくりの文責者は、
原田大六記念館の、月潭眞龍(げったんしんりゅう)氏(すごいペンネーム)。



原田大六(はらだだいろく)の名前は、

私が福岡に来て、当地の歴史の本を読んでいたとき出てくる名前なので、

既視ではありましたが、知識はゼロでした。

今回少し調べてみると。
糸島市の前原(まえばる)出身で、地元密着の考古学者です。
アカデミックではなく、やはり地元の考古学博士に師事し勉強した、市井の学者です。

とはいえ、その前原の平原古墳から数多くの遺品を発掘し、
考古学上かなりの実績を上げた人物のようです。

以前このブログでも載せた、国宝がたくさんある
糸島市立の伊都国歴史博物館の初代館長に予定されていたが、直前に亡くなった。
しかしその功績により、現在でも名誉館長となっているようです。



 

     原田大六氏。
     1985年に65歳で亡くなっている。
     この風貌。
     ケンカ大六の異名があったそうだが、
     アカデミックの考古学者に
     盛んに噛みついていたようだ。
     著書も論文もたくさん書いている。





 

  『実在した神話 -発掘された平原弥生古墳-』
   1966年、56年前に発行。



平原弥生古墳を熱心に発掘調査した原田大六氏は、
この古墳の被葬者を、なんと天照大神であると推量したのです。

それを証明するべく、『実在した神話』を書いたのですね。
序文で原田氏は、
神話は天皇を神格化するための物語であって、それが本当に実在するなんていうのは
狂人であると言われるだろう、しかし実在なのだ、と証明するのがこの本なのだ、
…… と書いています。

(原田大六氏の情報はウィキペディアより)



発行から56年後の現在、この本の存在はほとんど知られていませんね。
さすがに、ここ福岡市の図書館にはありました。


ムフフ、いったいどんなことが書かれているのだろう ……。
面白かったり、信憑性があると感じたら、その読後感など書いてみますね。




● いやぁ、もう毎日、暑い暑い。

  風はあるのに、海に行くのを考えてしまう、
  モチベーションを消耗させてしまうほど、暑い、熱い。

  こんなこと沖縄ではなかった(笑)。

  なんとか気持ちを強くして、13日にウィンドサーフィン。

  沖縄では旧暦のお盆の3日間は、どんなにいい風でも、海には出ません。
  沖縄で遊ぶウィンドサーファーたちは、
  お盆中に海に入ると引きずり込まれるさぁ …… という言い伝えを守ります。
  私も当然、そうでした。

  でも東京時代も、ここ福岡でも、お盆にいい風が吹くと、出てしまう(笑)。


 その帰り道(近いし夏の軽装なので、いまは自転車で通っている)、
 海辺を走っていて、干潮になってきれいに均された砂浜 ………



 

           冬はきれいなことが多いが、
           夏にこういうふうにきれいな砂浜を見て
           思わずシャッター。
           今津湾の西の端のほうに向けて。
           あの端のほうから、
           花火を見たのだ。



 

         こちらは今津湾の東のほうに向けて。
         先に見えるのは、
         花火の下に見えていた
         長垂山(ながたれさん)だ。





 

          昨日(14日)の夕方の東空。
          西陽に輝く入道雲。
          肉眼ではもっともっと
          エッジがモリモリウルウル
          だったのに。




 


 

伊都国つうしん 103


● 戦争の悲惨さを忘れないように、と込められた俳句ですね。


   八月や 六日(広島) 九日(長崎) 十五日(敗戦)。

   俳句の世界では、何人か詠んでいるとされていて、
   結局、「詠み人知らず」 の句となっているそうです。

  
   先が見えない「ウクライナ戦争」、
   緊張感が消えない北欧・バルト三国、
   さらにきな臭くなってきた 中国と台湾(米国) ………

   この 「八月や六日九日十五日」 の句の、思いの大事さが、
   今年は、強く感じられる年になってしまいました。



その2日前の8月4日には、
わが家近くの今津湾・今宿の海で、
おそらくコロナ禍でずっと中止されていた 「納涼花火大会」 がありました。

もっとも、「福岡・花火大会」 で検索しても、ここの花火大会は出てきません。
地元・ 今宿のとてもローカルな花火大会のようです。

なので、大きな花火が一斉に連弾され、夜空を華々しく彩る豪華さはありません。
でも、素朴ながらしっかりした花火大会でした。

以前もお話したように、ここ今津湾・今宿のビーチ沿いには公園はありますが、
地元民の意向によって駐車場はありません。だから、地元民のための花火なのでしょうね。

それにしても
私ら家から歩いて5分で、その今津湾の西端の海に出られるのですが、
護岸されたコンクリートの上には人々がずっと群がって、みんなで花火を楽しんでいました。

わが家近辺に住む、こんなに大勢の人々が群れるのを初めて見ました。

私らも、護岸コンクリートの上に空いた所を見つけ、
持ってきて冷えたビールを飲みながら、久びさの花火を楽しんだのでした。



さて。
花火には、納涼だけではなく、鎮魂、追悼、慰霊の意味が込められている、

と言われています。
「八月や六日九日十五日」の句にちなんだわけではないですが、
延々と、花火の写真を並べます。

またか、ですが、なんせ久しぶりに見た花火なもんで(笑)。



 

            8月4日の昼、西風。
            ウィンドサーフィンの後片付けの時、
            今津湾の海に見慣れない船が入ってきた。
            「あれっ、何の船?」 と聞くと、
            すかさず 「花火の台船だよ」 と。

            その時、あぁ今年は今宿の花火があると ……
            今日がその日だ、と知ったわけ。

            船の向こうは、能古島。


で、何時からだろう?
ネットで「福岡・今津湾花火大会」 と検査しても、なかなか出てこない。
やっと一つだけ情報があり、午後8時から約45分間、と分かりました。

私ら、近くでドンドンと音が始まった8時過ぎに家を出ました。
テトラで護岸されたコンクリートの塀が続く、いつもの場所が、もうすごい人、人。

なんとか場所を陣取り、花火を楽しんだのでした。



 

          花火は、今津湾の真ん中辺り、
          長垂 (ながたれ) 海浜公園の前の海に
          係留された台船から打ち上げられる。

          花火の下の丘は、
          今津湾の東西中央辺りにちょっと
          突き出ている長垂山。

          福岡空港から地下鉄・筑肥線で
          わが家のある今宿へ向かうと、
          この長垂山のトンネルを通り過ぎてから、
          車窓の右に、この今津湾の海が見えてくる。




 

 

             たいがいは、こうやって

             一輪ずつの花火なのだけど、
             色の違いや形の違いで
             いろいろ楽しませる工夫がある。

             花火の色の違いで、
             海の中の花火の道も、色が変わる。



 

              たまにはこうやって、
              いくつかの花火の連弾もある。



 

 

          大きな花火大会のような派手さは
          なかったけれど、
          いろいろ花火は進化しているんだ、と
          知らされた。
          でもやっぱり、単純にデカい花火には、
          周りのみんなから「おおっ」と
          声があがる(笑)。




写真はすべて私のスマホ。どうなんだろうと心配だったが、よく撮れてるわ。

実はもっと、この5倍以上は撮ったのですが、ま、このへんで、と。


で、写真を撮っているつもりで、知らないうちに動画になっていたものもある、なぜ?
それは分からず(笑)。でも、私のようにPCからブログ入力している人間には、

スマホの動画をアップできないようです。残念。

(つまりスマホから文字入力し、写真・動画をアップせねばならない、らしい)

ということで、ご退屈さまでした。





 

           私が漬けているぬか漬け。
           旬のキュウリとパプリカ。
           丸い花火ついでに(笑)。


 

伊都国つうしん 102

 

● 前回ブログ絡みの話もあります、3つの話。


・1つ目。

前回ブログでは、今年の夏は今のところそれほど ……… という話でした。

ところが、それから数日後の週間予報をみると、なんと。




 

             えっ、8月1日は曇りで
             最高気温が33度だったのが

             なんと! 晴れで37度だ!



…… もっともこの8月1日の最高気温は、35度でしたが、
それにしてもこの1週間の気温が、やはり危ない、やばい ……。
この伊都国の夏はことしも、やっぱりか、危険な夏ですね。




・2つ目は。

ちょっと前、7月12日のブログで、安倍元首相の悲劇の話を書きました。
その犯人の動機が、統一教会と安倍氏との関係にあったと。

で。

統一教会からは、無関係ですという発表 ………。

私のブログで、それに対して「どうなんでしょう」と書きました。
つまりこれは、当然、関係あるよね、という含みでした。

あったようです、その事件後、自民党と統一教会との関係が次々と
報道されています。


まさに、

安倍元首相と統一教会は、ある種の提携関係だったようですね。
 

最近知った情報で、呆れたのですが、

当時、霊感商法やらツボの高額販売やら、例の桜田淳子も含めた集団結婚やら、で、
そういう怪しげな違法な団体に対する、警視庁公安の調査・捜査がなされていたのです。


ところが、第一次、第二次ともに、安倍政権の時代に、
なんと、その公安の捜査対象から、統一教会が外される………という事実があるのです。

つまり放任される、わけです。

やりたい放題、
無関係どころか、ズブズブの関係だったわけです。

もっと調べると、安倍氏の祖父、1960年代の岸信介元首相が作った関係、なのです。
なんかそれを知ると、岸氏と同じように悪だった

自分の父親の(たぶん)後始末として、暗殺されたケネディのことを連想させられます。

そういう意味では、安倍氏には気の毒といえば気の毒ですが、

ある意味では、どうなんでしょう ……。


いま現在の、自民党と統一教会との関係を、改めて洗い出し始めている状況を作ったのは、
安倍氏を殺害した犯人です。

そう考えると、誤解を恐れずに言いますと、
犯人自身の思いは、少しは果たされたのではないでしょうか。皮肉ですね。




・3つ目は。


2月のブログで、日経新聞の朝夕刊の新聞小説の、挿絵画家の話を書きました。

朝刊が 安部龍太郎氏の「ふりさけ見れば」、挿絵が西のぼる氏。
夕刊が 宮城谷昌光氏の 「諸葛亮」、挿絵が村上豊氏。

両方とも好きな画家で、特に村上豊氏は画集を持っているほどだ、と。


その、村上豊氏が7月22日に亡くなりました。86歳だったそうです。

新聞小説の連載はまだまだ続きます ……… どうなるのだろう、と思っていたら。
その翌日の小説欄に。



 

           小説欄の左に、お悔やみの記事と、
           8月1日までは掲載します、と。
           つまり、それまでの分を
           描いていたのですね。




 

             これが、8月1日の分。
             たぶん村上豊氏の絶筆か。

             すごいな、いいな、と思う。



 

     そして同じ日の小説欄外に、
     2日からは、
     原田維夫(つなお)氏が
     引き継ぐと。

     1939年生まれ。つまり83歳……。




小説の挿絵がガラリと変わるのか、それとも 似たものをなのか………興味津々で、
8月2日を待ってました。


 

              8月2日の、挿絵。
              当然だけどガラリと。





それで、原田維夫(つなお)氏って、どんな人だろうと検索したら、

自分のサイトを持っていて、そのトップの絵が ………




サイトで知ったのですが、
もともと、原田氏は、作家・宮城谷昌光氏の挿絵をよく描いている方のようです。
なるほど。



村上豊好き、と好奇心、だからですが、
まぁヒトによっては、まったくどうでもいいような話を、
延々としてしまったのでした。恐縮です。