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Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

伊都国つうしん 121

 

● 邪馬台国・九州説と、日食の関係が面白い。

 

 

 

      「日本史サイエンス 弐」 

       講談社ブルーバックス

       著者・播田安弘

 

 

 

著者の播田(はりた)安弘氏は、1941年生まれ。高齢です。

長年、艦船の設計の仕事をしてきた方で、その科学的実際的理論が必要な思考から、

(文献も含めてですが)サイエンスの目から見た日本史の謎を解きほぐす、という本。

 

「弐」とありますから、当然「壱」もあったわけで、

その『日本史サイエンス』で読んだ、

 

蒙古襲来  “元寇” は、本当に神風だったのか ……を、船の専門家からの謎解きが

とても面白かったのです。

 

当然ながら朝鮮半島から来るわけですが、

ある事により、予定よりも 1か月ほど襲撃が遅れることになります。

そこからくる、季節の風向きや風速の大きな目論見の違い

さらには対馬海流の、流れの速度、かなり速い海流からくる横断のむずかしさ、

船になれない兵隊たちの船酔い、

そして大艦隊だとした場合の、九州に到着したときの係留のむずかしさ、

船と船の間隔が必要だし、当然、海の深さに対する計測や知識が必要なこと、

つまり、浅瀬に乗り上げ座礁したら、終いだから

 

………… などなどのサイエンスに基づく推論から、

 

部隊はいちおう九州に乗り込み攻撃を開始し戦闘を始めたとしても、

まず、早めに引き上げないと風向きが変わるので、帰国できなくなること、

さらには、食料兵站もおそらく十分ではなく、多くの兵隊たちは、

船路じたいに疲労困憊していただろうこと。

 

そういう状態のときに、もしかして台風に巻き込まれたのでは、

…… という話に、とても納得したのでした。

 

 

 

● で、今回の「弐」では、やはり海、船がらみで、

 

  ・邪馬台国は九州か近畿か

  ・秀吉の朝鮮出兵、朝鮮の亀甲船に敗れたのか

  ・日露戦争、日本海海戦でなぜ完勝できたのか

 

……… の3点について、サイエンスで謎解きをしています。

どれも面白いのですが、

邪馬台国についての 「卑弥呼と日食」 にポイントをおいて、紹介します。

 

 

まず、

著者は(以前のブログで書いた糸島出身の考古学者・原田大六氏と同様に)

 

  神話は伝説やまったく架空の話ではなく、事実を暗示したものであり、

  したがって歴史の一部ともいえるものであることがうかがえます。

 

…… と言っています。

 

さらに、

邪馬台国がらみの各歴史書から、卑弥呼と天照大御神との類似関係を言い、

例の、天の岩戸の神話をとりあげ、

 

  この神話が、卑弥呼の死没をモチーフにしているとする解釈があります。

  そのときに皆既日食が起こったのではないかというのです。

  そして卑弥呼の後継者である台与(とよ)(『魏志倭人伝』の「壱与」と

  されています) が擁立されたことを、天の岩戸が明けたときと捉えるのです。

 

  これは決して荒唐無稽な思いつきではありません。卑弥呼の時代にいつ

  皆既日食が生じたかは実際に調べることができ、247年3月24日と

  翌248年9月5日にあったことがわかります。

 

  このことは卑弥呼が没して内乱が生じ、翌年の台与の擁立によって平和が

  回復したことを、当時の人々が皆既日食というおそるべき天文現象と

  結びつけたと考えると符号します。

 

…… と言っています。

 

 

そして調べた結果、なんと。

 

247年3月24日、日食が起こったのは北部九州の日の入り時刻。

太陽は日没までにほぼ皆既日食となって真っ暗となり、

そのまま陽が没したと考えられるのです !!

 

実は、この3世紀と現在では、地球の自転周期のズレがあり、

それが問題となるようですが、いろいろ計算してみた結果も、

あまり違いはないようです。

 

 

卑弥呼をウィキペディアで検索すると、わかりますが、

生年は不明ですが、没年は247年とハッキリ記載されています !!!

 

 

なんとなんと、

この北部九州の皆既日食と卑弥呼の没年、初めて知った、面白い事実です。

 

 

 

著者は、魏志倭人伝に書かれた 「水行、陸行」 の日にちなどから、

北部九州に上陸してから、山陰の海岸を経て(現在の京都府あたりから)

内陸に入っていくとちょうど、奈良県の纒向(まきむく)遺跡あたりでは、

としています。

 

山陰を海岸沿いに、というのは、

糸魚川の翡翠(ひすい)を求めて、古くから朝鮮半島から舟が来ていたから、

当然、そのルートを使うだろう、という推論です。

 

 

なるほど、と思います。

 

が、今回私が、腑に落ちて気持ちよかったのでは、

「卑弥呼・天照大御神」 を裏付けるような、卑弥呼の死没と皆既日食の話でした。

 

 

 

       12月25日の夕方

       クリスマスの二日月。

       本当はもっと薄い。

       これだと三日月だなぁ。

 

 

 

           12月27日の今津湾のビーチ。

           左遠くに見えるのは福岡市中心部。

 

 

 

 

              おやっと気づいた。

              10羽以上の、これは浜千鳥。

              波がきても平気で

              けっこう速く走り回る。

 

 

 

● 長いブログを読んでいただき、ありがとうございます。

    今年もあと1日ですね。

 

来年はどんな年になるのでしょう、

先行きが見えない大きな事象が、2つもありますし。

とりあえずは、来年3月で丸3年のコロナ禍、明けることを祈ります。

 

 

 

みなさま、良いお年を。

 

 

 

 

 

伊都国つうしん 120

 

 

● 前回の続きです。

 

  「故郷(イギリス)を捨てた甲斐がない」というアメリカ論から、

  いろいろな話をしましたが、

  「故郷を捨てた甲斐がない」という言葉に、私がなぜ惹かれたのか。

 

  今回は、そんなごく個人的な話です。

  「伊都国」とは関係ないので、興味のない方は飛ばしてください。

 

 

 

私は、北海道小樽市の出身ですが、18歳(つまり高校生)まで過ごし、

その後は京都に4年、社会人時代はずっと東京に30数年に居住していました。

 

私は商売をしている家の長男でしたが、

高校時代はいつも、この北海道を出るんだ、と決意していました。

つまり “故郷を捨てた” 一人と言えば言える、と思います、客観的に見れば。

 

 

● 惹かれた理由 その1

 

 「故郷を捨てた甲斐がない」 ……… という言葉は、実は、子供の頃に、

 たぶん小学校に入学前後のときに、知ったのではないかと思います。

 

 

高齢の方には知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、

大昔に、「人生の並木路」という演歌がありました。

 

  泣くな妹よ 妹よ泣くな

  泣けば幼い二人して 

  故郷を捨てた甲斐がない

 

……… 導入がたぶん、こういう歌詞だったと思います。

 

それこそ幼なかった私が、なぜ、曲名も歌詞も今でも憶えているのか?

 

ま、それだけきっと流行っていて、当時、ラジオだと思いますが、

家の中で、よく聞いていたというか耳に何度も入ってきたのでしょう。

 

で、幼かった私ですが、

 

 「なんて、イヤな歌なんだろう」

 

と強烈に思ったのでしょう。 暗くてお涙頂戴で、まったく好かん! と。

だから、すごく記憶に残っていたのです。

 

それ以来、かなり大人になるまで、演歌アレルギーになったのです(笑)、本当に。

いまでもその兆候はかなり残っていますが(笑)。

 

それで、思いがけず

この 「故郷を捨てた甲斐がない」 という言葉に久しぶりに出会って、

ビビッときたんでしょう。

 

 

 

● 惹かれた理由 その2

 

 

           私が北海道を出るのだ、と

           思い詰めていたのは、

           こういう北海道の冬が、

           閉じ込められる感覚が、イヤだったから、

           …… と思う。

 

           以前にも載せました写真ですが、

           地吹雪。

           積もった雪が強風で吹雪のようになる。

 

 

 

● 惹かれた理由 その3

 

 

  私の両親はともに、北海道それも小樽の生まれです。

  彼らは(父は戦争で中国東南アジアに行きましたが) 生まれも育ちも、です。

  北海道を出たことがない。

 

ただ、

ご存知のように、北海道は、明治以降に、人々が住み始めたところです。

事実、父の先祖は山形県の(現在の) 酒田市から、

母方の先祖は、新潟県の(現在の) 柏崎市から、

それぞれ私からみて、3代から4代先の、つまり祖父・曽祖父が、

まさに故郷を捨ててきた人たちなのです。

 

 

もしかするとその先祖たちのDNAが、私を動かした?

…… と改めて、先祖のことを考えました。

 

 

 

● 惹かれた理由 その4

 

 

   師走に入って中旬、つい最近ですが、

   大学時代の京都の下宿にいた、

   同じく北海道・根室市出身の先輩が亡くなったと連絡を受けました。

   大学時代、彼の言動に大いに影響を受け、その後も長く交流していました。

 

彼が卒業後に、北海道に戻ったことが昔から不思議でした。

大学時代の言動から、京都かあるいは東京で、

自分が考えていることを実行するのでは、と感じていましたから。

 

きっと何らかの理由があったのでしょう。 ま、ともかく。

彼の死を知ったあと、youtube で久しぶりに聞いた「故郷を捨てた甲斐がない」が、

そんな私の感じていた思いを、再び思い出させ、鮮明にしたのかもしれません。

つまり、先輩ももしかして故郷に戻るつもりはなかったのに ………、

だったのでは、と。(私の思い込みですが)

 

 

 

● さて。

 

   今回私が、「故郷を捨てた甲斐がない」に惹かれた理由は、

   おそらく、以上の4つが混ざりあったもの、だとは思います。

 

   しかし。

 

   つらつら、考えるに。

 

 

結果的にみて(いや経過的にだ)、これまでの人生、

私自身は、高校卒業以降、北海道には戻っていないニンゲンです。

まさに高校時代に、「北海道を出るんだ!」 を実行したニンゲンです。

 

そして京都で過ごし、そのあと人生の多くを東京で過ごし、

次のことを考えようと、好きな沖縄に行き …… それが、暖かさに頭も温められ、

あっという間の10年を過ごし、ここ福岡へ ……。

京都も東京も、沖縄も、福岡も、まったく縁もゆかりもない土地です。

つまり、風来坊です。

 

 

先のアメリカ論のごとく、

自分の人生の中で、当然、「頑張らなければならない!」 場面は、

それこそ何度もあったのですが、

 

そういう場面で、いろいろな努力を続けた理由、原動力として、

せっかく北海道を出てきたのだから ……… つまり 「故郷を捨てた甲斐がない」、

という意識的なことは、

振り返ってみて、ほとんど考えたことはない、と思います。

 

 

そもそも私は、申し訳ないほど、

郷土愛がうすいニンゲン、さらには愛校心とかが、うすいニンゲンです。

自認しています。 後年、故郷とか出身校とかの話がよく出るなかで、

これは昔からだったな ……… と、大人になってから気づいたのですが。

 

 

だから 「故郷を捨てた」 という意識も、まったくうすいのです。

 

 

北海道を捨てた、いや、出てきた理由は、

きっと単純に、「2」の北海道の冬から逃げたかったから、でしょう。

(都会に出たほうが就職先が ……… なんて、考えてもいませんでしたから)

 

 

● だから今回、

 

  「故郷を捨てた甲斐がない」という言葉に、惹かれた理由は、

 

きっと、理由1の、

あの、イヤな演歌の詞を思い出したから、なのではないか、と思います。

 

……… そんなふうな結論なのかもしれません。 

 

 

なんか、自分でも書いてきて、この結論が情けない、すみません (笑)。

 

 

 

           12月23日。ほぼ一日中雪。

           といっても大きな積雪はなかった。

           写真、よく見ると粉雪(べた雪ではない)が

           舞うように降っている。

           でも、北海道の雪の景色とは

           まったく違うでしょ。ま、当然だけど。

 

 

 

 

 

 

伊都国つうしん 119

 

 

● 久しぶりに、そんな言葉を聞いて、ちょっと驚き、懐かしく ……。

 

 

  少し前に、好きな評論家の佐高信氏の youtubeで、

  ノンフィクション作家の石川好氏との対談があり、それが面白かったのです。

 

  

 

石川好氏(以下、氏は省きます)、最近はTVに出ていないようですが、

 

 昔、田原総一朗が司会し、大島渚、野坂昭如、西部邁、などなどの論客が出ていた

 「朝まで………なんとか」という討論番組がありました。

 

 石川好も出ていて、他のパネラーが強く激しく主張するなかで、

 その、なんともお人好しそうな風貌のように、静かにわかりやすく

 自分の考えを語っていたのを思い出しました。

 

 

で。 話はもどり、その対談の中で、

 

 石川好の経歴、

 アメリカで何年か過ごし、それについて著書があり、

 大宅壮一ノンフィクション賞を受けていたり、その後、中国に関心を移し、

 どういうコネクションか、共産党幹部たちと親しい関係もある、という

 ことを説明したあと。

 

 

佐高信が、

(正確な言葉は憶えていませんが)

 

「あなたにとっての、アメリカ、というのは、どういうものなの?」

 というような問いかけをしました。

 

 

石川好が答えたのが、

「一言でいえば、イギリスを捨てた甲斐がない、という意識だよね」

 

と、言ったのです。

いわば、石川好のアメリカ論なのですが、こんなアメリカ論は、

見たことも聞いたこともなかったので、驚いたし、とても新鮮で、

…… しかも、納得できる面を感じたのです。

 

 

 

● 「イギリスを捨てた甲斐がない」

 

  「甲斐がない」という言葉、

  これまでやってきた、頑張ってきた、意味がない、ということです。

 

 

どういうことか。

 

イギリスから出た(捨てた)、アメリカ人たち。

調べてみたら。

 

 1620年、有名な「メイフラワー号」でイギリスからの移住が始まり、

 その156年後の、1776年に、独立宣言をします。

 

 ところで、

 1620年、日本は、徳川将軍2代秀忠の時代。

 それから156年後の、1776年、田沼意次の時代。

 

 さらに77年後の1853年。ペリー黒船です。

 つまりメイフラワー号から、233年、200年ちょっとで、

 国をつくり、しかも日本の鎖国を開きにきているわけです。

 

 ちなみに、江戸時代は、1603年から1868年、265年。

 

 

● さて、「故郷(イギリス)を捨てた甲斐がない」アメリカ論、的に考えると。

 

 

 いまアメリカの中心となっている、エリート、エスタブリッシュメントたち、

 その彼らがしてきたであろう努力の様子と、

 日本の中心を担っている官僚たちや大手企業幹部たちが、してきたであろう努力の様子、

 その差を、考えると(とくに最近の日本のダメさ加減を考えると)、

 

 けっこう差があるような気がしています。その量や持続において。

 

 例えば、アメリカの大学に留学経験のある日本人の誰もが言うように、

 彼ら大学生に強いられる勉学の努力は半端じゃないようです。

 さらには卒業後の社会の中での生存競争も。

 

 

 同様に感じる、もっとも大きな差は、

 能力のある人間にはその力を発揮できるようにする、さまざまな環境を用意し

 バックアップしていくというアメリカの思想、意識があるように感じています。

 

  そういう環境だからこそ “頑張りきれる人” “努力を持続できる人” の数が、

  きっと日本よりも多いのでしょう。

 

  成功する機会が多い、と感ずれば、モチベーションは当然高まります。

  だからこそ、アメリカの人々は持続する努力を自分に強いてこられたのでしょう。

 

  その根底には、「故郷を捨てた甲斐がない」という意識があるのではないか、

  というのがきっと、石川好の論理なのではないか、と思ったしだいです。

 

  (もっとも、この「努力 = 成果」意識は、とてもいいモチベーションですが、

   実はとてつもない「選民意識」 ともつながる恐れが、同居しているのでが)

 

 

         メイフラワー号(画像サイトより)

         故郷(イギリス)を捨てた人たち

 

 

● この「故郷を捨てた…… がモチベーションに」 という意識。

 

  いまの日本に通じるのでしょうかね。

  東京をはじめ都会には地方出身者が大勢いるわけですが ……。

  あるいは、いまの時代に

  それに相当するような言葉があるのでしょうか ………。

 

 

そんなことを考えて、ちょっと論点が変わるかもしれませんが、

 

毎日を生きるモチベーションとして、最近感じる、とても負の感覚ですが、

もしかするとこういう言葉があるのかもしれない、と思っていることがあります。

SNSの現状から連想させられる言葉です。

 

 

  韓国を表現するときに 「恨(はん)の国」 という言葉があります。

  つまり 「恨(うら)む」 ということが思考様式の一つになっている、

  というヤツです。

 

現在のSNS世界の “匿名による批判侮蔑差別” ・ “発信者の正義ぶり” 文化の根底には、

そういう何かに対する 「恨(はん)」 の思いがあるのではないでしょうか。

 

私はSNSとはまったく無縁なので、ネット上の情報でしかないのですが、

あの「匿名による」、なんともな、くだらなさに、それを感じてしまうのです。

 

もしそれが、私の想像のように

毎日を生きる(過ごす)モチベーションだとしたら、ため息が出てしまいますね。

 

まだ「甲斐がない」 と踏ん張るほうが、頼もしい。

 

 

● さて。

 

 なぜ、「故郷を捨てた甲斐がない」という言葉に惹かれたのか。

 

  私自身、いわば “故郷を捨てた” 一人でもあるので、その話を ……と

  思うのですが、ここまででもとても長くなったので、次回にします。

  興味のある方は、次回また訪れてみてください。

 

 長々とお付き合い、ありがとうございます

 

 

以下は、師走に入ってからの写真です。

 

 

 

 

            わが家近所の夕方の空。

            きれいな、いわし雲。

 

 

           通っているジムの入り口から。

           ずっと、雷山と思っていたけど

           あれはきっと高祖山(たかすやま)だ。

 

 

      で、右の山がたぶん雷山(らいざん)

      福岡県糸島市と 佐賀県佐賀市の境の山。

      写真では、高祖山のほうが高く見えるが、

      実際には雷山のほうがかなり高い。

 

 

          この1週間、ぐんと冷えてきた。

          明日(18日)は雪マークも出てる。

          と同時に、

          庭にある寒椿のつぼみが次々と開花。

          冬にきれいな花が楽しめるのは

          やはりうれしい。

 

 

        12月に入って恒例の、玄関飾り付け。

        沖縄から持ってきたシーサーも

        こうしてクリスマス仕様になる。

        上は、コロナが流行り始めた時に貼った

        厄除けのお守り札。

        3年間、守ってくれている。

 

 

          その向かい側には、ナミさんの

          ヨガするサンタ人形が今年も登場。

          家のあちこちでいろんなポーズしてる。

 

 

 

 

 

 

 

伊都国つうしん 118

 

● あわてて、11月にあったことなどを。

 

 

 その前に。

 

 「まさか …」 を、3回も味わわせてくれた森保ジャパンに、乾杯!

 「まさか …」 ではないかもしれない、とも思わせてくれていますね。

 

 

 

11月のわが家の、というより私のですが、出来事写真の羅列です。

 

 

 

・ 録画していたNHKの確か 「新日本風土記」 だったと思いますが、

 「熊野灘」 を見ていたとき、とても印象に残った2シーンがあり、 

  思わず (欲しい!!!)と、買ってしまったもの2つ、です。

 

  両方とも、熊野灘の三重県側・尾鷲市の映像でした。

 

 

 

 

   尾鷲の 「桧の曲げわっぱ弁当」

   100年使えるという。

   高かったけれど、買ってしまった …。

 

 

 

曲げわっぱ弁当は、あちこちで作られています。

秋田杉の秋田県のわっぱ弁当が有名ですが、尾鷲にもあると知りませんでした。

 

尾鷲の曲げわっぱ弁当は、堅い桧を使っています。もちろんすべて手作りです。

そして現在は、たった一人しか制作者がいないのです。

 

番組では、その方が登場し、桧を曲げる工程から桜の皮の紐で結び止める作業から

漆塗りの仕上げまで全部で40工程以上あるのを、たった一人で手作りする話や、

その人柄を放映していました。

 

もう60歳をすぎた彼には現在、後継者はいません。それについての質問に、

 

「必要なものだったら残るでしょうし、必要でなくなったら消えるだけです」

………(正確ではないかもしれませんが)そう語った潔さに、けっこう痺れました。

 

それもあって、つい、すぐにネットで「ポチっ」してしまったのです。

もちろん100年も使えませんが(笑)、せいぜい使っていこうと思います。

(ナミさんは呆れてましたが)

 

 

 

・ もうひとつは、同じ尾鷲市で、子サバを串刺しして炙ったものを売っている

  現在ではたった一人になったもう80歳近い(だったと思う)おばあさんの話。

 

 熊野灘で収穫した漁船がつく港で、売り物にならない小さい子サバをもらってきて

 仲間に手伝ってもらって頭や内蔵を処理し、串刺しして炙る……

 地元の人や、評判を聞いた周囲の町の人が買いに来るだけだったのですが。

 

 この尾鷲市に移住してきた女性が、

 これをもったいない……と思い、現在のネットなどを使ったマーケティング、

 および、おばあさんを含め作り手の側がちゃんと利益を上げられるシステムを

 作って活動している………という内容です。

 

 で、別にそれに賛同したわけでもなく、どんな味なのかを知りたかったので、

 やはり番組終了後にネット検索し、とりあえずのお試しセットを

 同じくすぐに「ポチっ」したのです(笑)

 送料込確か1,800円ほどだったと思う。

 

 

 

       尾鷲市梶賀のあぶり。

       鯖子とワラサの2種類だ。

       まだ食べていない。楽しみ。

 

 

 

・ 今シーズン初めての 「あまおう」。

 

  昨年シーズンはイチゴは不作で、

  私らにとっては満足できる 「あまおう」が食べられなかった半年でした。

 

  通常は11月になると 「伊都菜彩」 をはじめあちこちで出回るのですが、

  今年は (まだ出ないなあ …)と思っていました。

 

  中旬前頃から出始めましたが、とんでもなく高い。

 

 

      で、11月21日に買った、

        今シーズン初めての 「あまおう」。

 

  この大きさでこの値段 …… まだまだ高い。

  例年だとこの値段だったら、この1.5倍以上の量があったと思う。

  味は ……… 作シーズンの残念だったものより、かなりいい感じ。

 

  これからを期待してみます。

  まぁ、ハウス栽培家にとっては昨年同様に灯油の値段は高いので、

  今年のイチゴ、特に 「あまおう」 がどうなるか、やはり気になります。

 

 

・ 11月26日、きっと最高に紅葉しているのでは …… と、

 

  糸島の雷山(らいざん)にある

  雷山千如寺大悲王院(らいざんせんにょじだいひおういん) に出かけました。

  庭にある大きな楓の紅葉が目当てです。

 

 

  ところが、もうすでに紅葉真っ盛りの時期は過ぎていたようです (トホホ)。

 

 

           目当てだった大楓の木。

           ご覧のように、丸裸 ……。

 

 

       寺院入り口のイチョウは、

       たくさんの黄色の葉を落とし、

       まだ木にも葉を残していた。

       楓とイチョウでは

       紅葉時期、期間が違うのだろう。

 

 

           本当は、こういうのが

           見られると期待していたのです。

           (画像サイトより)

 

 

 

 

伊都国つうしん 117

 

 

● 最近気づいた、とても面白い話 (私には)。

 

   例によって、まず 表題の「百日紅と千日紅」 にいたるまでの話を、

    ……すみません。

 

 

先日、

もう亡くなった時代小説家・宇江佐真理 (ウェザーリポートから筆名が)の

ある小説の中の一話、「おちゃっぴい」 を読んでいたときのこと。

 

とんでもなく、わがまま・おちゃっぴいな女の子に、突然話しかけられ、

自分が行くつもりの葛飾北斎への道中で、(ええっ)??と、振り回され、

逃れようもなく、その女の子を連れて歩いてしまうはめになる若い男 ……。

 

その道中も、面白く描かれているのですが、

しょうがなく、おちゃっぴいを北斎の長屋へ連れて行く男というのが、

英泉という男。

(渓斎英泉(けいさいえいせん) 江戸時代の著名な浮世絵師、の若い頃です )。

 

その、おちゃっぴいな女の子を、何事もなく、迎える北斎の長屋、

北斎の面倒を見ながら一緒に絵を描いている、娘のお栄が出てくる。

 

この小説は、

おちゃっぴいの人生の大きな転換に、北斎や英泉やお栄を、からめている、、、。

 

 

 

       おちゃっぴい

       画像サイトより。

 

 

 

渓斎英泉、北斎の娘・お栄、そして北斎、、、と場面に出てきて、

英泉とのからみの後は、お栄との女同士のやりとりへと展開していきます。

 

このお栄(北斎を死ぬまで面倒を見ていた)、葛飾応為(おおい) という絵師です。

(北斎から「おおい、おおい」 と呼ばれていたから応為とした)という話も。

 

私は、北斎だけじゃなくこの葛飾応為の浮世絵も好きです。

(たぶん最も知られているのは、葛飾応為 『吉原格子先之図』

 興味があったらコピペして検索してみてください、素晴らしいですから)

 

北斎も、応為の才能を認めていたし、ある分野では敵わないと思っていたようです。

 

 

当時、ちがう流派に属しながら、北斎を尊敬・敬愛、師事していた英泉と、

北斎の娘・お栄のふたりの関係、それにからむ、おちゃっぴいの人生。

 

英泉とお栄をからませるって ……  へえ宇江佐真理、やるな、と思ったのです。

 

 

でも、英泉とお栄、この二人の話、

実は、私の大好きな(この人も故人) 杉浦日向子が、すでに漫画で描いている。

「百日紅(さるすべり)」 という漫画だ。

 

 

 

           杉浦日向子の 『百日紅』。

           彼女が描いた一マス一マスの絵、

           江戸後期の長屋の様子から

           着るもの、髪型、日常生活など、

           多くの江戸学者たちが

           舌を巻くほどの正確さで

           描かれているという。

 

 

杉浦日向子は、自分は漫画がヘタだと、結局漫画家をやめ、

いわゆる江戸の風俗研究家としてその後NHKにも ……

(と書いたが、いやそれほど詳しくはわからない)。

ともかく、大好きな漫画家であり作家・江戸研究家(というのか) です。

 

私は彼女の漫画だけでなくエッセイ集や対談集を、何冊も持っています。

(杉浦日向子と何度も対談し師匠と呼んでいる作家・ 宮部みゆきは、

 師匠はきっとこの後、江戸に帰っていくんだろうな、と言ってます(笑))。

 

(ちなみに、杉浦日向子の 「百日紅」 は1980年代、宇江佐真理のこの話は

1999年のようだ。宇江佐真理が杉浦日向子をリスペクトしたのでしょう)

 

 

● で。これからようやく、「百日紅」 と 「千日紅」 の話です。

 

          宇江佐真理の小説 「おちゃっぴい」 の中の英泉・お栄の二人から、

          杉浦日向子の漫画「百日紅」 を思い出しました。

 

    この二人の話で思い出された、「百日紅」 と ………

    そして、これまでの話とは全然関係ないですが。

 

    つい先日、ナミさんが実家に、父親の月命日用に送った花の中に

   「千日紅」 という花があったと聞いたことを、フッと思い出しての、

   「千日紅」 という話 ……… なんじゃそりゃ、ですみません。

 

 

「百日紅」 …… 「ヒャクジツコウ」 とも読むけれど、一般的には 「サルスベリ」

「千日紅」 …… 「センニチコウ」 と読む。 

 

 

「百日紅」 と 「千日紅」

 はい。「百」 と「千」です。初めて気づきました、このこと。

 

前回のブログ 「なぜ太陽は …」 の話ではないですが、

まさに太陽に向けての名前です。

「○日紅」 ……、お日さまに顔を向ける日の長さ、なんでしょうかね。

 

 

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、

ともかく、その 「百日紅」 と 「千日紅」を。

 

 

 

           百日紅(上)と千日紅。

           (いずれも画像サイトより)

 

ご覧のように、「百」 のほうが樹木で 「千」 のほうが一年草です。

面白いですね。

 

ま、どちらも陽の光を浴びて(なのでしょうが)、「紅」 色です。

「赤」 というよりは 「朱」 に近い色なのかな。

江戸時代の 「紅(べに)色」 というのは、こういう色だったのでしょうか。

 

 

ところで。

(ウィキペディアで、百日紅の意味を見てみたら、

 遠い昔の中国からのようで、長い間花を咲かせる、ということのようです。

  「百日」ということは、約3か月、そんなの沖縄ではザラです。

 沖縄で体験しましたが、ほぼ通年のように咲き続ける花があります。

 まともかく。

 百日紅 (サルスベリ) は、そういう花だ、ということなんですね。

 いまさらながら、またひとつ新しい事を知りました)

 

知って、腑に落ちる感覚がたまらない私には、

この 「百日紅」 と 「千日紅」 が、とても面白かったのでした。

 

 

 

 

 

● 話は大きく変わり。

 

  目黒大鳥神社の “熊手”。

 

 

 

毎年、酉の市に目黒まで出向いて買って送ってくれる信州・上田市在住の

旧友・氏から、今年も送られてきた。

いつもわが家の玄関で、厄除け・開運を手助けしてくれている。

 

 

…… 今回も、しち面倒くさい長々とした話に、着いてきてくださり

ありがとうございました。