故郷を捨てた甲斐がない | Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

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2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

伊都国つうしん 119

 

 

● 久しぶりに、そんな言葉を聞いて、ちょっと驚き、懐かしく ……。

 

 

  少し前に、好きな評論家の佐高信氏の youtubeで、

  ノンフィクション作家の石川好氏との対談があり、それが面白かったのです。

 

  

 

石川好氏(以下、氏は省きます)、最近はTVに出ていないようですが、

 

 昔、田原総一朗が司会し、大島渚、野坂昭如、西部邁、などなどの論客が出ていた

 「朝まで………なんとか」という討論番組がありました。

 

 石川好も出ていて、他のパネラーが強く激しく主張するなかで、

 その、なんともお人好しそうな風貌のように、静かにわかりやすく

 自分の考えを語っていたのを思い出しました。

 

 

で。 話はもどり、その対談の中で、

 

 石川好の経歴、

 アメリカで何年か過ごし、それについて著書があり、

 大宅壮一ノンフィクション賞を受けていたり、その後、中国に関心を移し、

 どういうコネクションか、共産党幹部たちと親しい関係もある、という

 ことを説明したあと。

 

 

佐高信が、

(正確な言葉は憶えていませんが)

 

「あなたにとっての、アメリカ、というのは、どういうものなの?」

 というような問いかけをしました。

 

 

石川好が答えたのが、

「一言でいえば、イギリスを捨てた甲斐がない、という意識だよね」

 

と、言ったのです。

いわば、石川好のアメリカ論なのですが、こんなアメリカ論は、

見たことも聞いたこともなかったので、驚いたし、とても新鮮で、

…… しかも、納得できる面を感じたのです。

 

 

 

● 「イギリスを捨てた甲斐がない」

 

  「甲斐がない」という言葉、

  これまでやってきた、頑張ってきた、意味がない、ということです。

 

 

どういうことか。

 

イギリスから出た(捨てた)、アメリカ人たち。

調べてみたら。

 

 1620年、有名な「メイフラワー号」でイギリスからの移住が始まり、

 その156年後の、1776年に、独立宣言をします。

 

 ところで、

 1620年、日本は、徳川将軍2代秀忠の時代。

 それから156年後の、1776年、田沼意次の時代。

 

 さらに77年後の1853年。ペリー黒船です。

 つまりメイフラワー号から、233年、200年ちょっとで、

 国をつくり、しかも日本の鎖国を開きにきているわけです。

 

 ちなみに、江戸時代は、1603年から1868年、265年。

 

 

● さて、「故郷(イギリス)を捨てた甲斐がない」アメリカ論、的に考えると。

 

 

 いまアメリカの中心となっている、エリート、エスタブリッシュメントたち、

 その彼らがしてきたであろう努力の様子と、

 日本の中心を担っている官僚たちや大手企業幹部たちが、してきたであろう努力の様子、

 その差を、考えると(とくに最近の日本のダメさ加減を考えると)、

 

 けっこう差があるような気がしています。その量や持続において。

 

 例えば、アメリカの大学に留学経験のある日本人の誰もが言うように、

 彼ら大学生に強いられる勉学の努力は半端じゃないようです。

 さらには卒業後の社会の中での生存競争も。

 

 

 同様に感じる、もっとも大きな差は、

 能力のある人間にはその力を発揮できるようにする、さまざまな環境を用意し

 バックアップしていくというアメリカの思想、意識があるように感じています。

 

  そういう環境だからこそ “頑張りきれる人” “努力を持続できる人” の数が、

  きっと日本よりも多いのでしょう。

 

  成功する機会が多い、と感ずれば、モチベーションは当然高まります。

  だからこそ、アメリカの人々は持続する努力を自分に強いてこられたのでしょう。

 

  その根底には、「故郷を捨てた甲斐がない」という意識があるのではないか、

  というのがきっと、石川好の論理なのではないか、と思ったしだいです。

 

  (もっとも、この「努力 = 成果」意識は、とてもいいモチベーションですが、

   実はとてつもない「選民意識」 ともつながる恐れが、同居しているのでが)

 

 

         メイフラワー号(画像サイトより)

         故郷(イギリス)を捨てた人たち

 

 

● この「故郷を捨てた…… がモチベーションに」 という意識。

 

  いまの日本に通じるのでしょうかね。

  東京をはじめ都会には地方出身者が大勢いるわけですが ……。

  あるいは、いまの時代に

  それに相当するような言葉があるのでしょうか ………。

 

 

そんなことを考えて、ちょっと論点が変わるかもしれませんが、

 

毎日を生きるモチベーションとして、最近感じる、とても負の感覚ですが、

もしかするとこういう言葉があるのかもしれない、と思っていることがあります。

SNSの現状から連想させられる言葉です。

 

 

  韓国を表現するときに 「恨(はん)の国」 という言葉があります。

  つまり 「恨(うら)む」 ということが思考様式の一つになっている、

  というヤツです。

 

現在のSNS世界の “匿名による批判侮蔑差別” ・ “発信者の正義ぶり” 文化の根底には、

そういう何かに対する 「恨(はん)」 の思いがあるのではないでしょうか。

 

私はSNSとはまったく無縁なので、ネット上の情報でしかないのですが、

あの「匿名による」、なんともな、くだらなさに、それを感じてしまうのです。

 

もしそれが、私の想像のように

毎日を生きる(過ごす)モチベーションだとしたら、ため息が出てしまいますね。

 

まだ「甲斐がない」 と踏ん張るほうが、頼もしい。

 

 

● さて。

 

 なぜ、「故郷を捨てた甲斐がない」という言葉に惹かれたのか。

 

  私自身、いわば “故郷を捨てた” 一人でもあるので、その話を ……と

  思うのですが、ここまででもとても長くなったので、次回にします。

  興味のある方は、次回また訪れてみてください。

 

 長々とお付き合い、ありがとうございます

 

 

以下は、師走に入ってからの写真です。

 

 

 

 

            わが家近所の夕方の空。

            きれいな、いわし雲。

 

 

           通っているジムの入り口から。

           ずっと、雷山と思っていたけど

           あれはきっと高祖山(たかすやま)だ。

 

 

      で、右の山がたぶん雷山(らいざん)

      福岡県糸島市と 佐賀県佐賀市の境の山。

      写真では、高祖山のほうが高く見えるが、

      実際には雷山のほうがかなり高い。

 

 

          この1週間、ぐんと冷えてきた。

          明日(18日)は雪マークも出てる。

          と同時に、

          庭にある寒椿のつぼみが次々と開花。

          冬にきれいな花が楽しめるのは

          やはりうれしい。

 

 

        12月に入って恒例の、玄関飾り付け。

        沖縄から持ってきたシーサーも

        こうしてクリスマス仕様になる。

        上は、コロナが流行り始めた時に貼った

        厄除けのお守り札。

        3年間、守ってくれている。

 

 

          その向かい側には、ナミさんの

          ヨガするサンタ人形が今年も登場。

          家のあちこちでいろんなポーズしてる。