Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん -18ページ目

Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

伊都国つうしん 136

 

 

● 今回も、伊都国には関係のない話です、恐縮です。

 

 

   前々回のブログ 「桜は何の象徴か」で紹介しました

   精神病理学者・中井久夫氏のエッセイ 『記憶の肖像』(1992年刊)に

   あった医者と患者の、興味深い、とても腑に落ちる話です。

 

   エッセイのタイトルは 「治療にみる意地」 ですが、

   初めのほうに歯科医と患者の話が出てきます。

   義歯を作ってもらうが、しっくりこない …と何度も作り直しを求めます。

   そのうち医者のほうも意地になってきて、作っては、不満の繰り返しで、

   何とか終わるまでに、十何回も作り直しをした ……という。

 

   そして精神病理学者・中井氏なりの考えを述べます。

   要約しますが (前回同様に文責は私、「 」内は原文です)

 

 

● 以下は、現在の医者が必ず読むべき “教科書” だ、と私は思います。

 

  一般に医師と患者が意地を張り合う関係の初めには、

  医師の側が患者の病気を軽く見た、ということにありそうだ。

  最初に軽く見られた患者のほうがこじれるのだ。

  この 「軽く」というのは 「軽症」 ということではない。

 

  「 患者の病気を「何のことはない」 と安く見立てたことである。

   患者の心理には、自分の病気を尊重してもらいたいという気持ちがある」

 

 

  (不安や心配があるから医者にかかり来るわけだ)。がその時、

 

  「 「何でもありません」 と言われた患者は、しばしば 「そうですか」と

   浮かぬ顔をするものである」

 

  「 「何でもありません」と言って喜ばれるには、医師側の要因としては、

   それまで患者の訴えを充分尊重したということが相手に通じている

   必要がある」

 

   ざっと診て 「何でもありません」 と言われると

  「患者には、そう簡単に思われてよいものかという反発心が生じるのでは

         ないだろうか。 忙しくても、初診の時に充分に訴えを聞き、

   身体に触れて診察することが、その後の治療のコースをなだらかな

   ものにする」

 

 

どうでしょう、みなさん経験があるのではないでしょうか。

医師に対しての、不信、不満、いらだち …… など。

 

 

     医師に対しての不信、不満、いらだち ……

     (以下2点の写真は画像サイトから)

 

 

 

● 以下は、私の経験ですが。

 

  私は幸いにも、今まで大きな病気もなく過ごせてきましたので、

  医師との付き合い、どうでしょう、それほど多くはないと思います。

 

  それでも20数年前から高尿酸値の治療 (薬を貰うだけですが)で

  内科医たちとは長く付き合っているかな。

 

 

 で。

 医者に対して、最初の頃は不信やいらだちを感じたことがあったものの、

 もうずいぶん以前から、出会う医者たちに対しての印象から、

 医者という人に対しては、期待していない、というか、

 そんなもんでしょう医者は ……… という気持ちです。

 

 技術や知識に対してというよりは、患者に対して誠実に接しているか、

 つまり患者目線でことに当たっているか、に関して期待していない。

 

 

 これは私の、医者に対しての印象ですが、(太字にしたいところ(笑))

 「多くの医者は、病気は診ているが、患者は見ていない」

 ということですね。

 

ろくに身体に触りもせず、机上のディスプレーのデータを見ながら、

この患者の病気のことを復習して思い出しているのか、

次に何をするべきか数字を見ながら決めている ………。

 

 

           ディスプレーを見ながら

           キーボードを打ちながら、

           ときどきこちらを見る ……

           触診もほとんどしない ……

           そんな医者が多い、と思いません?

 

 

これまでの私の

内科医は、東京時代、沖縄時代、そしてここ福岡と通っていますが、

 

たぶん現在の、わが家近くの掛かりつけ医師が、もっとも患者目線かな ……。

月一で薬処方のために通うとき、必ず目を見て、気候のことなど話かけてきます。

自分で空気を送りながら血圧を測り、胸を開けさせて聴診器をあてます。 

なので私のほうからときどき身体の調子のことを話し、その反応を聞いたり、

また何度か、ちがう科の医者を紹介してもらったりしています。

コロナワクチンもここで受けたのですが、この医師自身が打ちます。 

 

あと多いのは歯科医ですが、

これは東京時代の医師がとてもよく、今でも帰京すると診てもらう。

沖縄時代、ここ福岡の歯医者も紹介、あるいは探してくれました。

両方ともまずまずですが、東京の医師ほど患者目線ではないなぁ。

 

目医者、

これは東京時代の先生、最初の医師が引退するので紹介された2人め、

両方とも女医さんですが、2人ともとてもいい医師です。

今でも目に関しては帰京したときに診てもらっている。

 

あとは皮膚科、

これは沖縄時代から始まったのですが、とてもいい医師だった。

ここ福岡では自分で探した女医さんですが、まずまずの先生ですね。

 

 

そんな感じで、医師に期待をしない私なのですが、

ここ福岡ではまずまず、誠意を感ずる患者目線の医者と付き合えているな、

と、いい環境であることを感じています。

 

 

● 話は変わり。

 

 

           ここ福岡市は、

           今日、4月12日一日、ひどい黄砂だった。

           都心近くまでクルマで出かけたが、

           まさにこんな感じで驚いた。

 

           しかし中国モンゴル地方の映像は、

           もうとんでもない、砂嵐。

           北京でも黄砂の影響で

           太陽が青く見えていた。

                            (この写真も画像サイトより)

 

 

伊都国つうしん 135

 

 

● 4月1日は、エイプリルフール、でしたが。

 

  なんだかここ数年、いや十年くらいかな、

  この 「4月1日エイプリルフール」 の話題が

  ぐっと減ってきた印象があります、どうでしょう?

 

  今年も、4月1日当日、いつものようにネット情報を見ていて

  「エイプリルフール」 の文字があるスレッドを

  見かけなかったような気がして、改めて思ったのでした。

 

 

 

どうしてなんでしょうかね。

 

「エイプリルフールの話題が減った理由は?」

などネット検索しても何もありません。

そう思っているのは、私だけなんでしょうか ………。

 

 

 

20年くらい前なのかな、

まだ 「4月1日といえば、エイプリルフール」 と思われていたとき、

私の印象に残る、最大のエイプリルフール話題はといえば、

(エイプリルフール話題の筆頭といえばイギリスBBCと言われていた)。

 

その年のBBCニュースで、

「ロンドンのビッグベンの時計がとうとうデジタルになります。

 ついてはビッグベンの時針、分針が売り出されることになり、

 その受付開始が4月1日の午前0時からになるようです」

 

(正確ではないですが、そんな内容のニュースが送信されました)

 

 

そして受付開始直後、一番最初に申し込んだのが、

大西洋に出稼ぎしていた日本の漁船からだった ……… という実話です。

 

いかにも日本人らしい逸話として、すごく印象に残っています。

(おそらくイギリスでは笑われたでしょうね(笑))。

 

BBCニュース エイプリルフール」 で検索すると

これまでの面白話題が見られるし、今でもやっているようなので、

4月1日エイプリルフールの話題性が減少したのは、日本だけ?

 

 

 

           ビッグベン(画像サイトより)

           これがデジタルになるわけがない(笑)

 

 

 

いまの若い十代の世代たちは、もしかして

「4月1日エイプリルフール」 を知らないのかも?

(んなことはないか ……)

 

 

どうして、話題性がなくなったのでしょう ………。

 

ウソが、政治から経済から(企業から)、

(社会からとか日常生活からとか、とは言いたくないけれど)

 

もう、いたるところに蔓延してしまい、

いまさら、のことになってしまったから、、なのでしょうか。

 

そうは思いたくないけれど。

 

 

 

      米国時間4月1日のネットニュースに、

      大谷翔平が左投げに挑戦か …、のエイプリルフール。

      米国の野球データ分析会社「Codify」ツイッターより

 

 

 

 

伊都国つうしん 134

 

 

● 数日前、東京と福岡の桜が満開でした。

 

  日本の中で東京と福岡の桜が、開花も満開も

  いちばん早いのがとても不思議ですねぇ。

  なぜ南九州や南四国ではないのでしょう ………。

 

 

ま、ともかく。

私らは28日の午後、ことしも近くの瑞梅寺(ずいばいじ)川沿いの

美しく、心も晴れやかに満たされる桜並木を歩いてきました。

 

沖縄では1月の桜の花見(カンヒザクラ)もあったけれど、やはり、

このソメイヨシノの桜並木は、たまりません。

福岡に越してきて期待した最初の春はコロナで出来ませんでしたが、

翌年の2021年から毎年、この瑞梅寺川の見事な桜を楽しんでいます。

 

日本人でよかったなぁ、と思う事、時って、

ときどき思い出すようにいくつかあるけれど、

この桜の花も、まちがいなくその一つですね。

 

 

以下は瑞梅寺川のことしの桜。(ま、毎年同じでしょうが(笑))

 

 

 

● さて、その「桜と日本人」の関係について、

 

  ある精神病理学の学者・臨床医師が書いた

  「桜は何の象徴か」 というエッセイ、

  つい最近読んだのですが、けっこう衝撃的に面白かったのです。

 

  (例によって長くなりそう ……)

 

 

その学者・中井久夫氏は、昨年亡くなった方ですが(享年88)、

日本の精神病理学界の、最大貢献者の一人とされています。

 

実は私の、気になる言葉を書き留めているノート類の中でも

けっこう古いものに、彼の名前と言葉があるので、

ずいぶん前に読んだことがあるのでしょうが、まったく記憶になく、

ここ数年改めて読んだりしてます(といってもエッセイですが)。

 

ともかく博覧強記の人ですが、

文章のうまさ、言葉の使い方の巧みさ、表現力のすばらしさには、

本当に驚きながら感銘します。

 

それは、精神病理学の専門家ならではの、

あらゆるものに対しての分解力、解析力、洞察力があり、

そこに中井氏自身の個性・感性が重なって、アイデアあふれるテーマ、

惹きつける発想とそれを印象づける文章になるのでしょうね、きっと。

 

 

ま、ともかく。

 

彼の最初のエッセイ 『記憶の肖像』(1992年刊)の中に、

「桜は何の象徴か」 があります。

 

単行本で6ページほどなのですが内容は実に濃いし、面白い。

ともかく趣旨と思われるものをまとめてみますと、

(文責は私、「」内 は原文です)

 

 

  見事に美しく咲き誇る桜、

  そして満開になってすぐに、いさぎよく散る桜、

  それは、武士だったり軍人だったりの象徴であるかもしれないが、

  そういうものとしての桜が、日本人の象徴であるわけがない。

 

  (この導入の、一般的な「桜、日本人の象徴」論 を憶えておいて)

 

 

  「いさぎよく散る桜」「見ごろが二、三日」 というが、

  実はそうではない。肥料をたっぷり与え手入れを怠らなければ、

  濃艶な花を長く咲かせるのだ。

  ワシントンのポトマック河畔の桜も、濃厚で持久力があると聞いた。

 

  (本当だろうかとネット検索したが、開花期間については不明。

   毎年開催される 「全米桜祭り」は2週間ほどの期間らしいから

   もしかすると見ごろが二、三日ではなく、長いのかもしれない)

 

 

 

             ポトマック河畔の桜

            (この写真は画像サイトより)

 

 

 

  「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という植木育ての言葉があるが、

  枝を切ると、桜は弱る。

  庭の真ん中に桜を植えるとどうなるか …… 庭いっぱいに枝を広げる。

  しかも覆いかぶさる枝の傘の下には、一木一草も生えない。

  これは桜の木が毒ガスを出して、他の植物を枯らすからだそうだ。

 

  花見どきは、人が集まって木の下で無礼講を開くが、

  それが終わると、覆いかぶさる枝の下は桜の実の腐った残骸と

  おびただしい毛虫が被い尽くして人が寄り付かない場所となる。

 

 

 

            桜を庭に植えた家庭で、

            花見のあとの

            毛虫の大群の話は聞いたことがある。

 

 

 

  桜をめでるあまり、山あいから移し、さらには庭に生えてしまったのは

  桜の責任でないかもしれない。

 

  ただ、切るといじける、切らないでいると ……

 

  「放っておくと図に乗って縄張りをひろげ、その傘の下にあるものを枯らし、

   汚いものを降らせ、さりとて伸びるのを阻むといじけて哀れっぽく

   特殊事情を訴える」

 

  桜には、そういう象徴にもなりかねないことを

  時々思い出す必要があるかもしれない。

 

 

桜についての、ちょっと意地悪なほどの見方ですね (笑)。

でも冒頭の 「いさぎよい」 と 「日本人」 を結びつける

いわば、為政者がわの偽善に対しての、反発なのだろうと感じます。

 

そして皮肉も込めているかもしれませんが、

精神病理学者からの視点として、

 

“へたすると、こういういやらしい日本人の象徴になるかもしれないよ”

と、警告しているようにも私には感じられて、とても衝撃的でした。

 

 

 

● 最後に。

 仕事をしていた頃の、思い出にある桜の話。

 

クライアントの若い女性が何年かのアメリカ赴任から日本に戻り、

その時の話を、私にしてくれました。

4月初めだったそうで、東京はあちこちで桜が満開だったそうです。

 

久しぶりにその咲き誇る桜を見て、

「私、なんだか涙がとまらなくなってしまったんです」 と。

 

その話を聞いたときに私は

(あ、彼女とはうまくやっていけるな) と思ったのです。

桜には、そんな力があるような気がします。

 

 

 

 

伊都国つうしん 133

 

 

● 少し前、日経新聞4回コラムで 「台湾、知られざる素顔」がありました。

 

  今回は伊都国ではなく、台湾の話です。(長くなりそう)

 

 

  台湾については 「Okinawa通信」で何回か書いています。

  なにしろ最も近い沖縄・与那国島から見えますし、

  私らも沖縄に居るうちに台湾に行こうと思いつつ、結局 ……でしたが、

  近い存在、という意識はありましたから。

 

  

  台湾は(沖縄と同じように) 何度も他国から統治された歴史があります。

  もともとの台湾人たちは、古くはオランダ・スペインの植民地とされ、

  その後、明朝時代から清朝時代まで当時の中国に属国とされ、そして、

  日清戦争によって1895年から1945年(50年間) 日本の領土でした。

 

  その50年間で沖縄からは多くの人々が台湾に移住生活してましたし、

  台湾からも多くの人々が沖縄に移住生活していました。

  なにせ同じ国でしたから。

 

  それが戦後、

  台湾に移住していた人々の日本(沖縄)帰国・引き上げは、

  満州引き上げ同様に大変だったことを、沖縄で初めて知りました。

 

  そして台湾からの移住者たちは、台湾に戻るにしても、

  また日本国の新しい国籍をとるにしても大変苦労したことも。

 

  なにせ戦後すぐ、台湾を統治していた国が「中華民国」から

  現在の中国「中華人民共和国」に変わったから、厄介な問題でした。

 

  さらにその中華人民共和国(共産党)に敗れ、台湾に逃げてきた

  中華民国が台湾の実権を握る、複雑な関係になったからです。

  (ウィキによると、正式な中国名称はやはり 「中華民国」らしい)

 

 

● さて、導入が長くなりましたが、

 

  現在、私が(おそらくは我々が) 抱いている台湾のイメージは、

  親日国家であり、経済的に成功している民主主義国であり、

  大国・中国からの独立を目ざしてして、中国よりは米国寄りな国、

  というものだと思います。

 

  特に最近の緊迫した米中関係により、米国からの台湾寄り状況もあり、

  よけいそういう印象を持っていました。

 

 

 

  それがこの小さな4つのコラム 「台湾、知られざる素顔」を読み、

  背筋が凍るような、怖さを感じたのでした。

 

  1回めが、台湾軍幹部・国防部幹部の中国頼りの話

  2回めが、親中派と対中強硬派の長い対立疲れとそこを突く中国の巧みさ

  3回めが、知られている経済の中国寄り頼りの、思っていた以上の深刻さ

  4回めが、現在の台湾を開始した蒋介石のひ孫・蒋万安が総統になり得る話

 

 

ここまでも長いですが、

それぞれザッとどんな話か短めに話してみようと思います。

本当にちょっと怖くなる話ですが、今の台湾と中国の関係がよく分かるし、

その関係の多くは、

実は現在の日本と中国との関係によく似ている、でもありますから。

 

 

興味のある方は、どうぞ着いてきてください(笑)。

 

 

 

1回目  見出しは 「それでも中国が好きだ」

 

 

  2010年代に台湾軍幹部を務めた男の話から始まる。

  退役後 「軍幹部OBのお決まりルート」 で、中国で商売を始める。

  台湾軍の情報を中国側に提供できるうちは商売は順調だったが、

  次第に提供できる情報が減ってきて、ついにはお払い箱になる。

  彼がやっていた商売は当局の嫌がらせで閉鎖に追い込まれる。

  が彼は 「それでも中国が好きだ。恨みはない」 と言う。

 

  17万人を抱える台湾軍では、幹部たちは依然、

  中国人を親とする中国ルーツの 「外省人」が牛耳る旧習がつづく。

  歴代国防部長も外省人が独占する。

 

  「そんな軍が有事で中国と戦えるはずがない。

   軍幹部の9割ほどは退役後、中国に渡る。

   軍の情報提供を見返りに金稼ぎし、腐敗が常態化している」

 

  独立派の民進党 (民主進歩党)から総統になった 蔡英文は、

  就任早々 「新たな軍をつくろう」と、いろいろ画策するけれど、

  軍は終始、蔡英文の改革案に抵抗しつづけた。

  蔡英文は軍部を掌握できていない ……。

 

私はこの第1回めのコラムを読んで、驚いたし、背筋が凍る思いだった。

米国が長年、台湾への武器売却や支援に慎重だった理由が

ここにあったわけです。

 

それがここ1、2年急激に、軍事面でも台湾に大きな支援を始めている。

もちろんそれが米中関係の緊張が原因だとしても、

この1回めコラムの軍部のとんでもない腐敗が、改善されたのか、

それとも、そんなことを言ってられなくなったのか ……。

 

 

 

        中国と台湾。(以下は画像サイトより)

 

 

 

               蔡英文総統。

 

 

前回の統一選挙で民進党が大幅に議席を失った責任をとり、党首を辞任。

従って来年の総統選には出られず、総統職から離れる。

 

私は、この蔡英文総統の言動・政策に、とても政治家らしい政治家だと

現在の日本の政治家に対してはまったく感じない尊敬の念を持っていました。

 

 

  

● あぁ、これではとても長くなりそうなので。

 

 2回め以降は、本当に抜粋だけにしていきます。

 

 

2回め  見出しは 「世論の隙、中国が突く」

 

  台湾では1990年代の民主化後、

  親中派と対中強硬派の対立、分断、消耗戦が長く続きます。

  その疲れが現れ、最近では両派ではなく、

  いわゆる無党派が全有権者の4~5割に膨らんでいる。

 

  その隙きを中国が突く。

  SNSを利用し対中強硬派を崩していく世論工作をする人々を

  「匿名人」が次々と買収している。

  「中国の『代理人』として世論工作に加担する台湾人が後を絶たない」

  

……… そういう現状になっている。

 

 

3回め  見出しは 「政治の理想で飯は食えない」

 

  2000年頃、経済的に進んでいた台湾から、遅れていた中国へ、

  中国国策企業への技術指導を含めて、中国に移り住み、利益、

  いや巨万の富を気づいた 「台商」たちが今なお 80万人居る。

 

  そして現在、台湾からの輸出の4割は、中国向けだ。

  「中国から経済で自立する力は、もはや今の台湾には

   残っていない」

  「過去数十年、台湾企業は成長する中国市場で手っ取り早く稼ぐ

   ことに慣れ、長期的な戦略を考えてこなかった」

   

そしてかつて技術指導した中国企業群は、もはや台湾企業を危うくする

大きなライバルとなってきているのです。

これはもう、日本と中国の企業との関係そのものですね。

 

 

4回め  見出しは 「祖父継ぐプリンス 登竜門に」

 

  初代総統・蒋介石のひ孫、蒋万安氏が

  昨年末の台北市長選に、親中派の国民党から出て圧勝。

 

  直近4人の総統のうち3人は元台北市長、まさに登竜門だ。

  彼の祖父は2代目総統だったし、父は国民党副主席、

  在任中何度も、習近平と会っている、という関係だ。

 

  8年におよぶ蔡英文政権が来年終わる。

  統一選挙で大敗し(おそらく中国のSNS戦術もあり)、

  いま、対中強硬派の人気は陰っているときに、

  入れ替わるように登場した蒋万安氏は、次次回の総統選の

  国民党の最大の候補者だ。

 

  台湾社会の底流に今、「中国寄り」にも傾く系譜が流れ始めた。

 

 

 

             蒋万安氏、44歳。

 

 

中国の、対台湾へのしたたかな戦略・戦術によって、

現在の台湾の「知られざる素顔」は、私の、いや私だけじゃなく、

おそらく多くの我々の想像とは異なる、恐怖の事態になっている。

 

最近の米国のなりふり構わないほどの台湾接近の方向転換は、

その焦りなのかもしれません。

 

 

この日経新聞コラムが書いた台湾現状を、日本政府は当然、

情報として知っている(と思いますが)、

だとして、どういう戦略・戦術を持っているのだろうか。

(まぁ、対米追随でしょう)

 

 

岸田首相をはじめ、辞任した(安倍実弟の)岸防衛大臣などなど、

正直、まったく期待させてもらえない現状に絶望すら覚えます。

 

(来年、台湾総統を辞める蔡英文さんを、日本にスカウトしてほしい(笑))。

 

 

 

  

 

 

 

 

伊都国つうしん 132

 

 

● 九州、そして福岡にはいろんな地図があります。

 

 

    地理は変わらないわけなので、

    それを、地域地区でいろいろ呼び名があったり、

    あるいは行政上でいろいろ呼び名があったりします。

 

 

まずは現在の九州の地図を。

 

 

 

       九州といっても現在は、

       7つの県です。

       (以下すべて画像サイトより)

       この画像には空港の書かれている。

       そうか、佐賀県だけ空港がない。

 

 

 

次に、この地を九州と名付けた時代の地図を。

廃藩置県の前は、いくつもの藩があったのが、

現在ではよく耳にするこういう呼び名は、たぶん明治初期以降と思う

 

今でもその地方を呼ぶ名として普通に使われている(天気予報でも)。

 

 

 

 

 

筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後・日向・大隅・薩摩………の

九つの州です。

この前と後(例えば筑前筑後)、これは天皇のいる京都に向かって、

近いほうが前、遠いほうが後です。

なので当然、筑前より筑後のほうが京都とよりも遠いわけです。

 

 

つまりこの九州の呼名は、明治以降じゃなく、

江戸時代、あるいはそれ以前から使われていたかもしれません。

 

 

● さて福岡県は、この九州の呼名の、筑前・筑後、豊前の一部で、

  たぶん肥前、肥後、豊後はない、と思います。

 

たぶん、というのは、どうも「福岡県と昔の九州の関係」など

ネット検索してもよく分からないからです。

ご存知の方がいたら、教えていただきたいです。

 

 

 

 

次はその福岡県の、現在の市町村についての地図。

風来坊として福岡市西区に越して、やはりその地のことを

とても知りたくなるのだけれど、市だけに限っていっても、

未だになかなかその名と位置が、頭の中で浮かんで来ない………。

 

年齢かね、いや、コロナ禍であちこち行けていないから(言い訳)

土地勘がなかなかできないのかも。

 

 

 

            福岡県の市町村図。

            これを見て改めて知るのは、

            北九州市や八女市の大きいこと。

            そして、ひらがなの地名が

            うきは市、みやま市、みやこ町の3つ。

            村は、赤村、東峰村の2つ?

 

 

私が3つのひらがな地名のうち最も興味をひいたのは「みやこ町」です。

というのは、みやこ町は、京都郡の中にあります。

最初に福岡県の地図を買って眺めていて、この「京都郡」を見たとき、

大学を京都で過ごした私はちょっと驚き、「きょうとぐん」なんてあるの?

と勘違いしたからです。

 

もうひとつ。

大学時代から好きな夏目漱石の、なかでも好きな作品の一つ「三四郎」、

主人公・小川三四郎の出身地が、九州の豊前とされています。

三四郎のモデルとしてよく言われているのが、いわゆる漱石一門の一人で

彼の出身がこの京都郡ということを、こちらに来て知りました。

そんなどうでもいいことを知って喜ぶ………

ま、つまりそれだけ私は漱石マニアということですかね。

 

 

 

             その福岡県の

             現在のエリアの呼び方。

 

 

福岡、北九州・遠賀、筑豊、筑後北部、筑後南部、京築 ………

6つのエリアに分けています。「地方」とか「部」とか、何もつけないとか

さまざまですが、おそらくいろいろ言い方があるのだろうと想像します。

 

ここで「筑豊」という、いわば 筑前と豊前との間のエリア名は、

石炭生産地としての明治以降の呼び方でしょう。

 

「遠賀(おんが)」は、上の市町村図で北九州市の西にある町ですが、

遠賀川という北部九州では有名な川が流れている土地です。

しかしなぜ「北九州・遠賀地区」とされているのか、よく分からない。

 

この地図を見て始めて知った 「京築(けいちく)」というエリア名。

ウィキによると北九州地方の南東部で、「京都郡(みやこぐん)」と

「築上郡(ちくじょうぐん)」の合成地名とのこと。

どのくらい普通に言われているのか、ちょっと分かりません。

 

ロコニュースでもこれまで聞いたことがない気がします。

(もっとも知らない言葉なので聞こえてこなかったのかも)

 

 

 

もっといろんな地図があるのでしょうが、とりあえず最後に、

福岡県のクルマのナンバーエリアの地図。

 

 

          福岡県の管轄では

          4つのナンバーがある。

          福岡・北九州・久留米・筑豊。

 

 

 

 

ちなみに九州では。

「九州運輸支局管内」というところで8つの県(沖縄含む)を

対象にしているらしい。13ある。

 

福岡県が上記の4つ。

長崎県が2つ、「長崎」と「佐世保」。

あとは各県1つ。

「大分」「佐賀」「熊本」「宮崎」「鹿児島」「沖縄」です。

 

……と思ったら、これでは12です。

よくよくネット情報を見直してみたら、鹿児島県には2つ。

「鹿児島」ナンバーともうひとつ、

「奄美」ナンバーがあるようです、これで13です。

 

 

さすが福岡市、毎日おもに西区と糸島を走っていて、

九州7県のすべてのエリアナンバーを見ています。

さすがに「鹿児島」は少ない。数回見たかなぁ、と感じ。

 

そして「沖縄」ナンバーは、

私のクルマと、もう1台だけ見ました(笑)。

 

あ、「奄美」ナンバーは、見ていないかもしれない…………。