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Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

伊都国つうしん 156

 

 

● 相変わらず、図書館から借りて本を楽しんでます。

 

   何回か前に書きました、

   村上元三という、最近は話題にさえならない大御所時代小説家に

   ことしはハマってしまい、小説、エッセイと借りてます。

   気に入った本(文庫ですが古本しかない)を4冊買ってしまうほど

   ことし一番ハマった作家です。

 

   それと並行して最近読んだ本で面白かったもの2冊。

 

   ・『 口約 古事記 』 町田康

   ・『 がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法 』 芹澤健介

 

 

 まったくジャンルのちがう本ですが、簡単に紹介。

 とはいえ、やはり少し長くなるかも。

 今回も伊都国とはまったく関係ない話です。興味のない方は飛ばしてください。

 

 

 

 

      『 口約 古事記 』 町田康 

      20234月 単行本 480p講談社

 

 

● 「抱腹絶倒の古事記」…… と、何かで知って、

  古事記ものは(解説書ですが) 何冊か読んでいるので、興味シンシンで。

 

“口約” … とありますが、関西弁です、

それもかなりキタナイ、あるいはドギツイ関西弁 (関西人はそう思わないかも)。

いわゆるディープといわれている河内弁なのか、と思ったけれど、

調べてみたら、町田康は堺出身とのことなので、堺弁なのかもしれません。

 

 

ブログで紹介しようといくつかコピーを取ったのですが、

なんと無くしてしまったので、ネットでのこの本の紹介文で使われている

“口約” … を以下に。

 

「汝(われ)、行って、玉取ってきたれや」「ほな、行ってきますわ」

 

これ確か、“ 国譲(ゆず)り ”といわれるところで出てきたと思う。

オオクニヌシが地上で作った国を、高天原にいる天照大神らが、

神を地上に降ろしてその国を譲ってもらう(いわば神が取り上げる) 場で、

天照大神から意を受けた神が、選んだ位下の神にその旨を告げる場面である。

 

「汝(われ)、行って、玉取ってきたれや」

「ほな、行ってきますわ」

 

全編、こんな関西弁の、それもかなりドギツイやりとり。

 

 

           国譲り 画像サイトから

           この画像も、“口約”?(笑)

 

 

もともと古事記に出てくる神々たちは、

まぁごくごく “人間的な感情の持ち主” として描かれています。

なのでこの口約の、えげつない人間的な語り口は、ある意味とても納得。

 

しかしそれだけではなく、実は古事記をしっかり読み込んでいるのが

その内容を読んでいるうちに分かります。

古事記に興味がある人は、楽しく読めて知識を広げられるかもしれません。

 

 

 

 

  『 がんの消滅 天才医師が挑む光免疫療法 』 

   芹澤健介・著  小林久隆・監修

   20238月 新潮新書 256p

 

 

● この本には本当に驚かされました、知らなかった ………。

 

 がんが、本当にあっという間に消滅していく。

 その治療法がつい最近、日本の研究者、この本の監修者でもある

 小林久隆氏によって発見され、オバマ大統領が2012年の一般教書演説で

 「米国の偉大な研究成果」 と発表しているのです。

 

 小林氏は米国国立衛生研究所・国立がん研究所の主任研究者。

 

 その治療法の内容についてや、発見の現場、臨床での治療法として

 実際に認証されるまでかかる膨大な費用、時間とエネルギー ………

 それらが考えられないほど短時間で可能になった理由や、実際の経緯、

 それは父親をがんで亡くする直前の楽天・三木谷浩史氏との大きな出会い。

 さらには、 

 どうしてこの発見ができたのか、小林久隆氏自身の経歴、人間性の紹介など、

 

 とっても濃い内容で、感動モノでした。

 

 著者の芹澤健介氏はライターですが、医療ライターではないので、

 現在のがん治療にはどんなものがあるか、というベーシックなことから始まり

 まったくの素人目線からのさまざまな具体的な知識が紹介されています。

 

 それが素敵なドキュメンタリーになっていて、読ませます。

 

 

▼ この光免疫療法というもの。

  (すでに手元に本がないのでざっくり。間違っていたごめんなさい)

 

  もともと小林久隆氏の研究は、がん細胞だけを検視できる道を探っていた。

  がんのマウスにさまざまな試薬を投入し体に影響の少ない近赤外線を当てる。

  そしてがん細胞だけが光るようにするための研究・実験です。

 

  そのさまざまな試薬の実験中、ある試薬を使って光を当てると、

  がん細胞が消えてしまう………という現場に出会います。

  実験結果としては、これではダメだとなるところを、

  小林久隆氏が、これはもしかするとと注目することで始まるのです。

 

  つまりこの薬剤を使い近赤外線を当てると、なんとがん細胞が、

  (本の惹句にあったが、「がん細胞がぷちぷち壊れていく」)

  という大発見をするのです。

 

  治療法としては、

  体に負担がかからないし、短時間でがん細胞は消えていく、さらには、

  その影響で本来の患者がもっている免疫機能が強化されるという効果もある。

  つまり、転移しているがん細胞も血液を通って免疫機能がつぶしていくのです。

 

 

 

         光免疫療法 (画像サイトより)

 

 

  まったく夢のような治療法です。

  ただ現在の治療は、薬剤や近赤外線が患部にとどく範囲にとどまっています。

  でもごく近い将来には、それも解決されるだろう、と書かれています。

 

  そうなると健康診断で疑いがあった時点で、予防としてこの治療法をやれば

  その時点でもし、がんであったも、消えるということになるのです。

  そんなに遠くない将来に、「がん」という病気が消える………。

 

  そういう明るい話が書かれている本です。

 

  小林久隆氏本人がどういう人で、たっぷり遅まきなどんな苦労をしてきたか、

  そんな人物伝も楽しめる、感動的な本でした。

  がん治療に興味のある方には、ぜひおすすめです。

 

 

 

 

 

話変わり。

 

 

        1029日(日)今津湾 北風6~7m/s

         日曜日なので結構ウィンドサーファー多し。

         この日気温は21度、たしか海水温は22度。

         しかしウェットはもう冬仕様です、私は。

 

 

 

 

伊都国つうしん 155

 

 

● 実は、10月第週と第3週の週末小旅行は、今年春に決まってました。

 

 

  第1週末からは前回ブログどおり、友人の結婚式。

  そして第3週末からは、私の父母の法事でした。

 

  父は私が20代のときに、56歳で亡くなりました。

  母は6年前の2月、数え年90歳でいわば大往生でした。

 

  今年は母の七回忌。

  昨年、その予定でいた私はふと父のことを思い出し、

  そろそろ五十回忌なんじゃないのかな ……と。

  実際には2年後だったのですが、

  今年の母の七回忌にあわせて父の五十回忌ができないか ……と、

  菩提寺に聞いてみたところ、いいですよぉとのこと。

 

  なので、8か月遅れの七回忌と2年くり上げ五十回忌を、

  父の命日に行うことに決め、そのための小旅行でした。

 

 

もっとも、せっかく遠くに行くので、それにあわせてモロモロ予定を組みました。

 

・福岡から札幌千歳空港まで直行便で午後6時過ぎに札幌のホテルに着いた初日、

 ナミさんのヨガ友だちで私も親しい、熊野・新宮市の女性が札幌在住の人と結婚、

 そのお祝いも兼ねて、その夜に4人でうまいジンギスカン鍋を楽しみました。

 

・2日目は、父母の法事のため、甥家族の好意でクルマで小樽の菩提寺へ。

 無事に法事もすませたし、久しぶりにきょうだい親戚に会って歓談しました。

 

・3日めは、私は再び小樽へ。

 小樽の高校時代の友人でリタイア後北海道に戻った友人たちと昼飲みの楽しい時間。

 ナミさんは、札幌在住のヨガ友だち3人となんと日ハム本拠地エスコンフィールドほか

 札幌周辺ドライブで楽しいひととき。

 

・そして4日め、毎日、酒を飲みさすがに疲れた二人は、福岡までの直行便で戻りました。

 

 

 

 

● 以下は、この小旅行の前からの写真を含めて、最近の日々のこと。

 

 

 

         畑をやってる糸島に住む友人夫妻

         今年はいろいろ野菜をもらっている。

         ゴーヤもたくさんもらったが、

         今年最後のゴーヤを持ってきた中に

         こんなバカでかいもの。

         比較のために置いた新書をみると

         巨大さがわかる(笑)。

 

 

 

          私は昔から昆布、ワカメが大好き。

          昆布巻も好きでよく食べるけど、

          スーパーで買ったり取り寄せたりの

          昆布巻のたぶん甘さに飽きてきた。

          ので、自分で作ってみた。

 

          見ての通りちょっと固めにできてたが、

          市販のものにないうまさがあって

          成功感あり(笑)。

 

 

 

        10月20日2階ベランダから、あっ三日月 …

        と思ったけれど、カレンダーを見たら、

        実際は、五日月。

        でもなかなか上手く撮れない月が、

        そこそこ上手く撮れている。

 

 

 

 

              小樽での法事のあとで、

              まぁ小樽の最大観光地、運河を

              二人で散策。

              見た通り寒い雨空なのだけれど、

              ナミさんの希望で、小樽の

              うまいソフトクリームも食べた。

 

 

 

             札幌初日のジンギスカンで、

             北海道の「山わさび」というのを

             初めて体験し、そのうまさに

             思わず大量に買ってしまった。

             山わさび、ナミさんが調べたら、

             ホースラディッシュだった。

             でもいろいろ味付けをしてうまい

 

 

寒い北海道から、福岡には夕方着いたのだけれど、

思わずふたり、暑いと、口から出ました(笑)。

 

 

 

 

伊都国つうしん 154

 

 

● 観測史上もっとも暑かった9月も終わり ……

 

 

   気づかないうちに前回のブログから日にちが経ってしまい、

   10月も半ばとなり、ようやく秋らしくなりました。

 

   その9日~11日と、二人静岡に行ってきました。

   若い友人の結婚披露宴に参列するため、でした。

 

 

   もともとナミさんのヨガ TT(ティーチャーズトレーニング)受講の同期。

   沖縄時代もここ福岡でもわが家によく遊びに来てくれて、

   私ともとても仲よくしている女性です。

 

   昨年12月にすでに入籍していたのですが、

   この秋に改めて結婚式をあげ、大きな披露宴を催し、呼んでくれたのです。

 

   私、これまでの人生で人の結婚式披露宴に参列したのは、なんと2回め。

   ですが、やはり人が幸せな姿を見るのはとても気持ちよく、うれしいですね。

 

 

         これはナミさんが撮った写真

 

 

  彼も、私たち二人に会いたがっている ……と話には聞いていました。

  彼女とも会うのは久しぶりだし、そんなこともあってか、

  なんと披露宴が終わった夜、二人で、私たちの部屋に寄ってくれたのです。

  

  ナミさんが持参した2本のうまいワインを4人で空け、

  初めてお会いした彼ともいろいろ話をしました。

 

  ま、幸せそうな二人から、

  ハッピーオーラをもらい、私たち二人も幸せな気分になりました。

 

 

 

● 以下は、2泊3日の静岡小旅行の、写真の羅列です。

 

 

旅程はこんな感じ。

 

福岡空港からFDA(フジドリームエアラインズ)で静岡空港へ。

私、FDAも静岡空港も初めて。

 

空港バスで静岡駅へ (約50分)。

ちょうど昼時なので、静岡から確か3駅東の清水駅へ。

その駅すぐそば清水港の魚市場の食堂へ。

清水港……私としては、

清水こうではなく、清水みなと、と呼びたい。

ご存知かどうか、

「清水みなとの名物は~、お茶の香りと男伊達」の歌、

たしか、森の石松(知ってるかな?)がらみの歌から。

 

静岡駅に戻り、ホテルのシャトルバスに乗り、

披露宴会場と私ら宿泊の、日本平ホテル(約30分)へ。

 

帰りは、それの裏返しです。

 

 

 

 

          福岡空港の出発ゲート。

          空港の出発ゲートではいつも奇妙な気になる。

 

          自分の便を待っているあいだに、

         「定刻○○時出発、沖縄行きの……」とか

         「東京行きの……」 「札幌行きの……」など、

          まるでここから始まる、人生のチョイスの場に

          いるような、そんな妙な気分にいつもなってしまう。

 

 

 

            静岡空港。初めて。

            正確には 「富士山静岡空港」。

            今回、久しぶりに富士山会えるかな …

            楽しみにしていたが、あいにくの天気。

 

 

 

   静岡空港から静岡駅までの空港バス。

   飛行機がほぼ満席だったので、

   バスに乗れるか心配していたけど、

   たしか乗った人は5人ほど。

   空港駐車場にクルマがたくさんあったので、

   それも納得。

 

 

 

         清水港(みなと)にある魚市場中の食堂。

         2階建でお店がたくさんあった。

         そこで食べた海鮮丼。

         途中まで食べて慌てて写真を撮った。

         手前はすでに食べたあと ……(笑)。

 

         鯛、マグロ、ネギトロ、

         生シラス、シラス …… の海鮮丼と

         マグロのスペアリブがついて、

         確か1,300円だったと思う。大満足。

 

 

          日本平ホテルのロビー、ガラス張り。

          残念ながら富士山見えず。

          晴れてたらこんな風に見えますよ写真と。

 

          日本平ホテルは東京にいた時から

          たぶんCMでしょう、名前は知っていた。

          まさかそこに泊まるとは思ってもいなかった。

          宿泊代はなんとご招待。 恐縮。

 

 

 

             披露宴の食事の最初

             先付けメニューの中に一品に、富士山。

 

 

 

          3日めの朝、ようやく晴れ間が。

          ホテル・レストランからすぐ庭へ。

 

          富士山、頂上は笠雲で隠れているが、

          ようやく姿を見せてくれた。

          下は清水港周辺が見えている。

          私はいつも山梨側、

          富士吉田や河口湖側から見ているので、

          風景がずいぶんと違うなと実感。

 

 

 

        帰りの富士山静岡空港からも富士山が。

        下の山並みの上、雲の中に見える。

        思っていたより小さいな、と。

  

 

 

 

             ここで、周辺の地図を。

             静岡空港は、地図の左側にある

             島田市にある。

             なので右上の富士山からは離れている。

 

             島田市にある空港から静岡駅の間には、

             焼津市や藤枝市、大井川がある。

             これを見ると、

             日本平ホテルは、本当に平らな所にある。

             しかし実際には、静岡市内から

             かなり山を登ったところにあった。

 

 

 

伊都国つうしん 153

 

 

● 伊藤野枝は、ご近所・今宿(いまじゅく)で生まれ育っています。

 

   伊藤野枝(のえ)(1895年(明治28年)121- 1923年(大正12年))

   を知っているのは多くは年配者でしょう。

   そしてその多くは、野枝はアナーキストで性に奔放で、

   同じくアナーキストの大杉栄とともに憲兵に虐殺された………

   というくらいの知識しかないのではないでしょうか、私もですが。

 

 

 

       伊藤野枝と大杉栄。(画像サイトより)

       

 

 

  今回初めて知ったのですが、今宿で生まれ育ち、貧乏ゆえに

  何度か養女に出され、たぶん唯一金持ちの東京の親戚をたよって13歳で上京。

  それから本当にモロモロあり、28歳で憲兵隊に虐殺されるまで、

  実に7人の子どもを生み育てています。

 

  頭の良さ、信じられないほどの早熟さ、とんでもない女性だと知りました。

 

 

この 「伊藤野枝100年フェスティバル」 というイベント、

伊藤野枝のことを2日間にわたって語るもの、のようですが、

2日目の午後、講談師の神田紅が自作の 「伊藤野枝物語」 を演じ、

作家・編集者の森まなみが、おもに伊藤野枝の 「青鞜」編集者時代を語る会を、

糸島に住む友人夫妻がチケット買っていたのが、旦那が行けなくなったので、

こちらにお鉢がまわってきて、私がありがたく行ってきたしだい。

 

 

前述のように、ここ福岡市西区に越してくるまでは、

伊藤野枝の名前と漠然とした知識はあったものの、こちらに来て、

あ、今宿の人だったんだと知り、そして当地では有名人なので、

興味を持っていたしだいです。

 

 

  伊藤野枝100年フェスティバルのチラシ。

  「100年早かった女・伊藤野枝 ……」 とある。

  講談・講演を聞いて、まさにそう感じる。

  現在だったら、きっとすさまじいほどパワフルな

  女性問題リーダーになっているでしょう。

  今のようなジェンダー後進国・日本

  (146カ国中125位)

  ではなかったかもしれない。

 

 

 

 

● この100年フェスティバルの、100年、

 

   これは伊藤野枝が虐殺されてから100年、ということです。

 

   ちょうど前回のブログで、関東大震災から100年、という話をしました。

   実は、この関東大震災と大いに関係があるのを知りました。

 

 

 関東大震災の直後、どこからか「朝鮮人が井戸に毒を仕込んだ」 というような

 デマがながされパニックになります、多くの朝鮮人が酷い目にあいます。

 そしておよそ戦時下でしか発令されない、戒厳令が出されます。

 

 それによりわずかな嫌疑でも、政府側が官憲側が勾引できるのです。 

 

 事実、大杉栄の妹の子と一緒に避暑地からの帰り、自宅近くで(待ち伏せか)

 伊藤野枝、大杉栄、子ども橘宗一3人が、無理やり連れ去られ、

 そのまま、虐殺されるのです、罪のない子どもまでも。

 

 まさに100年前の死は、関東大震災が大いに、関係したわけです。

 

 

一応、  

フェスティバルで知った伊藤野枝の略歴を、短く簡単に書きますと。 

  

  当時は普通だった親が決める縁談が嫌で、最初に家をでたのが、13歳。

  今宿に戻されるが、東京の親戚に何度も長文の手紙を出し、

  その内容にほだされて許され上京し、上野高等女学校4年に編入したのが、15歳。

 

  翌年16歳には級長になるが、アメリカで働く青年との結婚を余儀なくされる。

  が、入籍後、卒業式のため上京し一旦帰郷するが、9日後に出奔。17歳。

  女学校の教師・辻潤のもとに転がり込む。辻はこれで辞職をよぎなくされる。

 

  ダダイスト辻潤は辞職後、まったく仕事をしないため、17歳の野枝は、

  「原始、女性は太陽であった」で知られる、平塚らいてうが始めた

  当時先進的な女性文学雑誌 『青鞜』 に入社し編集者になる。

 

  辻潤との間に2人の子を生む(長男は18歳の時)。

  辻は子の面倒をみないので、子連れで 『青鞜』編集部で仕事をする。

  19歳で大杉栄と知り合う。

 

  平塚らいてうが愛人と千葉御宿に去ったため、野枝が一人で 『青鞜』を編集。

  20歳で 『青鞜』の編集兼発行人となる。

 

  大杉栄と恋愛関係になり、辻潤とは正式に離婚。

  その後一緒に殺されるまで大杉栄とともに過ごし、5人の子を成したが、

  婚姻関係にあったかどうか、調べてもよくわかりません。

 

  …………… それ以後も、モロモロと …………

  

 

  

 

  伊藤野枝、20歳過ぎくらいと

  言われている写真(画像サイトより)

 

 

 

 

ま、正直、語り尽くせないです。

伊藤野枝の28年間は、通常人の2倍3倍圧縮された年月なのでしょう。

その信条、資質、言動力、原動力、持続力、爆発的な勉強力 ……。

ある意味、今宿が生んだ偉人・異人ともいえますね。

 

興味のある方は、本という形で彼女の足跡が残されています。

 

28年という短い人生なのに、その間に彼女が書いた文章、

なんと伊藤野枝全集があるし、岩波文庫に「伊藤野枝集」(森まなみ編)がある。

 

 

伊藤野枝は、ともかく書いて書いて書きまくった人のようです。

その内容はきっと読んだ人間を動かす力があるのでしょう。

東京の叔父を説得し、青鞜社の平塚らいてうをも説得し、自ら道を拓いた。

 

フェスティバルでの講師・森まゆみがまとめたレジュメに、

森が印象に残って選んだ言葉が、いくつか載っていました。

 

その最後に、当時、警察の最高長官でもあった内務大臣の後藤新平あてに

書いた長文の手紙の中の、一節がありました。

 

 

 「あなたは一国の為政者でもわたしよりは弱い」(「後藤新平宛書簡」191839日  )

 

後藤新平も印象に残った手紙だから、書簡集に残したのでしょう。

 

 

 

伊都国つうしん 152

 

 

● 今年は、関東大震災から100年目ということもあってか、

 

   防災の日(9月1日)には新聞やネットニュースも

   その話題が大きく扱われていましたが、

   例年ならばもう少し大きい話題になっていた 「9.11」 が

   なんということもなく過ぎた印象でした。

   あれは 2001年ですから 22年目。

 

   私も新聞に少しは扱われていた記事で、思い出したしだい。

 

 

そんな、関東大震災や 9.11とは関係のない、

9月初旬の、能天気な日々の話です。

 

 

9月に入り雨の日など、数日、最高気温が30度を下回った日もありましたが、

その後は、夏同じつらい暑さがつづいています。

週間天気を見ても、

 

 

          福岡はまだまだ30度超えの日々。

          沖縄の週間天気よりも高い気温

          厳しい暑さがつづく。

          ま、34、35度はさすがにないか。

 

 

今日(12日)の夕方、

いつものように上半身ラ族ではありますが、

リビングの大窓を開け放した状態で、やさしい西陽が小さな庭を照らし

読書しながらそれを眺めていてとても気持ちいい時間が楽しめました。

 

少しずつ、いい気候にはなりつつあるようです。

 

 

 

● わが家のカレーリーフの果実

 

 

   インド・スリランカ料理が大好きで(ヨガ関連でしょう)、

   ズームでときどきその料理教室もやっている、ナミさんが

   わが家の庭や鉢で栽培しているカレーリーフ。

   インドでは大きな木になるそうですが、鉢の中でも元気に育っています。

  

   この葉っぱをカレー料理に使うわけですが、

   ピッと葉っぱをちぎって噛むとまさにカレーの風味がする、という植物。

 

  

 

   これがわが家のカレーリーフ。

   まだまだたくさん鉢があり育っている。

   小さな花を咲かせたあと、

   このように果実をたくさんつける。

   なぜか鳥に喰われない……。

 

 

 

果実を獲って食べてみると、やはりカレーの味がするのです。

不思議な植物が、健気に、子孫を残そうとたくさんの果実をつけている。

 

 

 

 

●わが家の柿を収穫。

 

 

 

     今年7月のブログに載せた

     わが家の、まだ小さく青い柿。

 

 

9月初旬から中旬に収穫時期を迎えるのですが、

例年、風によって落ちる実もふくめ10個以上は成っていたけど、

今年はどういうわけか数が少ない。

 

落ちた実はなかったと思うのですが、

収穫できたのは全部で4個、という少なさでした。なぜだろう?

 

 

 

 

              まずは3個。

              まだまだと思っていたのに

              収穫した理由は、右の1個、

              柿色になっていて

              皮が裂けかけていて十分に

              熟れていたから。

 

 

その後、木に残っていたもう1個も早めに収穫して、

昨年やったように、りんごと一緒に袋に入れて追熟させたのでした。

 

 

 

          これは1個だけ熟れて収穫した柿。

          すでにこんな状態で、柔らかいので

          スプーンで実をすくいながら食べる。

          とても甘くてうまい。

 

 

          これは青かった柿の一つ。

          2日ほど追熟させたら

          硬かったのがこんなにドロドロに。

          なので、

          アイスクリームと一緒に。

          これまたうまかった。

 

 

 

私は、ここ福岡にくるまでの人生で、

柿は、嫌いじゃないけれど特にすすんで食べたいと思わないものでした。

ま食べても、一年に1個、(ことしも柿、食べましたよ)的な感じでした。

 

それがここに越してきて、玄関前に柿の木があり、毎年実をつける ……。

せっかくだからと食べ始め、今や、わが家の柿はもちろんですが、

それ以外に(ナミさんは柿好きなので) お店から買ってくる柿も、

以前は無関心だったのに、(おいしい …)と食べるようになりました。

 

不思議ですね、好みが変わる理由というのは。

昔は食べられなかったものが好きになる ………は、多くは年齢的に結構あるけれど、

こんな理由で柿を好きになる、というのは。

 

 

 

● 糸島のとんかつ屋、まぁド田舎というか山里というか、

 

   つまり(ええっこんな場所にあるの?) という場所に、

   おいしいとんかつ屋さん、教えてもらいました。

 

 

糸島に興味のある方は、

糸島市香力(こうりき)という場所を検索してもらうと察せると思います。

 

糸島に住む友人からナミさんが教えてもらった、おいしいという店。

彼女のメールには、クルマで走っていて (えっ本当にこんな所にあるの?)と

不安になるような場所にあるよ、とメッセージがあったそうです。

 

 

まさにそのとおりの、グーグル先生によって走っていての感想。

そして「到着しました」 と言われたけれど、どこ? とゆっくり走っていたら、

ようやく見つけた、到着できた、というお店。

 

 

 

              とんでもない山里に

              ポツンとある、とんかつ屋。

              古民家の店の周辺写真を

              とるべきだった ……。

 

 

            私はランチのロースカツ

            (1,500円)

            ナミさんはヒレカツ

            (確か1,700円)。

 

 

最初に出されたお茶、湯呑の冷たい緑茶がおいしくて、

大きな陶器の急須の蓋をあけてみたら、茶の葉が見えたので驚く。

きっとしっかりお茶を出したあとに急須ごと冷やしたんだろう…。

 

なんか丁寧な仕事だな ……と、それだけで楽しみになり、予想どおり。

ランチメニューだけれど、味噌汁の出汁や具も、インスタントではないし、

サイドメニューもそれぞれしっかりおいしい。

なによりロースとんかつの味が、本当においしかった。

 

久しぶり、おいしいとんかつを食べたな、と思いました。

とんかつって、東京時代から、そんなにおいしい店はなかった。

(金に糸目をつけなければ、そんなことはないのでしょうが)

 

東京時代、私が住んでいた広尾・恵比寿周辺で、1、2軒、

沖縄時代には残念ながらなし、なので毎年1度東京に行っていたときは、

贔屓にしていた店に行くのが楽しみだった。

 

福岡に来て、実はそういう店は見つけていなかったのです。

コロナの影響で福岡の都心になかなか出られず、いい店を見つけられない

という事情をあったと思います。これから開拓しようと思っていた。

(もちろんこれは私の嗜好の話。好き好きの話です)

 

そんな状況で、大満足のとんかつ屋、まぁクルマで20分以上、

慣れるまでは店にたどり着くまで、グーグル先生のやっかいになりますが、

 

それでも気に入ったとんかつ屋に出会えて、とても幸せ。