福岡市を守る背振山地のこと | Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

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2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

伊都国つうしん 58


● 北を海、南を山で 挟まれた 福岡平野の福岡市。


   その南側の山が、背振 (せぶり )山地です。

   福岡県も九州北部の他のエリア同様に、出水期などは特に、
   大雨や台風による水害が多い土地柄です。

   福岡市に来て2年に満たないのですが、その間にも県内で災害がありました。
   しかしその大きな災害は、同じ福岡県内でも、
   中南部の筑豊地方や、有明海に面した広い筑後地方に集中しています。

  
   2年未満の福岡市民ですが、
   福岡市じたいは実は昔からそれほど災害が多くはない、と知りました。

   そしてそれは南側にある背振山地の存在が大きいのでは、と推測できます。
   風水害を、福岡市の後ろにそびえる背振山地が盾となって守っているのでは、と。

  

  実は、ジムのプール知り合いの男性にそんな話を向けたところ、
  確信的に、背振山地があるからだ、と言ってましたから、
  生粋の福岡市民たちも、おそらくそう考えているのだろうと、思いますね。




 

                海に突き出ているのが糸島半島。
                その右が博多湾で、
                湾沿いに広がるのが福岡平野。

                そして南にある大きな塊が背振山地。
                その東側の平地あたりが筑豊地方。
                南に広がるのが筑後平野。

                他の地図で見てみると ……。




 

 

 

                 福岡市のある福岡平野は
                 南西の背振山地 (佐賀県側の塊は表示されてない)
                 南東の三郡 (さんぐん) 山地に挟まれ、
                 両方から守られていることが分かる。

                 対して筑豊地方や筑後地方は、
                 西の海からの強い暴風雨が広い平野を過ぎ、

                 東の大きな山地帯が壁となってぶつかり、
                 平野部に、長く、風雨雲を停滞させる ……
                 そんなふうに推測できるのでは。





● 少し話は変わり。

   なぜ今回、「背振山地」 の話をしようと思ったのか、というと。

   気になったこと気に入ったことを書き抜いているノートが、たくさんありますが、
   その一冊を見返していたら、ずい分前に記したメモに

   「背振山地」 を見つけたかからです。
  

1934年生まれの精神病理学者 ・ 中井久夫氏。
たいへんな博覧強記の人で、私はおそらくエッセイを数冊読んだだけ、だと思いますが、
彼の本の中の言葉でした。
 

  メモを見ると、抜粋のさらに抜粋のよう。 しかも軽率なことに出典が書いていない(バカ)。



    佐賀県には 「里 (り)」 という地名が多い ……… (吉野ケ里 伊万里) ……
   
    「里」 は韓国では 「村」 の意味である。

    「背振」 の名も
     ニニギノミコトが天から降り立った 「ソホリ」 と似ており、
     これは 「都」 の意味の 「ソウル」 である。
 
    「セブリ」 はそのままサンカの宿営地でもある。


背振の名が、天孫降臨の 「ソホリ」 と似ていて、しかも
ソホリは、韓国の 「ソウル」 である ……… という話も、改めて面白いのですが、
今回は最後の一行。


「サンカ」 とは、「山窩」 という難しい漢字で書かれたりしますが、
江戸時代のいわゆる士農工商などの身分制度にとらわれない、というか、
その対象外の、山々を移動しながら生活した人々です。

時代小説が好きなので、以前からその存在は知識として知っていました。

穢多非人と同じように差別された人々なのですが、
彼らは山々を移動して暮らす放浪民、いわば制度外の自由人として
小説内では描かれたりもしています。

日本各地の山々に暮らし、放浪しながら生活する。
ひと頃には20万人近くいたのでは、などと推測されています。

  いま思い出したのですが、宮沢賢治の 「祭りの晩」 という童話に出てくる

  山男も、きっとサンカの人だったのでは、と。


福岡の背振山地にも、当然のように、サンカの人々の暮らしはあったようです。

それどころか 「セブリ」 という言葉は、そもそも 「サンカ」 の宿営地を
意味しているのでは ……… という話なのです。


どういうつもりで、この中井久夫の言葉を書き抜いたのか全く記憶はないですが、
その背振山地に守られている福岡市に越してきた私は、

ノートを見返しているとき、改めて、突然なんか不思議な出会いをしたように、
感じたのでした。




 

         今回ネット検索などしていて
         初めて知った
         映画 「瀬降り物語」。1985年。

         萩原健一(ショーケン)が
         主演してるんだね、知らなかった。
         まさにサンカの人々の映画だ。