こんにちは!
ときどき海と山、いつもは地元関東での暮らしを楽しんでいる50代です。
私は一人娘。
男の兄弟が上にも下にもいます。
それでも今、入院中の母をめぐって、
なぜか矢印のほとんどが私に向かってくる。
サポートしたい気持ちは確かにあるのに、
同時に「なんで私ばっかり?」というひっそりとした気持ちが沸きあがる。
このモヤモヤの根は、たぶんきっと、私の思考の癖だけじゃない。
子ども時代の家庭内ルール、
そして大人になってからも繰り返し聞いた母の言葉が、
私の中で静かに積み上がってきた結果だと思う。
女の子なんだから。
男の兄弟がゲームをしている横で、
私は母とキッチンに立つ。
中学生からは、自分の分は自分で洗濯。
社会人になっても母に洗濯してもらっていた兄弟たちを横目に、
私は制服の白ブラウスに毎日アイロン。部活で疲れた夜も、試験前の時間が惜しい日も。
おかげで、今でもアイロンは一番嫌いな家事。たぶん、これはトラウマ。
そして極めつけは、贈り物とセットで贈られたあの一言。
将来、お世話になるのはあなたじゃなくて「お嫁さん」だから。
つまり私は、優先順位のいちばん下。
「お世話しなくていいなんてラッキー!」と受け流したふりをしながら、
心のどこかが静かに固まっていったのだと思う。
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時代は変わった。
性別による役割分担は、少しずつほぐれてきた。
でも、私が育った頃は、過渡期の狭間だったのだろう。
家庭はガチガチの男女役割区別、学校はフラットな男女平等教育。
そのギャップの中で、
私は「役割」を覚え、兄弟たちは「免除」を覚えた。
そして今。
いざ親の危機となると、
矢印はまっすぐ私へ。
不条理の極み、と思う瞬間がある。
でも、親は親。
必要とされるなら、私は行く。
行くけれど、モヤモヤもまた事実。
もし、相手がまったくの他人だったら、
私はプロジェクトとして淡々と回せたかもしれない。
でも親が相手だと、過去の記憶が勝手に割り込んできて、
感情という名前の砂が歯車に挟まり、心がきしむ音がする。
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プロジェクトが混乱したときは、まずタスクの細分化と整理。
これを、今の状況にも適用しようと思う。
私の今の混乱は、やるべきことと、背負い方の混同にある。
やるべき連絡、段取り、移動、病院との連携。
これらは、リソース(兄弟)を有効活用して、省力かつ効率的に回す。
そして、背負い方は、昔の家庭のルールを踏襲しない。
「女の子なんだから」の重りは外して、
「私だから」に置き換える。
やるべきことは、できる人が、できる時に、できる分だけでいい。
情報は家族LINEで一斉共有、判断はみんなで分担する。
私がやると自分で決めた範囲はきちんとやる。
だけど、やらないと決めた範囲は、はっきり心に線を引く。
私はサポートする。
でも、娘だからと当然のように、全部は引き受けない。
私が選んだ範囲で、最適に、そして長く続けられる形で支える。
この線引きは、親不孝じゃない。
むしろ、続けられるサポートのための前提条件だと思う。
昔の心のささくれに塩を塗らないための、私のセルフケアでもある。
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たぶん私は、これからも何度も揺れるだろう。
キッチンの湯気やアイロンの熱気や、
あの一言を思い出して、静かにざわつく夜もあるだろう。
だからこそ、
過去のルールで、今を決めることはしたくない。
今を生きる私は、
今の私のルールで、これからを決めていいはずだ。
親の危機に、私の心の矢印は「行く」方向を指す。
でも、その矢印の大きさと角度は、私が決めようと思う。
元気な方は元気を維持で、
そうでない方は早く元気になりますように![]()
皆さま、どうぞご安全にお過ごしくださいませ。
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