家売るオンナになりました〜実家の処分〜② | ET Phone Home

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2011年3月比較的早期発見で入院・手術→明細胞腺癌Ⅰc、そういう人の状況がわかるものがあまりないので、自分でブログを始めることにしました。その後仕事を続けながらTC療法を6クール行いました。2023年で干支が一回りして12年に❗️

母が2016年に亡くなりました。

そんなに早く逝ってしまうと思っていなかった、、、、ショボーン


京都市内には「⚪︎⚪︎寺門前町」「△△寺町」という住所が

いっぱいあります。

実家もそうです。つまりお寺の借地。

定年後に少しずつ片付けようと思ってたら

借地の更新手続きの案内がびっくり


亡くなった人の名前では更新できないので

高校のブラバンの後輩に保険代理店をしている男子がいて

色々と詳しいし色々な人を知ってるので

紹介してもらってまず登記の名義変更。

そして更新手続き。


実家をどうするか?

もしかして姪っ子が京都の大学に行くかも

しれないので、その時は実家を利用すればいいし、

など考えていました。


定年後に少しずつ、、、と思っていた片付けですが

コロナ禍で予定が変わり、再雇用でもう少し働くことに。


月に一度か二度は実家に帰って少しずつ片付けていました。

とにかくゴミ出しが大変。

いつも頼りにしている高校のブラバンの同級生、ライオンさんは

何でも詳しいので相談していました。

2018 /8


2021/1


2021/6


2023/5


2023/6


いやあこうやって振り返ってみると本当に頼りにしてたわ〜爆笑

で、ライオンさんがなるべくゴミを普通に回収してもらえる中で

出しておく方がいいよ、とアドバイスしてくれたので帰るたびに

ゴミ出し。


しかし燃えるゴミの日の朝にいることができないので

ここでも高校時代の同級生を頼りにしていました。

彼女と同じクラスにはなったことがないのですが

たまたま同じ町内の少し年上の男性(私は面識ない)と

結婚して、近くに住んでいるのでいつもゴミ袋をガレージに

置いておき(生ゴミは出さないで持って帰る、少しだけだし)

LINEでお願いして次のゴミの日に一緒に出してもらう、

ということをかなりの間していました。

初めの頃は母の生協仲間の方にお願いしていましたが

高齢の方にずっとお願いするのも、、、と思っていたので

途中からガレージを貸しているブラバンの後輩に、

その後同じ町内の彼女に。

本当に助かりましたニコニコ

いつも45Lの袋を2〜3袋出していたので、それだけでも

数えきれない量を出していました。


ゴミ袋だけで2tトラック1台分はあるなぁびっくり