珈琲と虹と鯨の棲む場所 -37ページ目

珈琲と虹と鯨の棲む場所

東京都三宅島をフィールドに直感を綴る


上手くいっている人に、「そもそも何がきっかけですか?」と聞くと、
「あの人とのご縁で」とか「たまたまご縁があって紹介して頂いて」とか
人のご縁からいろいろな事が動いたことを知る。
逆に、縁もゆかりもないところから、何かを動かすのは至難の業だ。

学生の時に就職の面接を受けると「今回はご縁がなかったということで」と
断られることが何度もあった。今考えると便利な断り文句だなぁと思うけど
逆に「ご縁」って大事だなぁと思う。もう少し広げてみると、
「お父さんには世話になったから」とか「同級生だった」「同じ学校だった」
なんていう、「ご縁」もかなり広く繋がったりするミラクルもある。

「物事の流れがうまくいく」という理由に、必ず人のご縁がある。
ご縁があって難しいことが前に進んだり、奇跡的な事が可能になったりする。

若者と会話をする時に最近よく使う「GNO大事!」というフレーズ
G(義理)N(人情)O(恩返し)が大切だという事
世の中の仕事は人との繋がりから運ばれるもの、
そういうシーンをたくさん見てきた。

強い思いや努力だけではどうにもならない事ってある。
何かがうまくいかなかったとき、「ご縁がなかったということで」と、
きっぱりと割り切って、これからは諦めることにしよう。笑


10月16日に「第1回三宅村教育在り方検討委員会」に参加しました。
※参加報酬については辞退し、無報酬で意見を言わせて頂く立場を選択しました。
第6次総合計画(2022年~2031年)の三宅村の教育について話し合う場
ソフトとハードのそれぞれの事業についても議論する。
老朽化した校舎や付帯施設、学力向上や社会教育、地域との関わり方など

今年度中に数回行われる予定で、三宅島の子供たちの未来について、
教育から地域を変えるつもりで、真剣に議論を重ねたいと思っています。

11月18日は「三宅島野鳥公園運営委員会」に参加しました。
※こちらについては無報酬ではありません。日当が参加委員に支払われます。
内容についてはアカコッコ館の運営について、今年のコロナ禍の中での活動報告、
来年度の計画と予算について報告がありました。「その他」で意見を言わせてもらい、
①小中学生に野鳥の絵を描いてもらい、「野鳥の絵コンクール」をやりたい
②ハンディキャップ(障害者手帳をお持ちの方)と介添者の
アカコッコ館入場料200円を無料にできないだろうか?
(ガイドさんがお客さんを連れてくる場合やガイドミーティングなどで、
アカコッコ館に入場する場合も入場料は無料にできないか?)
③クジラやアザラシ、トカゲなど三宅島で観る珍しい生き物をもっとPRできないか
このあたりの要望を発言しました。

本日から一般質問の受付が始まり、2問について通告書を作成し提出
12月2日から始まる定例会の議案も受領しました。
質問書などの作成もあり、明日から3連休ですが、議会終了まではバタバタしそうです。


耳慣れない 「超然」 と言う言葉の意味を調べながら、
自分に照らし合わせ「孤独癖な寂しがり屋」と結論を出す。
自分を客観的に見つめるのは苦手なので、美しい夕陽に無言で逃避する。

 「作家の超然」では、2016年に両足踵骨折で人生初入院、初全身麻酔、初手術、
朦朧として気が付くとちんちんに管がついていて、
担当の看護師さんが、本田翼似の若い人だったのでショックだった。
※石原さとみ似だったら立ち直れなかったと思う。
都立広尾病院で42日間入院し、車椅子生活だった日々を頭の中で重ねた。

人生には人に言えないようなつらい話はいっぱいある。
18/27


彼女にとっての20作目の長編サスペンス
なかなか読み応えのあるボリュームで1日で読み切ることができず、
読んでいる途中で007のカジノロワイヤルを観ちゃったので、
なんだか他界するリュシーや乃緒がオーバーラップしたり、
バハマの景色、モンテネグロなどが読みながら脳裏に浮かんでしまった。

最後まで読み終わり、池澤夏樹さんの解説を読んでいると、
なにやらサトーは銀河鉄道999の星野鉄郎、乃緒はメーテルのような気分にもなった。

三宅島はみなかみ町と友好都市なので、ダムの話は絵が浮かぶし、
山の描写や会話のなまりなどは、実際に触れた人々の体温を感じる。

岸良昌町長とはみなかみユネスコエコパークに認定された後、みなかみ町を訪問し、
2017年に挨拶した時は、改選後で町長退任ご挨拶となってしまっていた。
※その後新しい前田町長はセクハラスキャンダルで失職する。

個人的には絲山作品16冊目だが、すでに17冊目も読了しているので、
17/27となった。残り10作品でコンプリート

 

 


たまに商品を値切る人がいる。それはその人の日常的な、あたりまえの行為なのかもしれない。
いったいいくらだったら納得するのか?そんな人とのやり取りは、後々まで尾を引く。
50歳を過ぎて、自己嫌悪、自己検証、自己否定を寝る前に思い起こすと、
あんなことを言わなければよかったとか、あれはやめればよかったとか、思い悩む。

お店のボーンフック(クジラの骨のネックレス)の値段をみて、値切る人が何人かいた。
そういう人には「お守りを値切ると、幸運が逃げてしまいますよ」と説明する。
それは自分も若いころ、そういう時があって、ある経験をしたからそう言うことにした。

かつて旅行の仕事をしていた時に、世界を旅して買い物をする時には、
「ディスカウントプリーズ」があたりまえだった。
1995年に友達と沖縄に行った時に、当時、どうしても大きなシーサーが欲しくて、
万座毛近くの市場のような場所で、接客してくれたお姉さんに、
「なるべく大きいのを買うのでディスカウントしてくれますか?」と聞くと、
「縁起物をディスカウントすると幸運が逃げていきますよ」と言われた。

その瞬間に、いけない事を聞いてしまった。失礼なことを言ってしまった。と思い、
すいませんでしたと謝って、大きなシーサーを2体買った。
(そのシーサーは25年経った今もお店のショーウインドウに飾っています。)
その経験があって、クジラのボーンフックについては、「値切り」を断っている。

相手に対する想像力とか、言葉のチョイスが乏しいと、
思いがけずに相手に失礼な空気を与えてしまう事がある。

「嫌な人」とは付き合わなければいいし、SNSで「失礼な人」はブロックすればいい。
50歳も越えて、自分を殺してまで、我慢して付き合う必要もないし、
「嫌な人」や「失礼な人」と過ごす時間はすみやかに捨てたほうがいい。
大切な人生時間の無駄だから、映画を観たり、音楽を聴いたり、読書したり、
好きな時間にあてたほうが、自分が成長できます。

対照的に、この人に会うと元気がもらえるとか、
他者に配慮のある方で、言葉のチョイスがものすごく秀逸で、

自分もこうなりたいと思う、素敵なオトナもたくさんいる。
そういう人たちと時間を共有したいし、残る人生を過ごしていきたいと心底思う。