

2014年に妻と二人でハワイ島を旅した。タヒチやモーリシャス、プーケットなど
いろいろと旅したけど、ハワイ島は人生でも思い出に残るいい旅だった。
マウナケア(4,205m)に登る途中にあるオニヅカ・ビジター・センターで
必ず買おうと決めていたナルゲンボトルが上の写真だ。
日系人であるオニヅカ氏の話といえば、
1986年1月28日のスペースシャトル チャレンジャー号の事故

あのたった数十秒の宇宙へ旅立つ瞬間、事故で他界したハワイ州出身のオニヅカ氏
アメリカのパスポートには、オニヅカ氏の言葉が印刷されている。
"Every generation has the obligation to free men's minds for a look at new worlds...
to look out from a higher plateau than the last generation."
どの世代の人たちも自由な心を持っていなければならない、
前の世代が到達できなかった高みから新しい世界を見渡すための心を。
-Ellison S. Onizuka-
エリソン・ショウジ・オニヅカ

オニヅカ・ビジター・センターでは、心に残る植物(ギンケンソウ)の
20年に一度しか咲かないという花も見ることができた。
本当に素晴らしい旅だった。

アメリカ先住民の言葉で、「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人たちが、
どうしても生きたかった大切な明日だ」という大好きな言葉がある。
※幻冬舎 社長 見城徹さんの「たった一人の熱狂」を読んで知った。
昨日は三宅村教育在り方委員会に出席した後、ある方の訃報を知った。
その方とはサラリーマンを辞めて、三宅島に戻ったころから、
「はやく政治の世界に入って来い!一緒に政治をやろうぜ!」って言ってくれた方だった。
※結局2回の選挙で戦う事もなかったし、一緒に議会をやることもなかったのが残念です。
昨年12月の議会終了後に、連絡をしていて、こんなメールが残っている。
「議会おつかれさま。引っ越ししました。もちろん島から離れるつもりはありません。
治療の関係で島にいない時もありますが、月20日は島にいます。まあ出歩かないので
島にいないと思われている人が多いと思いますが。
帰ったら顔を出しますので、よろしくお願いします。」 結局、これが最期となってしまった。
※このメッセージの後、こちらからすぐに電話をして話もした。
議長も務め、2012年には村長選挙も出馬、50代の他界は早すぎます。
一緒に政治をやりたかったし、議会の中で色々と教えて欲しかった。
なんとなく撮った昨日の夕陽は、特別切ない夕陽だった。
もしかしたら自分がそうだったのかも?と読んでいて当てはまることがある。
小さな島での感情労働、表層演技と深層演技、
大学時代の友人や高校の同級生にも何人かいる。
だからと言って何もしてあげることができない
たまにメールがきたりすると、逆に安心したり、嬉しかったりする。
みんな、生きづらい世の中を、必死で生きている。
現在の絲山秋子27作品の中で一番重たい内容だったかもしれない。
24/27
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(Hedwig and the Angry Inch)観ました。
オフ・ブロードウェイで上演されたミュージカルと、その映画化作品
旧東ドイツ生まれで性転換ロック・シンガーのヘドウィグが、幼い頃に母から聴かされた
プラトンの「愛の起原」のような自分のかたわれである愛を探して全米各地を巡る物語
音楽がいいのとトランスジェンダーがきれいに映ってるかな🤔ファラフォーセットは別物😆
本当の愛って何だろう?と問いかける映画としての好みが分かれると思うけど、
チョコレートドーナツのような切なくて泣ける感動はなかった。
ヨソ者はどこにたどりつくのだろう?
さすらい続ける嘘つき男の、太陽と海を結ぶ旅
いろいろとやらかして、最終的には地元に帰る。
富山弁の「だいてやる」は「おごってやる」ってこと
「たびのひと」は「よそもの」という意味
人生ってなんだ?生きてるってなんなんだ?
【追記】群馬県立土屋文明記念文学館で「絲山秋子展」開催中
絲山秋子さん↓ロングインタビュー
このロングインタビューで話している、「突然降りてくる」は
同じ経験をしている。2012年に夜の虹を見てから、朝起きると進むべきレールが、
ガチャンっと音を立てて見える。(高崎の祖父が国鉄職員だったからではないと思う)
それをやると、「ああ、これは最初からやるべきだったんだ」と思う。
2014年にハワイ島に夫婦で旅したのは、幸せな時間だった。
あのタイミングでしかできない旅だった。あ~またハワイに行きたいなぁ~
というより、旅がしたいなぁ~台湾も行きたいし、ニューヨークも行きたい。

