2021年4月
彼に会いたい。。。。更新ver.
”何故?あなたはそんな切ない顔をするの?”
そう思っていた私です。
web sportivaより
アイルトン・セナ財団公認商品 写真集より
映画(アイルトン・セナ~音速の彼方へ [Blu-ray])を観て答えがわかったような気がしました。
あのF1全盛の輝かしい時代でも・・・
不思議と彼の写真や映像は切ない顔、遠くを見つめる顔が多いのです。
80年代~90年代前半、F1全盛期、世界中で華やかなF1の人気が盛り上がっていた時代。単なるモータースポーツというだけでなく、そこには大勢の人と企業、そして莫大なお金と政治が動いていた事は間違いないのでしょう。
本当にそういう時代です。
Yahoo映画写真より
アイルトン・セナがレース中に亡くなったのは、1994年5月1日34歳の若さでした。
セナの真後ろに走っていたのは他の誰でもないシューマッハです!
シューマッハの車の搭載カメラがセナの事故をしっかり映しておりました。
私は20代でした。今でもあのレースをしっかり覚えています。翌日出社したら社長に驚かれた事も・・・
時は流れ、2000年イタリアGPの記者会見で泣き崩れたミハエル・シューマッハも忘れられません。
人によっては、シューマッハの輝かしいキャリアの中で最も印象に残ったシーンをこの記者会見と答える人もいる程です。彼は、セナが事故死して6年後の2000年:イタリアグランプリで優勝。
アイルトン・セナと並ぶ41勝目を挙げた。
レース後の記者会見でのシューマッハへの質問「これで勝ち星がセナと並びましたね」
この後、シューマッハは泣き崩れました。単に泣いたではなく、本当に泣き崩れていました。(横にいたハッキネンまで貰い泣きする状態になってしまった記者会見でした。)
シューマッハはセナの死後、セナ亡きF1の世界で自分の実力を示さなければならなくなった。セナの事故はシューマッハとは全く無関係だった事は間違いない事実!!けれどバトンを受け取った彼もまたF1の世界で大きな何かを背負い続け、縛られてきた。だからこそ、解き放された瞬間だったのでは・・・・
話をセナに戻すと・・・・
彼は、間違いなくブラジルを背負ったスポーツ選手だった。
母国ブラジルの悲しみがどれほどだったことか・・・
当時の国葬に推定120万人とも300万人とも言われた国民が沿道を埋め尽くしていた映像に言葉を失いました。
本当の意味の国葬だったのだと・・・
🏁 🏎一人のスポーツ選手の葬儀が国葬だったということからも・・・
🏁🏎5月1日を交通安全の日と政府が決めたことからも・・・
ブラジルにとって、当時の彼の存在がどれほどだったことか・・・
あの時代のブラジル国民にとって・・・
彼は間違いなくブラジルの数少ない希望の明るい光だったのでしょう。
Autosportの写真より
F1という華やかな世界に身を置き、恵まれた環境に生まれ育った彼だけど・・・
”何故?あなたはそんな切ない顔をするの?”
そう、誰よりもその事実を彼アイルトン・セナ本人が理解し背負っていたのだと思います。
その若さで、どれだけ大きなものを感じていたことか・・・・
20代だったあの頃の私にはわからなかったけれど・・・・
全てを賭けている人の表情って美しい。
”F1は純粋なカーレースではない。”
彼は繰り返しそう語っていたそうです。
セナにとって、純粋にレースを楽しめたのは、カート時代だったと・・・
そう、それは純粋にモータースポーツが大好きだった少年の頃だったのです。
また彼を思い出す時期になりました。彼に感謝をこめて、偲びたいと思います。
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旅を大切に思う一人として・・・
皆様の健康と世界を皆が自由に行き来出来る安心した日々が戻る事を願って!
こんな時ほど毎日を穏やかに皆様過ごしましょう。