R5 12/22【ゲスト:飯山 陽】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第274回 | eteko屋スタジオ

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勝手気ままに生きてる自己中だよ。
妄想では、苦節40年のミュージシャンなのだ。

R5 12/22【ゲスト:飯山 陽】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第274回

金曜日に、いかりちゃん移動。

木曜日は石平さん。



【etekoのボロ屋敷の周りを激写してみた。】

壱日で撮ったものじゃないなあ。
何日か分の写真が入ってる。


燃えるゴミの取集場所は、etekoボロ屋敷から、50メートル圏内に3か所ある。
この日は、この場所に、燃えるゴミを出してきた。

平屋の市営アパートからの出口の過度の所が主席場所になってる。
火曜日、金曜日が、燃えるゴミ出しのひで、8時30分きっかりに、ゴミの取集者がやってくる。

それまでに、燃えるゴミを出さないといけないのだか、出せない。ショボーンショボーン




ゴミ取集場所から写した市営アパートは。20室くらいあるのだが、空き家だらけだ。
昭和36年の頃に増設されたころには、20室に、20家族が住んでいた。
入居者は、幼い子持ちの夫婦が多かった。
家族には、2人以上の子供がいた。

この区画に、100人近くの人間が暮らしてた。
いや、etekoのボロ屋敷の住人を足せば、100人以上は住んでたなあ。

etekoのボロ屋敷は、日立鉱山の城下町の新町で米屋をやっていた。
この町は、日立鉱山の坑道入り口の下を、流れる宮田川に沿って流れる道に沿って、戦前から発展していた。
宮田川は、高鈴山系と神峰山系に挟まれた峡谷モドキになっている。

親父が米屋をやってた店舗の前を降りてくと、大正時代に、鉱山関係者の福利厚生の為に建てられた「共楽館」がある。

いろいろ書くと長くなるなあ。

etekoが疑問に思ってるのは、親父か゛その新町から、店舗兼バカでかい二階建ての家をこのに地建てた事だった。

両親は、etekoが生まれた時には、新町で米屋を
やっていた。

親父は、少年兵で、陸軍にいたが、終戦で、祖父母の住んでる日立市に戻って来たらしい。
祖父は、終戦までは、公団に勤めていたらして。
食料の公団らしい。

その辺りも櫛来調べてみる必要があるな。

祖父から聞いてる話では、食料底にいたと時に、艦砲射撃で被爆したと言う。
倉庫に積まれていた、穀物の南京袋や俵が破れて、そこからあふれ出た菊もつに埋まってしまったと言う。

その時は、周りにいた人に直ぐに救助されたと言う。

あの時、救助されなかったら、俺は死んでたと祖父は言っていた。


そんな祖父は、戦後になって、日立市の弁天町で、米屋をはじめた。

そこは、借地の土地に、道路側に向けて、店舗と居間と寝室が二間繋がる。
平屋の家だった。

何坪あったんだろう。

桜川のボロ屋敷の半分もないなあ。


文章はまとまらないなあ。

別にのetekoのブログだよ。

備忘録と言うか、創作ノートだよ。

思い出したことを書いてるだけだよ。

読んでくれてる人の事、全く意識してなよ。

こんな事を、20年くらいやってるのかな。

アメブロは、10ヌ年以上だけど、その前は、ヤフーとかいろいろやってたなあ。

10年も経つと、それ以前の事は忘れてるなあ。ショボーンショボーンショボーン

この記事には、後でかけるまで書いてみよう。

etekoの捜索ノートだよ。

意味不明だよね。チューチューチューチューチュー