この動画のクレジットは、1981だ。
この時には、DocWatxonはライブをやってたんだね。
etekoは、1980年に実家のぼろ屋敷にもどってきた。
それからは、社会人となって、地元の企業の下部会社にもぐりこんだ。
その会社は、「日立設計事務所」と言う会社だった。
大学時代は、東京の三流大学の日大法学部にいた。
ここが日大の本部なのかなぁ。
よう分からん。
校舎は、水道橋駅の海側にあった。?
駅の反対側には、後楽園球場があった。
駅のホームは、階段を上った高架になってるところにあった。
後楽園球場よりのホームの窓らは、後楽園球場が丸見えだった。
あの頃は、巨人が全盛期のころだったろうか。
ON砲がいて、打撃の神様と言われた川上が監督だったような。
近いところに、後楽園球場があると言うのに、観戦には一度も行ったことがなかった。
大学に在学中に、後楽園球場で、キャンディーズの解散コンサートがあった。
しばらくしてから、ピンクレディーの解散コンサートもあった。
etekoが、大学の音楽サークルに勧誘された時の歌い文句は、この音楽サークルに入れば、キャンディーズと共演出来るというものだった。
etekoは、浪人時代から、テレビというものを持ってなかった。
大学時代の4年間もテレビのない生活だった。
情報源は、自宅から持ち込んだラジカセだけだった。
キャンディーズと言う女の子のグループがブレークしてたのは知ってたけど、その動画は、YouTubeを見るようになってからだった。
etekoは、兎に角、ギターの弾ける音楽サークルに入りたかった。
キャンディーズとの共演は実現しなかったけど、この話は、まるっきりの大ぼらではなかった。
日比谷の野音で、五大コンサートとかやった時には、飛んで行スタンプルーの歌手が歌いに来てた。
etekoが一年生でね音楽サークルに入った時の三年生の先輩は、卒業後に、リリィの音楽事務所にもぐりこんだ。
そしその事務所には、後に、ソロになった桑名正博や渡辺美里なんか入ってきた。
桑名正博は、セクシャル・バイレオレットなんかで大ブレークした。
そして、アン・ルイスと付き合い始めて結婚した。
その頃に、音楽サークルの同僚のキンタ君が、先輩の音楽事務所に潜り込んで、桑名正博のボーヤをやり始めた。
キンタ君の誘いで、4年生の時に、桑名正博のコンサートのお手伝いに誘われた。
楽器の搬入の出し入れだけだった。
あれは、日本青年会館のコンサートだったかなあ。
楽器の搬入を終えた後は、二階席の奥で、眼下に、桑名正博のコンサートを観ていた。
あの時のトリの曲は、セクシャル・バイオレットだった。
その前の、サード、レディーもよかったなあ。
桑名正博は、テレビを見られた自宅にいた頃から知っていた。
あの頃は、キャロルが、革ジャン着て、ロックロールをうたって、ブレークしてた。
それに対抗する大阪のロックン・ロールバンドか゛、ファニーカンパニーというバンドだった。
そこの、リーダーでボーカルをやってるのが、桑名正博だった。
そんな関係で、大学時代には、桑名正博の情報は、いろいろは言ってきた。
桑名正博は、大阪の財閥の息子だよ。
でも、内の健ちゃんには叶わないけどね。
そんな話を、よく耳にしたなあ。