この国は終わってる。
etekoが生まれた時から終わってた。
ただ、半世紀くらいは、そんなことを知らずに生きてきた。
知ったからと言っても如何にもならない。
そんな時の流れの中に漂ってるだけだなあ。
死ぬまでは生きてみよう。
母方のお墓にお参りに行ったのは、仏壇の前に提灯を吊り下げた後だった。
ずーと暑くて動かないetekoは、提灯を取り付けるのに難儀した。
でかい提灯の呼び名は何というんだろう。?
家紋が入ってる。
この提灯は、いつ、購入したんだろう。
8月11日が恵美ちゃんの四十九日だから、8月10日に準備したのかなあ。


母方のお墓にお参りに行ったのは、何日だったろう。
恵美ちゃんの納骨の二日後だったかなあ。
恵美ちゃんの四十九日の時は、プーさんは、仕事があるということで、お寺さんの駐車場まで送ってもらった。
午後から、職場に出ると言ってた。
12日は仕事で、13日に、仏壇に供える生花や供え物を持ってやってきた。
午前中に来ると言ってたのに、田尻のetekoハウスにやってきたのは、12時を回っていた。
来るのがあまりに遅いので、スマホしようと思ってた。
事故にでもあったのかと心配した。
車に乗り込んで、そのことを言ったら、「あんたに心配してもらわなくてもいい。」と、強い口調で怒られた。
なんて言う人間関係なんだろう。
すべてに見放されているetekoだ。

母方のお墓は、ナカちゃんの弟の家の近くにある菖蒲霊園だ。
個々のお墓は、母方の実家の近くにあるお墓を、ナカちゃんが移説した。
あの時は、親席の天理教の神主さんとおかみさんが来た。名前が思いだせなくなってる。
そして、高萩のおじさんとトミちゃん。
ナカちゃんとetekoの6人だけだったか。
神主さんは、S酸とでも言っておこうか。
大阪万博のあったころだったか、Sさんに、天理市に連れていかれたことがあったのを思い出した。
あの時の記憶は、断片的にしか残ってない。
奈良の大仏に行ったのはあの時だけだろうか。
柱の下のほうにあている穴をくぐったのを記憶してる。
その後に高校野球で、天理の名前をよく耳にするようになった。
ナカちゃんからは、戦前は、実家の方では、天理教にはまって、財産を食いつぶして、夜逃げした家族がたくさんいたと言うのを聞かされていた。
親戚の神主のSさんは、天理教の支部長だった。
Sさんは、東北大震災の前に亡くなった。
葬儀は、日立市の鞍掛山霊園で行われた。
この時にはetekoが参列した。
常陸太田市で行うのかと思ったら日立市の鞍掛山霊園だった。
この時に参列して驚いたのは、神主さんだけでなく、楽士の人が三人いて、ショウの音楽とお囃子を生音でやっていた。
みんな天理教の人なんだろうか。
他の新式の葬儀で、録音した音楽を流すのは流すのは何度も聞いたけど、生音は初体験だった。
お墓詣りに行くと、いろいろな記憶がよみがえるなあ。
今のうちに書き出しておかないと、どこにも残らないなあ。
残ればどうなのと言うことでもないのにね。











母方の墓参の後、おじさんの家に寄った。
前日に、トミちゃんのところには、暑くならない、午前中に墓参した後、寄ると連絡してた。
それが、午後になってしまった。
墓参を終えたが、まだ、13時を過ぎてなかった。
13時前に、おじさんの家を訪れるのは失礼だと、プーさんが言い出す。
と言いながらも、止めている車の中で、5分位経ってから、車を動かし始める。
おじさん宅に到着。
いつもは、茶の間に通されるが、仏壇のある部屋に通される。
この部屋には、2、3年前に設置したエアコンが設置してある。
お盆の来客は、この部屋に通してるようだった。
今までにはなかったことだった。
とにかく、今年の夏は暑い。
お中元のお返しに、玄米60キロとゴーヤをいただいた。
茶菓子?に出されたキュウリの一夜漬けはうまかった。
ただ、今年のキュウリは、雨が降らないので、みんな終わっちゃた。
水を撒いてやれば、長持ちしたんだろうけど、毎日、暑くてどうにもならなかった。
ただ、ゴーヤは強いから残ってると言ってた。
「元気。」、と聞いた。
やっぱり、90になると、ガクッと来るなあ。
やっとのことで、免許書を更新できたと言ってた。
大宮の方に行ったんだけど、あそこは、厳しいよ。
みんな知ってるから、誰も行きたがらない。
でも、大宮しか空いてないから、そこで更新してきた。
これが最期だろうなと言ってた。
90歳になってたんだ。
来年も米作りはできるのかなあ。
それに、帰りがけに、おこわでなくて、トミちゃんが作った赤飯も持たされた。
二人分が用意されてた。
田尻のetekoハウスにもどった時、玄米30キロ、ゴーヤ3本、赤飯1パックをもらい受けた。
赤飯は、味塩を振りかけながら、酒の肴にしていただいた。
