「黒部の太陽」をYouTube で見られたetekoには、ちょっとした化学変化が起きてるなあ。
今回は、2目の視聴だなあ。
これで、生まれて3回目の視聴だなあ。
最初の視聴は、地元の映画館に、教員に引率されながら、常陸多賀駅ち近くの映画館に見に行った。
中学校は山の裾野の方にある中学校だった。
ここは大久保中学と言って、その頃では、一番最初に鉄筋コンクリートになった校舎だった。
周りの中学校に比べて、それくらいが進んでる中学校と自慢できるものはないんだけどね。
この中学校から海の方に真っすぐ歩いていくと、JRの常陸多賀駅があるよ。
中学校から常陸多賀駅まで、海の方に真っすぐ下っていくと、6号国道を横切る形になるよ。
6号国道を横切って、海の方に向かった突き当りに、常陸多賀駅があるよ。
6号国道を、横切ってからの真っすぐな海の方に傾斜してる道路が、よかっべ通りと言われてる。
よかっべ通りと呼ぶようになったのは、何時の頃からだったろうか。
etekoが、学生の時代は耳にしなかったような、聞いたような。
はっきりと認識したのは、etekが社会人になって実家に帰った頃からだなあ。
この通りで、街起こしの一環で、年に一回の今頃、よかっべ祭りと言うのを始めた。
このよかっべ通りに面する商店街が始めたのかなあ。
6号国道から、常陸多賀駅まで続く道路を歩行者天国にして、その道路で、いろいろなイベント会場を設置してお祭り騒ぎをやるようになった。
そんな道路を中学の校舎を学生服を着た中学生がぞろぞろと、常陸多賀駅の近くにある映画館に向かった。
常陸多賀駅前のロータリーの手前を左側に曲がる。
その道路は、常磐線の線路に沿うように、日立駅のある方向に続いていた。
その通りを少し行くと、映画館が2つ経っていた。
今となると、映画館の名前は思い出せない。
国際東映と大映だったか。
今は、跡形もなくなってるなあ。
国際東映の方は、外壁は残ってるのかなあ。
映画館の敷地は駐車場に生ってる。
車で通った時に、駐車場のスペースが余り広くないのに驚いた。
車が、10台くらいしか止められないんじゃないのかあ。
このスペースに大きなスクリーがあって、その前に埃っぽい客席が並んでいた。
正面が入り口で、入り口の2階に映写機の機器が入る部屋があったんだろうな。
その両脇に、狭い2階席があったように記憶してる。
そんな映画館で、中学生の時に、「黒部の太陽」を見せられたよ。
三船敏郎と石原裕次郎が共演した映画が出来たというのは耳にしてたけど、etekoとしては、見たくてしょうがないって訳でもなかった。
それが、中学校で見に行くといから見に行っただけだよ。
考えてみたら、中学生から高校生まで、映画館に映画を見に行ったというのは、「黒部の太陽」の一本だけだったなあ。
etekoは、小学生の頃までは、多賀地区にある映画館によく通ってたよ。
etekoが、学生時代までは、常陸多賀駅の周りの狭い地域に映画館が3軒もあったよ。
etekoの家では、米屋をやってたよ。
店舗の建屋の外壁が、十字路の過度に面してたよ。
3軒の映画館が、その外壁に、映画の看板を貼らせてくれと頼みこんできたよ。
看板が設置されると、各映画館で上映する映画のポスターを定期的には李に来たよ。
そのお礼として、映画館では、無料入場券をetekoの家に2枚置いていったよ。
親父は、映画を見に行くような親父ではなかった。
親父の年の離れた弟が、この映画のタダ券を目当てに、毎週のように、etekoの家に来ていた。
この親父の弟が家に来た時は、eteko を 出しに使って、映画館に連れて行ってくれた。
気の乗らない時は、行かなかったけど、ゴジラや怪獣映画は、映画館で見たよ。
大魔神もガメラも、地元の映画館で見たなあ。
一番最初に見たのは、ディズニーの101匹わんちゃんだったなあ。
初めて、ひとりで歩いて行ったよ。
あれは多賀会館と言う映画館だったなあ。
近所で、同級生の女の子が歯科医の家があったなあ。
周りに、同級生の家が点在してたなあ。
今でも住んでるのかなあ。
全く、付き合いないなあ。
ああー、YouTube で、「黒部の太陽」を半世紀ぶりに見たら、いろいろな事を思い出したなあ。
その頃のetekoは、この道路がなんで、大学通りと呼ばれてるのか知らなかった。