を聞きながら、ラジオ屋 ( 創作ノート その12) を 書いてみよう。
Famiky Strings って言う事は、年取った方が 、Billy String の ファザーなのかね、
Billy String は、子供の頃から、側でギターの音が流れてたんだね。
Billy String は、ギターを弾き始めたんだろうね。
家庭の環境が、いい方向に動いていったんだね。
でも、有名なミュージシャンの子供が、有名な売れっ子ミュージシャンになると言うもまれだなあ。
ラジオ屋 ( 創作ノート その12)
実哉が米屋の商売を始めようと思ったのは、息子の一龍 = 息子 の事を考えての事だった。
東京の陸軍から、日本軍解体で、私の所に復員してきたものの、職はなかった。
復員してから息子の一龍 = いちさんは、町の昔からヤクザの桜川一家に所属していたのか、街のごろつきになっていた。
父親の美哉さんは、米屋を初めて、いちさんを早く堅気に戻して思っていた。
自分が、今務めてる食料倉庫の管理から手っ取り早く商売を出来るのは、「米屋」に思えた。
いちさんは、故郷の福島の会津に、両親がブラジルに行くと言って、幼い時に、姉と二人で、親戚に預けられた。
預けられた親戚の家も、コメ農家だった。
いちさんは、幼いころから、コメ作りの労働力として、奴隷のようにこき使われた。
奴隷と言うと言い過ぎだか、家の手伝いをしないと、預けられた親戚の家で居場所がなくなる。
姉も預けられた家の、仕事を、小間使いのように手伝っていた。
いちさんは、農作物を作る作業が苦しいとは思はなかった。
自分が農作業をして、秋の頃に、コメのが実り、重い稲穂が田んぼを金色にするのに喜びを感じてた。
ただ、その間に、自分の手が、除草作業で、小さな手が、ひび切れしたり、無視に刺されたリスのがつらかった。
そんな時には、姉に涙を見せた。
「ねえ―ちゃん、辛いよ。」
優しい姉さんは、「いち、がまんしなさい。その内に、本当の父さん、かあさんがお金を作って帰ってくるからね。」
いちさんは、べつに辛くはなかった。
辛そうな態度を姉に見せて甘えるのが、いちさんの喜びだった。
いちさんは、会津の農村地帯で、少年志願兵で出征するまで過ごしてた。
あの時は、いちさんは、15歳だったか。
その前年に、姉が、親戚の家に、嫁に行った。
それに、あわせて、いちさんも、預けられた親戚の家を出た。
そして、一年もしないうちに、嫁は産後のひだちが悪くて亡くなった。
ねぇさんの葬式には、実父の実哉さんが、日立市から訪ねてきたと言う。
実父の、美哉さんは、遺影に向かって男泣きし続けてた言う。
この時から、美哉さんは、酒を断ったと言う。
死ぬまで、酒は口にしなかった。
東京の兵舎で、少年志願兵として、親米生活を送ってた、いちさんは、姉の葬儀には帰れなかった。
いちさんの新兵生活は、しごきがきつかった。
上下関係は、厳格だ。
新兵と言っても、一日でも先に入った方が先輩だ。
いちさんは、自分よりも階級の上からビンタを食らうのは我慢できた。
しかし、同階級の底辺の新兵の上下関係でいじめられるのには理不尽を感じた。
いちさんは、こうした理不尽のいじめには激しく抵抗した。
いちさんは、幼少の頃からの、農作業の手伝いで、人並み以上に体力が鍛えられていた。
子供の頃から、毎日、毎日、筋トレをしてるような生活をしてた。
その腕力は、少年志願兵で出征した陸軍の新兵の中で頭角を現しだした。
上位の兵士も、一目置くようになり、めったなことでは手を出せなくなっていた。
その「いちさん」が終戦になって、両親の住んでる日立市に復員してきた。
その日立市には、終戦前に日立製作所の軍需工場があり、終戦の年に艦砲射撃を受けて、東京と同じに焼野原にされていた。
すべてが、ゼロ状態だった。