〝語りかける時計〟
と言う場合、日本語は曖昧だ。
①自分から時計に対して語りかける
②時計の方から自分に語りかけてくる
行為の主体に関して、二つ解釈が可能だ。
もっとも、いずれの場合も
時計オタの経験するところではある。
ただ、そういう時計は、
基本的には気に入って手に入れ、また
購入には一定以上の満足感を抱き、
日々飽きることなく愛でることができる
というものであろう。
①は、「やはりベゼルの仕上げが綺麗だ」
と心の中での自分の感嘆と満足の声は、
「お前はベゼルの仕上げが綺麗だね」
の如く、例えば相手への語りかけに変換して
考えることが出来るという意味で
自分から時計に対して語りかける
(いくら心の中でとはいえ、あまりマジで時計相手に話しかけるのはさすがにヤバい)
のである。
一方②は、
時計が言葉で語りかけてくる
というよりは
見ていて惹き寄せられる
ということだろう。さすがに
私には時計の声が聞こえる
などと言おうものなら、気狂い扱いだ。
愛機を眺める度、既知の魅力を再認識する
一方、新たな魅力を発見する。
そんな時計からの働きかけを
〝語りかけてくる〟と認識すると思う。
自分のコレクションの中でも、
モニュメント的なものは全て
この①②がセットになる。
入手して1か月経とうが半年経とうが、
これがやり通せるのであれば、
本当に良い時計を買ったと思う。
そして、それは価格には関係ない。
さすがに購入して10年も経てば
そんなことはしていない。しかし、
たまに取り出すと、その購入直後の
熱い思いや、あの頃のワクワクが
まるで昨日のことのように蘇って来る。
そんな時計が手元に何本あるか?
それを考えて手放す時計を考えるもよい。