「冷血の知事」と呼ばれた斎藤元彦は、総務省から内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム・相馬郡飯舘村に出向(2011年4月〜6月)。
3月11日4時46分に東北地方太平洋沖地震、これに伴う福島第一原子力発電所事故が発生。
3月14日 3号機建屋水素爆発 2号機圧力容器損傷
3月15日 4号機建屋水素爆発 2号機格納容器損傷
15日、風向きにより「強制避難区域30キロ」圏外の原発から50km離れた飯館村の村役場の空間線量が44.7μSv/時に達していたことが分かった。国は「全村避難」を勧告。
飯館村は、早期の「帰村」を目指し、”除染”後の住民の被曝基準を「年上限20mSV」に引き上げる、という国の提案を受け入れた。
3/11 — The Tsunami: The First 3 Days 東日本大震災の映像記録番組- NHK WORLD PRIME
東日本土壌ベクレルプロジェクト 放射性セシウム汚染 減衰推計100年マップ
【NNNドキュメント】日本が終わる⁉当事者が語る福島第一原発事故のリアル NNNセレクション
3月11日 東北地方太平洋沖地震発生
3月12日 【飯舘村】原発周辺市町村から避難者受入(最終的に1,500人以上)
1号機建屋水素爆発
3月14日 3号機建屋水素爆発 2号機圧力容器損傷
3月15日 4号機建屋水素爆発。 2号機格納容器損傷
【飯舘村】毎時44.7マイクロシーベルト記録
4月22日 計画的避難区域に指定される
5月15日 計画的避難に伴う第一陣離村
飯館村「原子力被災者生活支援チーム」一便に
あの斎藤元彦…
斉藤元彦兵庫県知事(2002年4月〜2021年3月 総務省)は、内閣官房副長官補付 併任 内閣府政策統括官(防災担当)付として内閣府原子力災害対策本部原子力被災者生活支援チーム・相馬郡飯舘村に出向(2011年4月〜6月)。
2013年7月、宮城県に出向し総務部市町村課長。2014年4月、同県財政課長。
(牛タン倶楽部との出会い)
兵庫県の政策コーディネーター・田林信哉氏(2005年4月~2020年1月 総務省)は、南相馬市副市長(16年4月〜18年3月)に就任。
元彦を派遣
飯館村 東日本大震災
年間「20ミリシーベルト」を受け入れた飯館村 菅野典雄 福島県飯舘村村長 2013.12.04 日本記者クラブ
全村避難が続く飯舘村の菅野典雄村長が会見した。次のような5つの課題に直面しているという。 ①除線、②賠償、③復興計画、④避難者の健康管理、⑤教育 このうち①~④については国などとの担当者と議論できるが、村内に学校が開けない状況での教育問題は最も深刻で、将来ボディーブローのようにきいてくるのではないかと危惧している、と。
原発から遠く50km離れた村…飯館村
3号機爆発時の風向きにより、3/15に44.7マイクロシーベルト
ところが原発近くの双葉、大熊、浪江町、南相馬市などから避難してきた
3月末から枝野の言葉遣いがおかしくなった‥30km圏外の飛び地?
上水道から放射性ヨウ素「村の水が飲めない」…
4/9福山から電話…4/10面談「全村避難」20ミリシーベルト超/年
専門家の意見「180度違う」困惑
20年7月引退「”復興”という言葉は使わない!」「元には戻らない!」 2023.6.16 フクシマからの証言7
元飯舘村村長・菅野典雄さん 前編
「村はもう原発事故前の姿には戻らない」
「復興という言葉はできるだけ使わない」
996年から2020年まで6期24年間、福島県飯舘村の村長を務めた菅野典雄(かんの・のりお=1946年生まれ)さんに3時間インタビューしました。今回はその前編。
原発事故による汚染、国の命令による6200人の村民の強制的な避難、除染、避難の解除、帰還と村の再建。そんな「人類史上誰もやったことのない仕事」に取り組んだ12市町村の首長の一人が、菅野さんです。 福島第一原発から30㌔以上離れているのに、全村民が避難を命じられた。
阿武隈山地に抱かれた美しい自然以外には観光名所が何もない文字通りの「何もない高原の村」だった飯舘村は放射性物質で汚染された「悲劇の村」として全国に名前が知られました。
2017年に避難命令が解除になると、村長は国の用意した「復興のメニュー」を積極的に受け入れ、「道の駅」「小中一貫校」「スポーツ公園」など豪奢な施設が多数作られ、村は大きく変貌しました。 その村長の政策には今も賛否両論がうずまきます。
烏賀陽は、原発事故で無人になった村に通い、四季の自然を写真で記録し「福島飯舘村の四季」(双葉社)という本を2012年に出しました。それ以来、何回村に足を運んだか、数え切れません。
村長にも、在任中はもちろん、退任後も取材を重ねてきました。
「村はもう原発事故前の姿には戻るのは無理だ」「復興という言葉もできるだけ使わないようにしている」。そんな村長の正直かつ率直な物言いに、取材記者として敬服したものです。 インタビュー:2023年6月9日、福島県飯舘村佐須の菅野さん宅で。
避難・除染・帰村を目指す交渉「国と相撲をとる」
「国の手先か!」村民から非難された
国から来る役人「いくら心に寄り添ってもダメな人はダメ」
「2年で帰村を目指す」と言ったが、除染のため6年かかった。
村の25%しか除染されていない。高線量の山林は除染されてない。
国の復興予算で村の予算は3倍。40億から120億に
「聖火ランナーに来てほしいと村から頼んだことはない」
2023.6.23 フクシマからの証言8
元飯舘村村長・菅野典雄さん 後編
「聖火ランナーに来てほしいと村から頼んだことはない」
「国の復興予算はいつ引き上げられるかわからない」
今回も、菅野元村長の口からは驚くような言葉が次々に出てきます。 「被害者だから」といって国や東電との交渉に感情的な対立を持ち込まないように注意したこと。 「東京五輪の聖火ランナーに村を走ってほしい」と国に要望したことはない。 「村民は聖火ランナーで元気づけられたのでしょうか」という質問には「まあ、ないよりはあった方がいいという程度のもので、復興にはあまり関係がない。それよりやるべきことが山積みだった」と実に率直な言葉が飛び出します。 ーーーーーーーーーーーーーー
2017年3月という、被害地の中では早期に強制避難が解除された理由のひとつは、除染後の住民の被曝基準を「年上限20mSV」に引き上げる、という国の提案を受け入れたことがあります。 国際放射線防護委員会(ICRP)の基準では、一般公衆の被曝基準は年1mSVです。「1〜20mSV」は「緊急避難時」の基準に相当します。 この「年間1mSVから20mSVへの基準引き上げ」には今も賛否両論が渦巻いています。「年1mSVへ戻す」を求める民事訴訟も起きました。 上限20mSVを受け入れた飯舘村には、国の復興予算が大量に流れ込み、年40〜50億円だった村の予算は最大220億円にまで膨れ上がりました。2023年予算も150億円です。 「道の駅」「中高一貫校」「公民館」「スポーツ公園」など豪奢な施設が国の予算で次々に建設されました。 「もう村は原発事故の前に戻ることは無理なのだから『復興』という言葉はできるだけ使わない。むしろこれを活かして新しい村づくりをする」という菅野村長の言葉は、こうした政策を指しています。 この村長の政策にも、村の内外で賛否両論が今なお渦巻いています。 その当否は「歴史の審判に委ねる」という他ありません。 年20mSVへの引き上げに抵抗したり、国や東電の責任をより厳しく追求した市町村は、飯舘村のような豪奢は施設はまだできていません。 ーーーーーーーーーーーーー
ひとつだけ強調しておかねばならないのは、菅野村長が「人類史上誰もやったことのない仕事」と格闘した12市町村の首長の一人であることです。 原発事故による汚染、国の命令による6200人の村民の強制的な避難、除染、避難の解除、帰還と村の再建。 こんなことをやったことのある首長は世界で12市町村以外にいません。 チェルノブイリ原発事故では半径30㌔は居住禁止、スリーマイル島原発事故では原発敷地外の除染や強制避難はなかったからです。 ーーーーーーーーーーーーーー
福島第一原発から30㌔以上離れているのに、全村民が避難を命じられた。阿武隈山地に抱かれた美しい自然以外には観光名所が何もない文字通りの「何もない高原の村」だった飯舘村は放射性物質で汚染された「悲劇の村」として全国に名前が知られました。
村の悲鳴
⚠️「年間20ミリシーベルト」
「年間20ミリシーベルト」日本で住むからにはその程度は我慢をしなさい!2013/12/11
飯舘村・長泥…故郷めぐる葛藤【報道特集】
https://www.vill.iitate.fukushima.jp/uploaded/attachment/14901.pdf
福島第一原発は石棺で封じ込めるしかない 小出裕章・元京都大学原子炉実験所助教が会見
(2015年4月25日)
「国と東電は処理汚染水を海洋放出してはならない!」「小出裕章氏沖縄講演会」2024年1月27日
沖縄県立博物館・美術館にて収録












