ノーベル平和賞 被団協・田中煕巳(92)さん 授賞式前日会見 | ☆Dancing the Dream ☆

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『長崎の鐘』 永井隆 (青空文庫)
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原爆の絵=日本語版(字幕付)



「核を使うことが軽く語られる時代になったことは悲しい」
ノーベル平和賞 被団協・田中煕巳(92)さん 授賞式前日会見
ノルウェー オスロ 
【LIVE】(2024年12月9日) ANN/テレ朝



日本被団協 田中熙巳さん
ノーベル平和賞授賞式
前日会見全文

2024年12月10日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241210/k10014663281000.html

ノーベル平和賞を受賞する日本被団協の田中熙巳代表委員が日本時間の9日夜、授賞式を前に記者会見に臨みました。記者会見で語った内容の全文です。

冒頭
今回の受賞は、私どもとしては本当に思いがけない受賞だったんですね、ですから、当日まで、私ども、もらえるというような態勢は全くとっていませんでしたので、当日の発表の時間になって、本当に全国の被爆者たちは大慌てになったと思います。
それから2か月、こんにちまできて、短い時間で皆さん方のご期待に沿うようなことをこれからやっていかなくてはいけないということを含めて、喜びが湧いてきています。
特にあす、授賞式をやっていただくということで、本当に光栄に思っています。
以上です。

日本被団協 きょうノーベル平和賞授賞式 田中熙巳さんが会見


質疑
Q.ノーベル平和賞は日本被団協にどのような影響を与えますか。将来にどのような期待をしますか。

A.正直申しますと、日本被団協は、核の廃絶、今のことばで言うと、核のタブーの確立のために貢献してきたと私どもは自負をしていました。
ノーベル平和賞をいつかは、遠くない将来にいただけるんだというふうに期待していた年が結構ありました。
それが叶わないできたという、諦めていた時に、先ほど申しましたように今年の思わない受賞でありましたので、本当に私どもの運動の経過が初めてと言いますと申し訳ないんですけども、ノーベルの委員会にも認められたし、それを通して世界の人たちに認めていただけることになったんだというふうに思っています。
なぜ、特に私どもの受賞が今年与えられたかということになりますと、やはり、今の世界の核情勢、2年前のロシアのウクライナに対する侵攻、しかも核兵器を威嚇に使うというような状況での侵攻、それからイスラエルのガザに対する、なんて言いますかね、私どもからすると申し訳ないような、申し訳ないようなと言うのは変ですけれども、残虐な行為が繰り返されていることに対しての怒りというのもあるんですけども、そういう全体の中で、やはり核がまた軽く語られる、核兵器を使うことが軽く語られるような時代になったということは大変私どもにとっては遺憾なんですね。
ある種、悲しい思いがいたします。
しかも私ども、年をとってきたので、これを何とかしないといけないという気持ちがありましたけれども、という時にですね、ノーベル委員会から受賞させていただいたということは、私にとって、私どもにとって、本当にうれしいことで、今の変わりつつ、後退しつつある核兵器情勢について、また新たな改善への、開拓への前進が生まれるんじゃないかというふうに期待しています。

Q.いくつかの国々は防衛のために核兵器が必要だと主張しています。その国々に対してメッセージをお願いします。

A.核兵器は防衛のために必要だと言っておられる指導者はですね、核兵器で本当に守れるかと、国は守れるかと、国民の命や財産を守れるのかということに関しては、私どもは守れない、絶対、核兵器で命と財産は守ることができないというふうに確信しています。
防衛は本当は領土を保つことではないと思うんですね。
人々の命を大事にし、豊かにすることだと思うんです。
そのために、ですから、核兵器を使うということは許されないと私は思っています。
これは多くの被爆者がそう信じていると思ってもいいと思います。
抑止、核兵器による核抑止力というのは存立しえないものだというふうに思っています。

Q.長崎と広島で生き延びた人たちの体験から若い人たちに何を学んで欲しいと思いますか。

A.私どもは広島と長崎で核兵器を使ったらどういうことが起こるか、人間社会に対してどういうことが起こるか、人間の命に対してどういうことが起こるかということを目撃し、体験してきました。
その体験から核兵器は持ってはいけない、使ってはいけないということを叫び続けてきたわけです。
残念ながら私どもは高齢になって、委員長もおっしゃっていましたけれども、いつかは私たちもいなくなる、そういう状況が来るということが分かっているにもかかわらず、若い人たちが本当に核兵器の効果というのは何なんだと、核兵器で何を守るのかということを真剣に考えていただけていないんじゃないかというふうに疑問を持ちます。
ですから、私が、私どもがそう長くない人生の中でも、最大限の力を振り絞って、核兵器というのは人類と共存させてはならない兵器だということを若い人たちに伝えていきたいというふうに思っています。
核兵器が存在するかしないか、核兵器が使われるかどうかっていうのは、未来の問題です。
未来の若い人たちの将来がどうなるかということに関わりますので、ぜひ若い人たちにできる限りの力を絞って伝えていきたいというふうに思っています。

Q.自分の世代が語り継ぐことができなくなったとき、次の世代は何ができるのか、何をすべきだと思いますか。

A.私は未来への期待は希望によって開かれていくと思います。
ですから、若い人たちが希望を持って、自分たちが豊かで命が大事にされる、そういう社会を作っていきたい、そういう社会を作れるのだという確信を持って希望を持って働くということが大事だというふうに思っています。
ですから、希望がなければですね、時代に流されていって、やがて人類は滅亡するかもしれません。
私は気象の変動の前に、下手をすると人類は滅亡するかもしれないという危惧を非常にいま感じています。
だから、特に若い人たちに、皆さんの未来は皆さんで作り上げていくんだ、開いていくんだということをお伝えしたいと、お願いしたいというふうに思っています。

Q.あなたはウクライナにおけるロシアの脅威について、また、ガザの人々に対するイスラエルの脅威にも言及しました。もう少し具体的なメッセージをお願いします。

A.私は被爆者で、被爆者運動のリーダーとしても頑張ってきましたけれども、政治家ではありませんので、今のロシアとウクライナとの関係についての詳しいことはやっぱりわからないです。
問題は、先ほどから申していますけど、命を大事にすることを前提にして、2つの国の国民が本当に大きな声を上げて、自分たちの政府を動かして核兵器が使われないで、あるいは武器が使われないようにして、そして新たな関係を作っていくという希望を持っていただきたいと思います。
それ以外に解決の方法はないと思います。
人種問題だとか昔の領土問題だとか、そういうのはそう簡単には解決しないので、お互いにやっぱり人間として平等に生きていくんだという、国民の市民の気持ちを、希望を醸成していくことしかないと思います。

Q.1977年に原水爆禁止の世界大会で初めてスピーチをされて、いよいよあす、ノーベル平和賞の授賞式でスピーチをされます。
スピーチの原稿だったり、様々な準備を進めてくる中で、どんな方々の顔が浮かんでこられたか、具体的なお名前を挙げてお話いただけますでしょうか。

A.今、紹介いただきましたけども、私が被爆者としての運動といいますかね、核兵器をなくしていこう、核兵器を使わせないようにいこう、それからもう1つは私たちがその戦争の犠牲にあって、さまざまな被害を受けてるわけですけども、そういうものに対する救済とかですね、そういうものは国にある、責任は国にあるんだと、戦争を開始、遂行するのは国ですから、国家ですから、だから、それによって被害を受けた者に対する償いは国が行わなければいけないんだということを叫び続けて、その1つの被害であった原爆の被害をやはり国あるいは世界の体制が救済すべきだというふうに訴えてきたわけですけども、その運動の中に参加したのが1977年からこんにちまで本当に私にとっては全力を使って運動してきたつもりです。
それでもなおかつ今のような、今の状況しか生まれてきていない。
その過程でですね、やはり何十人、何百人という仲間が亡くなっていきました。
特に私がこう、指折り数えてみてもですね、40年近く50年近くなりますけども、一緒に運動した人たちは7、80人は間違いなくいる。
その人たちの名前をここで挙げるということはできないし、顔も名前も思い出す人たちだけでもですね、7、80人の人たちがいます。
その人たちは今はもうこの世にいません。
本当に力を絞って運動したけれど、いません。
その人たちの意志をですね、若い人たちに伝えるのはもう本当に少数残ってる体験者と運動をやってきた人たちだと、若い跡継ぎもいますけれど、そういう人たちの努力も期待しなくちゃいけないんですけども、思い出す人っていうのは、大変申し訳ありませんけども、名前を挙げる人数ではありません。

Q.誤情報や偽情報、フェイクニュースがたくさんあふれていて、それを語る若い世代がソーシャルネットワークを熱心に利用しているため、核戦争の危険さえも高まっていると思いますか?誤った情報に脅かされないようにするために、私たちがしていることは十分だと思いますか?

A.努力はしているんじゃないかと思いますけども、私はデジタル時代の人間ではなくてですね、人間と人間は語り合って、自分たちの希望や意志を固めるということをやってきました。
ただ、私が見てる限りは今の若い人たちはですね、顔を見て、顔の表情の変化を見て、表情の変化を見てですね、お互いの考え方を確認し合うという場が非常に少なくなっているんじゃないかと。
人間関係の、信頼関係が非常に希薄になりつつあるんじゃないかという心配を私はしています。
私の世代が共通しているかもしれません。
ですから、それだけに人と人の信頼関係を醸成するにはどうしたらいいだろうか、デジタルの時代、バラバラで早く交通できる手段だけでなくてですね、本当にお互いがどういう希望を持ってるかということが話し合える場を作っていかないといけないと思います。
私は技術の進歩と合わせて、それができなければ、残念ながらやはり人類は滅亡に向かうんではないか、ある種、今少しずつ向かっているかもしれないというふうに思います。
それだけに、今の核情勢に対して、世界中の若者が抵抗して、運動を作っていくというのが必要ではないかと思っています。

Q.オスロでの式典に出席する代表団の中に、韓国の被爆者とブラジルからの被爆者がいます。日本の被爆者だけでなく、世界の被爆者を代表団に選んだ理由を伺いたいです。

A.やはり、今は韓国にいらっしゃる、あるいはブラジルにいらっしゃる、メキシコにもアメリカにもいらっしゃる、そういう人たちは日本で広島と長崎にいて、同じ原爆の被害にあって苦しんで、そして核兵器は持っていけない、使ってはいけないという叫びを続けて、持ち続けてこられたわけですね。
韓国の人たちはまた、日本と韓国との関係があって、二重のと言いますかね、重複した苦労を背負っておられましたけれども、少なくとも核兵器をなくさないといけない、そういう兵器を私たちは使われて犠牲者になってきたんだということは共通していますので、このたび私どもが、このノーベル平和賞を受賞者として選ばれたからにはですね、一緒にやっぱり闘ってきた韓国の被爆者、それからブラジルに移住している被爆者、メキシコだとかアメリカにも移住していらっしゃる被爆者、その人との共同の闘いがあったんだということを皆さんに確認していただきたかったし、世界の人々にも被害者としての共同を作ってきたんだということを知っていただきたいと思って一緒に参りました。

Q.先ほど、たくさんの名前が挙げられないぐらいの方々の顔が浮かぶとおっしゃっていました。授賞式を前に今、その方たちにかけたいことばを教えてください。

A.もう10年早かったらなぁ、あなたたちの大部分はこの喜びをね、共有できたよなという気持ちがあります。
それは正直です。
言っちゃいけないことかもしれないんですけど、そういう気持ちはあります。
ですけれども、もう間違いなく、彼らの運動もですね、こんにちにつながっているわけですから、これはあなたたちに対する受賞でもありますよというのを伝えていく、亡くなった人に対するというのは現実的なのかっていう話もあるかもしれませんけれども、そういう気持ちでいます。
有志がですね、亡くなったかなりの人たちの写真をまとめて持ってきて、この式典・行事に参加するという計画を発表していましたので、大変、私は歓迎をして、皆さんにも、顔だけでも見ていただけるんじゃないかというふうに思います。

Q.日本被団協はこの核廃絶の他に戦争を二度と繰り返さないという誓いを込めて、国家補償も掲げていると思うんですが、その旨をこの滞在期間中に訴えられるつもりはあるのでしょうか。

A.国家補償は先ほどちらっと申し上げましたけれども、日本の国が加えた被害に対しての補償は日本の国がやらなくちゃいけない。
だから、日本の国は国家補償、いまも求めてますし、今後とも求めていきます。
ただ、他国の問題はですね、いろいろ複雑だと、関係がありますから、被害の内容に沿って要求をしていくということです。
例えば、アメリカがやっぱり人道に反する兵器を使ったんだということは、私どもも間違いないと思っているわけですから、アメリカ政府に対して補償すべきだということを要請しています。
ただ、アメリカが私たちに対して補償するのはお金だとか、そういうものではないと。
アメリカが核兵器をなくす、なくすことが私たちに対する補償の内容になるという形で補償の要求をしていますので、さまざま形態は違うと思いますけれども、国の戦争責任というのは、今後とも皆さんの手で明らかにしていかなくちゃいけない、追及していかなくてはいけないことだというふうに思っています。

Q.受賞は長崎の被爆者や長崎の人々も大変光栄に思っていることだと思います。
ただ一方で、今でも苦しんでいる被爆者の方がたくさんいらっしゃいますが、長崎の被爆者への思いですとか、長崎への思い、メッセージなどがあればお願いします。

A.今の質問は私はよくわからないんですけれども、日本被団協は広島と長崎にいて、広島と長崎に投下された原爆によって、被害を受けた人たちの集まりなわけです。
ですから、被団協の構成は各地方自治体、行政単位があるんですね、47都道府県、日本にありますけども、その47都道府県に住んでいる被爆者がそれぞれ会を作って、そしてそれが協議して日本被団協という一つの団体として世界に向かって、日本の政府に向かって訴えてきたわけで、長崎の被爆者がどうこう、広島の被爆者がどうこうという見方は私どもはしません。
日本被団協の中の広島の被爆者であり、日本被団協の中の長崎の被爆者であるわけですから、今の質問の意味がちょっとわからないんです。
もう少しなんかこういうことを聞きたかったんだということ言っていただければわかるんですが。

Q.今もまだ苦しんでいる被爆者の方がたくさんいるという中で、その人たちが非常に励みになった受賞だと思いますが、その人たちへの思いがあれば教えてください。

A.その人たちの思いはやっぱり、これをひとつの勇気、新たな希望への踏み台にして、一緒に頑張ろうと、実現するまで頑張ろうというのが思いですね。
広島、長崎にいっぱいいます。
ですからね、だからそういう人たちと一緒にやっぱり実現していこうということになります。
人数的に広島と長崎には一番多いというのは間違いないわけです。

Q.核兵器を使用するという脅しが軽々しく行われていることに脅威を感じているという冒頭の発言に戻りたいと思います。
特にロシアについて言及されました。プーチン大統領への具体的なメッセージはありますか?指導者たちへの具体的なメッセージはありますか?

A.プーチンさんに対するメッセージは日本被団協としてですね、核兵器は絶対使ってはならない兵器なんだと、使うことは人道に反するんだという抗議を、そういう脅迫をしてはいけないという抗議を、ことばを送ったと思っていますが、正式にどういう表現だったかというのは記憶できていません。
プーチン大統領はやはり核兵器がどういうものかというのを、人間にとってどういう兵器かということを考えたことも、あるいは理解したこともないのではないかというふうに思っていますので、その考え方をどう変えて、私どもが変えていけるかというのを最大の課題だというふうに思います。

Q.あすの授賞式で演説をされますが、この演説を受け、授賞式を受け、世界では何がどう変わると思いますか。またどのように変わってほしいと思いますか?

A.世界がどう変わるかというのは私にわかりません。
確認する以外ないんですけど、どう変わってほしいかというのは、最後に、前の方に言いましたけども、特別若い人たちが、これからの未来の社会をどういうふうにして切り開いていくのかと、このまま放っておけばですね、核兵器が使われて戦争になるというようなことが起こりかねないよということを皆さんが言ってるわけですから、そういうふうにならないように最大限の努力をしてくださいと、それは若者だけでなくて、私たちも含めて、いま生きてる限りですね、戦争を、特にとりわけ核戦争を起こらないように努力すること以外ないと思っています。

Q.今回、核兵器を使ってはならないという概念を広めた、それを支えたということで受賞なさったわけですが、裏を返せば、いまの時点で核兵器があるのは仕方がないということを認めたことになって、被団協の皆さんがずっと訴えてきた核廃絶を一歩後ろに置いたというふうに捉えることもできるかと思います。
核兵器を使わないということに焦点が当たったことを率直にどうお感じになったか、また、その中でも廃絶を訴え続ける意義はあるというふうにお考えか、伺えればと思います。

A.そういうご意見をいろんな方から伺うことはあります。
確かにタブーということからすればですね、遠い未来のことは考えないで、いまやってはいけないことをやっちゃいけないんだということがタブーだというふうに理解されているということからすればね、私どもが核兵器は持ってもいけないし、もっと言えば使っただけではなくて、持ってもいけないし、廃絶しなければいけないというのは、もう最初から叫び続けてきているわけで、その点については言及されてないじゃないかということを私もその通り認めますけども、当面は、本当に使われそうだから、使われないようにするというね、タブーが破壊されていることに対しても目を向けようじゃないかというふうに考えられたんじゃないかと、私は前向きに考えていきたいと思っています。
これは改めて言いますけども、日本被団協は使われなければいいと、禁止されればいいというふうには考えていません。
だから、今の禁止条約は廃絶へ向けての一歩だと考えています。
だから、本当に核兵器をなくすには、まだこんなに長くなっちゃいけないと思うんですけど、まだもう少し険しい道があると思いますので、それを頑張っていかなくちゃいけない。
でもやっぱり、いま使っちゃいけないということはきちっと言わないと、本当にそれが大きな核戦争のきっかけになってしまうことがありはしないかという不安は、私は思っています。

Q.賞金は、今回1万1000クローナ、日本円でおよそ1億5000万円ということですが、被団協の活動や被爆者運動に活用するというふうに聞いています。具体的にどういったことに使うのか教えていただければと思います。

A.これから私も議論することでですね、私は、田中さんはどういうふうに使いたいかっていう質問だったら、私はこうと言うんだけど、日本被団協はと言われましたらまだ全くの未知数です。
本当に本当に、人類の生存のために有効に使いたいと思います。
それしか言えませんね。

Q.被爆の実相について、以前からそのことばだけで中身が伝わっていないんではないかとおっしゃっていましたが、今回、海外メディアの方々も多く質問をされて、皆さん発言に興味を持っていらっしゃる。
あすの授賞式の演説はさらに多くの方々が関心を持ってくださると思うんですが、このような機会を改めてどのように考えていらっしゃるか、お聞かせいただけますでしょうか。

A.先ほども申しましたけども、やっぱり人間同士の対話の中で、核兵器がどういうものかということが語られていけば、核兵器の真実、真の姿を見抜くことはできるかもしれないけど、そうでない場合には、ないわけですね。
核兵器は人道に反するという単語しかないわけです、相互の間に。
そういう関係はやっぱり変えていかないといけないと、それを変えるのはどうしてだろうかということを、私は私なりには感性に訴えること、理屈じゃなくて感性に訴える、本当にそんなことやっていけないよね、そんなことやったら人間じゃないよねというふうな気持ちを起こさせるものを通して、その核兵器を知ってもらうということが大事だろうと。
それが何かというのは絵であるとか動画であるとか写真であるとかね、音で、音楽であるとかっていろいろあります。
感性を動かすのはいろいろありますよね。
ことば以外のことも。
そういうのもやっぱり駆使して新しく作っていく。
古いものでもね、動かしたものが分かっていれば、それを使うということじゃないかと。
その感性を働かせながらひとりひとりの信頼を醸成していって、核は絶対使っちゃいけないという確信を人間として持ってほしいと思います。

Q.これまでにもアメリカのオバマ元大統領であったりとか、ICANであったりとか、核兵器をめぐって平和賞を受賞したケースもありました。
でもなかなか進まない現実もあるなかで、そして皆さんが高齢化するなかで、今回の受賞はどういう位置づけでどういう機会になったらとお考えでしょうか。

A.まず第一に、ノーベル平和賞というのがどういうものかっていうのは皆さんが、どういうふうに受け止めていらっしゃるかということです。
やはりこれまでのノーベル平和賞の役割からすれば、それを受賞した日本被団協の運動というのはどういう意味だったかという関心を多くの人に持っていただけると思うんです。
それは、やはり核兵器をね、なくさなくてはいけないということを叫び続けてきた集団、人間集団であるということに到達していただけるんじゃないかというふうに思っています。
確かにオバマさんがプラハで演説されたときにはですね、私は正直言って感動しました。
アメリカの大統領が核兵器はなくさなければいけないとはっきりおっしゃった。
オバマ大統領はどこかで核兵器のことを、広島・長崎の原爆の被害のことを知る機会を得られたんじゃないかと、例えば大統領候補の時に、シカゴで原爆展をやっているんですね。
それをひょっとしたら見られたんじゃないかという期待を持っていました。
しかしその後、オバマさんがやられたアメリカの行政からだんだん失望して、最後のころ、広島においでになりましたけれども、空から死が降ってきたということばで原爆の被害を訴え、表現されたので、私は本当に残念に思いました。
むしろ怒りを覚えました。
こういう形でしかね、原爆を受け取ってなかった大統領だったのかという、正直言います、いまはオバマさん大統領じゃないから言うわけではないです、やっぱりそういう認識じゃないね、本当の基礎としての認識を持って欲しい。
大統領という指導者としての認識とか、そういうのでないものを持ってほしいと思います。

Q.日本以外のメディアからも、現在の国際情勢に照らした危機感を持った質問がたくさん飛んでいます。
あすの授賞式の演説に向けた心境をお伺いしたいのですが、こういう世界の関心が高まっている中で、あす行われる受賞演説、これは責任の重みや、ご自身の重圧は現在どのように捉えられているか教えてください。

A.ものすごい重圧を感じています。
いま読み返してみるとですね、もうちょっとじゃない、もうかなり別の表現をした方がよかったんじゃないかという反省をしたりして、もう本当にあすが不安で不安でしょうがないというのもよくありますけれども、きょう記者会見でいろんなことをことばでですね、皆さんにお伝えできたことはまたひとつはよかったかなというふうに思いますけれども、ことばは残りますのでね、私は表現が一番難しかったのはですね、日本被団協の受賞ですね。
講演を日本被団協の声明みたいにしていくのか、そうすると非常にこう文学的だとか、哲学的だとか、そういう表現になっていかざるを得ないかなと。
やはりそうすると個人の気持ちが入った方がいいかと。
私のいろんな経験も含めて入れた方がいいだろうか、被団協の具体的な運動を入れた方がいいだろうか、そういうふうに迷ってるうちにですね、原稿が、私のよかったという原稿に正直言ってなっていない。
それが今、最大の重圧です。
なんだって思ったら、またそれで結構ですので、記者会見ではこんなこと言ってたよとかっていうのに訂正していただければいいかなと。

Q.核兵器をなくそうから、減らそうに、そして使わせないというふうに後退していくような現状と、もう難しいんじゃないかというふうな声を被爆者の方からすらも感じて聞くことがあります。
各国のメディアに核廃絶に向けてどういった報道をしてほしいか、受賞された側としては言いにくいかもしれませんが、今後ノーベル委員会の方にどういった授与を期待していきたいか教えてください。

A.難しいですね。
後退してはいないと思いますよ。
核兵器禁止条約ができたということは、私どもにとっては本当に大きな前進だと、何もなかったわけですから。
核兵器不拡散条約というのは全く偏った条約ですよね、それでも核保有国を減らすということで、持っていない国たちがそれを認めて、いい方向にと作ったからね、拡散禁止条約でしょ。
それが十分にやっぱり守られないなかで、禁止はしなくてはいけないということをきちっと明文化、法文化したということは、私はすごい前進だと思っているんです。
だから核保有国は抵抗するんだと思います。
だから核保有国の抵抗、日本も含めて、日本も含めてですね、その抵抗が間違っているということを、市民が、国民が、自分の国に伝えて訴えていくべきだと私は思っています。
だから、そういう意味で今度の私どもの受賞がまた委員会に評価って言いましょうかね、受賞させていただいたことの内容がそういう人たちに正しく伝わっていくのがいいと思います。
もう一度繰り返しますけど、禁止すればいいということではない。
核兵器も戦争もない世界を作りたい、核兵器も戦争もない世界を作ろうと言ってるわけですから、引き延ばせば戦争をしないということを言ってるわけで、そのためにはやはり被爆者がいなくなっても、被爆者の意志は、生きている間そう言っていた、世界にあったんだということを皆さんで、特にマスコミでですね、多くの人に伝えていっていただきたいというふうに思います。


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被団協がノーベル平和賞受賞 長崎市長「努力がやっと報われた」
長崎新聞 2024/10/12 [10:05] 公開
https://www.nagasaki-np.co.jp/kijis/?kijiid=ae26cc8ec2634b3599caae2897f64d23
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞決定を受け、長崎市の鈴木史朗市長は11日、報道陣の取材に「長年の地道な取り組みが世界に認められた証。自らの被爆体験を世界に訴えてきた努力がやっと報われた」と敬意を表した。
 鈴木市長は受賞が「(核を巡る)厳しい国際情勢が核なき世界の実現に大きくかじを切る契機に」と期待。被爆者の平均年齢は85歳を超え、被爆者運動をけん引した山口仙二さんや谷口稜曄(すみてる)さんらは既にこの世を去り、「遅きに失したという印象も持った」と複雑な心境ものぞかせた。
 大石賢吾知事も受賞決定を祝い、「県としても『長崎を最後の被爆地に』という(県民の)強い思いを引き続き世界に向けて発信し、核なき世界の実現に向けて取り組む」と語った。
 長崎大の永安武学長は「核兵器の非人道性と廃絶を訴え続けてきた被団協に心からの敬意を表する」とのコメントを発表した。



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被爆した医師を天皇が批判 専門家「罪の意識を刺激したと考えても」
有料記事側近が記した「昭和」
朝日新聞 編集委員・北野隆一2024年12月10日 12時00分
https://www.asahi.com/articles/ASSCZ1S4VSCZUTIL031M.html

 今年のノーベル平和賞を受賞する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成される前、「空白の10年」と呼ばれる時代に、原爆の悲惨さを訴え続けた医師がいた。しかし、昭和天皇は内々の席で医師に対して「宣伝屋」と批判的な発言をしていたことが、側近の記録で明らかになった。その背景には、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲で被爆者が自由に発信できなかった事情もあった。

 終戦からまもなく80年。戦前や戦中、終戦直後に昭和天皇の側近を務めた人物の記した日記やメモが近年、相次いで公開されています。新たな記録や証言で明らかになった天皇の実像を、連載記事でひもといていきます。
 医師の永井隆(1951年、43歳で死去)は、45年8月9日、爆心地から約700メートルにある長崎市の長崎医科大(現長崎大学医学部)で被爆した。妻を亡くし、自らも重傷を負いながら被爆者の治療に尽くした。

 病に倒れた後は病床で「この子を残して」など17冊を出版。代表作「長崎の鐘」は49年1月に出版され、半年ほどで9万部以上を売り上げる当時のベストセラーに。映画や歌謡曲もつくられ、ヒットした。

 天皇が永井に会ったのは49年5月27日。戦後に全国を訪れた「戦後巡幸」の一環で長崎を訪問した際のことだった。当時の朝日新聞記事などによると、永井はベッドに横たわったまま15歳の長男、9歳の長女とともに面会。「どうです病気は」と声をかけられ、永井が「おかげさまで元気でおります」と答えた。天皇は「どうか早く回復することを祈っています。著書は読みました」と語り、永井は「手の動く限り書き続けます」と応じた。永井は同年2月、「長崎の鐘」を天皇と明仁皇太子に献上していた。

 永井は著書「いとし子よ」で「何というありがたいお言葉だろう。(略)あまりにももったいない次第であった」と天皇と面会した感激を記している。
 
ところが天皇は、あまり良い感情を抱いていなかった様子が、側近の記録からうかがえる。

 初代宮内庁長官を務めた田島道治が在任中の49~53年に記した「昭和天皇拝謁(はいえつ)記」(全7巻)が2021~23年に順次刊行され、戦後間もない時期に天皇が側近と交わした会話の詳細が初めて明らかになった。

 「拝謁記」によると1950年4月19日の天皇の発言にはこうある。
 ”湯川博士と共に、長崎の永井隆をも表彰するのが銀盃(ぎんぱい)で出て来た。私はこんな宣伝屋はいやだが、そして湯川博士にもわるいと思ふが、裁可せぬ訳には行かぬと思ふが”

 日本人初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹とともに永井への国家表彰が決まり、政府から裁可を求められた天皇が田島に対し、内々にもらした言葉だ。田島は「憲法七条の栄典授与は内閣の助言と承認によるもの故(ゆえ)(略)ご裁可願ふより外(ほか)なく」と裁可を促した。
 侍従の入江相政(いりえすけまさ)は、天皇と永井の面会について「(天皇が)永井隆博士にお会ひになる。二人の子供を御引合せしたりして少し宣伝が過ぎるやうだ」と日記に書いていた。
 永井が被爆者のなかでも目立った存在だったのには、理由があった。終戦に伴い45~52年に日本を占領したGHQは、プレスコード(報道統制)を発令して秘密裏に検閲を行った。米国など連合国への批判、とくに原爆に関する報道や出版を厳しく制限していた。
 スウェーデン人ジャーナリス…