【修正主義シオニズムの系譜】 「拡大主義」父子3代 ネタニエフ一族 | ☆Dancing the Dream ☆

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狂気の犯罪者ネタニエフ
・ネタニヤフは、第4期首相着任時の2017年1月以来、3年間の調査の後、信頼違反、贈収賄、詐欺の容疑で起訴された。
・ネタニエフは、2018年12月に国会解散を決断し、次回総選挙を翌2019年4月9日と設定したが、世論調査ではネタニエフの起訴によりリクード党は劣勢だった。
このためネタニヤフはパレスチナ国家との共存を否定するなど右傾化を強め、総選挙を乗り切ろうと画策。
・ネタニエフはオバマとの関係は険悪だったが、トランプがアシストした。
https://www.youtube.com/watch?v=YFFAyYabzhg&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=Skx1vr9CfKY
トランプは2017年にエルサレムをイスラエルの首都として正式に認めると発表。翌2018年には米大使館をテルアヴィヴからエルサレムへと移し、アメリカが長年が継続してきた政策を転換した。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-57464894
2019年3月25日、トランプは国際的にシリアの領土と認められているゴラン高原におけるイスラエルの主権を認めた。
・第五期、ネタニエフは起訴を免れるための免責決議を議会に求めていたが、否決される公算が大きく2020年1月28日にこの申し立てを取り下げた。これにともない、検察はネタニヤフを収賄や背任などの疑いで即日起訴した。
・ネタニヤフの刑事裁判は当初はその年の3月に予定されていたが、COVID-19のパンデミックのために延期された。
イスラエルの法律では首相は起訴されても辞任する義務はない。
・2020年5月17日、ネタニヤフはベニー・ガンツとの連立で首相として5期目の任期を宣誓した。イスラエルでのCOVID-19パンデミックとネタニヤフの刑事裁判を背景に、首相官邸の前で彼に対する大規模なデモが勃発したが、ネタニヤフはCOVID-19の特別規制を使用してデモを解散させた。
・2021年5月、エルサレムで緊張が高まりイスラエル-パレスチナ危機が発生。
ヤミナ同盟のリーダーのナフタリ・ベネットは、野党党首のヤイル・ラピッドとネタニヤフを首相の地位から追放するローテーション政府を形成することに同意。
・2021年6月13日、ベネットとラピッドは連立政権を結成。
ネタニヤフは首相を追放され、12年間の任期を終えた。
・2022年の選挙後、ネタニヤフは強硬な連合の指導者として再び首相として
返り咲いた。2022年12月29日に正式に首相として6期目に入った。
・ネタニヤフの6期目の最初の数ヶ月は、司法部門の改革を中心に、権力分立に悪影響を及ぼすとして広範な批判を集めた。
・2023年1月4日、新たに任命されたヤリヴ・レビン法務大臣は、最高裁判所と政府の法律評議員の権限を制限し、裁判官を任命する委員会の統治連合に過半数を与えるなど、イスラエルの司法を改革する計画を発表。
内務大臣に任命されたアリエ・デリは、1月17日、執行猶予付きの懲役刑で犯罪歴があったため、最高裁判所からそのポストに適さないと裁定された。
・数週間にわたる大規模な「2023年イスラエル司法改革抗議デモ」が行われ、ヨアヴ・ギャラント国防相までも3月25日に改革に反対し、イスラエルの安全のために、立法プロセスの停止を求めた。彼は翌日ネタニヤフによってポストから解任され、イスラエル全土でさらなる大規模な抗議を引き起こされた。
・ネタニヤフ政権下のイスラエル新政府は、占領された西岸の9つの入植者の前哨基地の合法化を承認した。ベザレル・スモトリッヒ財務大臣は、民政のほとんどを担当し、ヨルダン川西岸の民間問題に関する幅広い権限を獲得。入植地の住宅を建設を拡大した。(前哨基地は、イスラエル政府によって承認された入植地とは異なる。ヨルダン川西岸内の無許可または違法なもの。)
・2023年10月7日、ガザのパレスチナ過激派が大規模な奇襲攻撃を開始した後、ネタニヤフはイスラエルがハマスとの戦争状態に入ると発表した。
イスラエル市民からのネタニヤフと政府への嫌悪感が高まり、ネタニヤフの辞任を求める声が高まった。世論調査によると、イスラエル人の56%がネタニヤフが紛争後に辞任しなければならないとし、回答者の86%が奇襲攻撃につながった安全保障上の失敗は国の指導部に責任があるとした。




Protests in Israel over Benjamin Netanyahu justice plans
イスラエルでベンヤミン・ネタニヤフ司法計画に抗議デモ
Reuters 2023/02/14

Israeli lawmakers traded insults over government plans to overhaul the judiciary while tens of thousands of protesters gathered outside parliament, as President Isaac Herzog warned the country risked tipping into ‘constitutional collapse.’
数万人の抗議者が国会前に集まり、アイザック・ヘルツォグ大統領が「憲法崩壊」の危険性を警告した。



Netanyahu Sparks Criticism Over Holocaust Remarks
ネタニヤフ首相、ホロコースト発言で批判を浴びる
The Wall Street Journal 2015/10/22

Palestinian and Israeli officials condemned Israel’s Prime Minister BenjaminNetanyahu on Wednesday for claiming a Palestinian persuaded Adolf Hitler to undertake the extermination of European Jewry in World War II.

パレスチナとイスラエルの政府関係者は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が水曜日、パレスチナ人がアドルフ・ヒトラーを説得し、第二次世界大戦でヨーロッパのユダヤ人を絶滅させたと主張したことを非難した。



Netanyahu’s police brutality beating up Jews in Jerusalem for opposing his barbaric war in Gaza! 2023/11/02

ネタニヤフ首相の警察は、ガザでの野蛮な戦争に反対するユダヤ人をエルサレムで残酷に殴打している!


What Does Netanyahu Really Think of the USA?

ネタニエフ
「彼らのことはよく分かっている。
 アメリカは簡単に操縦できる。そして正しい方向に動かす。
 たとえ彼らが何か言ったとしても、だからなんだと言うのか?」
https://ameblo.jp/et-eo/entry-12824440141.html




修正主義シオニズムの系譜




         


    





      

  


イスラエル首相ベンヤミン・ネタニエフの祖父ネイサン・ミリコフスキーは、修正主義シオニストだった。

1933年にハイム・アロソロフが暗殺された後、修正主義運動に所属していたラビ・ミリコフスキーは、アロソロフの暗殺で告発された人々、すなわちズヴィ・ローゼンブラットとアブラハム・スタフスキーを保護するラビ・アイザック・クックが率いる公共委員会の設立に参加しました。ラビ・ミレイコウスキーは、証拠は彼らが暗殺を犯していないことを示し、彼らの処刑はシオニスト企業に害を及ぼす内戦につながる可能性があると主張した。
※ハイム・アルロソロフはドイツ当局とハアバラ協定を結んだ。1933年8月25日にシオニストとナチスの間でハアバラ合意書(Haavara Agreement)が締結され、ドイツのユダヤ人をパレスチナに移民する合意が行なわれた。

イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの父ベンシオン・ネタニエフは、イスラエルの歴史家。
コーネル大学の歴史学教授。修正シオニズム運動の活動家で、ユダヤ人国家の創設を支持するよう米国に働きかけた。専門はスペインのユダヤ人の歴史。ヘブライ語百科事典の編集者であり、ゼエブ・ジャボチンスキーの個人秘書。イスラエル首相ベンヤミン・ネタヤフの父。
ベンシオンの父ネイサン・ミリコフスキーは、ファーストネームのヘブライ語版である「ネタニヤフ」という名前で書いたいくつかの記事に署名し始めたことからベンシオンは「ネタニヤフ姓」を採用した。当時、シオニストの移民がヘブライ語の名前を採用することは一般的な慣行だったのである。
https://www.geni.com/people/Benzion-Halevi-Netanyahu/6000000002199188941

シオニズム Zionism とは
https://kotobank.jp/word/シオニズム-72275
ユダヤ人の民族国家をパレスチナに樹立することを目指した運動。近代シオニズムは,19世紀のヨーロッパ民族主義の高まり,反セム主義の存続と強化および現地社会への完全な同化の不可能なことへの失望から出てきた。シオニズムの父祖と呼ばれる人たちに M.ヘス,L.ピンスカーおよび T.ヘルツルなどがいる。ヘルツルは,フランスで起きたドレフュス事件と反セム主義の台頭に直面して,シオニズム運動を起したが,現地社会への同化を望むユダヤ人や,社会主義によってユダヤ人問題を解決しようとするロシアのブント派に属するユダヤ人から激しい批判を受けた。ヘルツルは 1904年に死亡するまで,オスマン帝国からパレスチナにユダヤ人国家をつくる許可を取付ける努力を重ねると同時に,他方においてパレスチナ以外でユダヤ人が国をつくる場所を捜しウガンダをその候補地として検討した。 10年以来,シオニストはパレスチナへの本格的な移民の斡旋に乗出した (「実践的」シオニズム) 。第1次世界大戦に際しては,バルフォア宣言を発表したイギリスを支持した。 22年に国際連盟理事会でイギリスのパレスチナ委任統治が承認されると,その前文にパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設することが組入れられた。しかし,民族的郷土が何を意味するかをめぐってシオニストの間で論争が起き,ユダヤ国家を建設するとする立場と,ユダヤ文化の中心地をつくればよいとする立場に分れた。 42年にはパレスチナにユダヤ人自治区をつくるという主張が有力となった (ビルトモア計画) 。しかし,V.E.ヤボチンスキーや M.ベギンらの修正シオニストは,トランスヨルダンを含めた大パレスチナにユダヤ人国家を建設すると主張し,シオニスト主流派に抵抗した。 1930年代にシオニズム運動は自立可能な国家のための基礎を築き,その結果 48年5月 14日イスラエル共和国が樹立され,シオニズムの目標は達成された。しかし,先住民族のパレスチナ人への十分な配慮を欠いたユダヤ民族国家の成立は,パレスチナ問題という難問をもたらすことになった。

修正主義シオニズム Revisionist Zionism とは
https://twitter.com/coCoco69494006/status/1705450874607444372
wiki
"修正シオニズムは、領土の最大化を特徴とするシオニズムの一形態である。修正シオニズムは拡大主義を推進し、ヨルダン川の両岸におけるユダヤ人の多数派の確立を目指した。
ゼエヴ・ジャボチンスキーによって発展したこのイデオロギーは、独立した個人によるエレツ・イスラエル(イスラエルの土地)の入植に焦点を当てたダヴィド・ベングリオンとチャイム・ワイツマンの「実践的シオニズム」の「修正」を提唱した。他のタイプのシオニズムとは異なり、修正主義者はエレツ・イスラエル全土に対するユダヤ人の主権を主張し、それを委任統治領パレスチナとトランスヨルダンと同一視した。社会主義的な労働シオニズムに対抗するイデオロギー的な主役であった。
修正主義シオニズムはシオニズム運動全般の中で労働シオニズムと直接対立していた。修正主義シオニズムはイルグンと呼ばれる独自の準軍事組織を持っており、そこからシュテルン団として知られる別の組織が生まれた。イルグンとスターン・ギャングはともに、イギリスをパレスチナから追放しようとするイギリスに対する攻撃を何度も行った。
1935年、シオニスト執行部がジャボチンスキーの政治プログラムを拒否し、「シオニズムの目的はユダヤ人国家の樹立である」と表明することを拒否したため、ジャボチンスキーは世界シオニスト機構を辞任。彼はヘブライ語でツァフと呼ばれる新シオニスト機構(NZO)を設立し、自由移民とユダヤ人国家の樹立のための独自の政治活動を行った。
ジャボチンスキーの指導の下での初期には、修正シオニズムは入植のためにイギリスからの支援を得ることに重点を置いていた。その後、ジャボチンスキーから独立した修正主義者グループは、1930年代、ナチスが勢力を拡大しつつあった重要な時期にユダヤ人の移民の権利を厳しく制限した白書を受けて、イギリスに対して移民開放のキャンペーンを開始した。
修正主義シオニズムは現代のイスラエル右派政党、主にヘルトとその後継政党リクードに強い影響を与えた。"

幻想の近現代さま note  修正シオニズム研究記事多数掲載。
https://note.com/ia_wake


危険な「歴史修正主義シオニズム」の正体
なぜイスラエルは「反ユダヤ的」になってしまったのか

2018.12.9 ル・モンド(フランス)
Text by Eva Illouz
https://courrier.jp/news/archives/145723/

ユダヤ人のための国家として「建国」されたイスラエルが、世界の反ユダヤ主義的言動を許容しているどころか、むしろ肩をもっている。その一方で、イスラエル国内の「ユダヤ性」は強めているという。
それはなぜなのか。「歴史修正シオニズム」が背後にあると、自身もユダヤ人であるヘブライ大学社会学教授のエヴァ・イルーズは分析する。それはなにを意味し、現実政治にどう影響しているのか。

反ユダヤを主義を許容するイスラエル
ユダヤ人社会が揺らいでいる。静かな地殻変動が起こっているのだ。イスラエルのネタニヤフ首相は、2016年のアメリカ大統領選挙の前後からトランプを支持していた。
当時はまだトランプについて「疑わしきは罰せず」と言うことができた。たしかに当時から、トランプの周りには、反ユダヤ主義的な疑惑のある発言を繰り返していたスティーヴ・バノンのような人物がいたし、トランプ自身もKKKからの好意的な選挙支援を拒まなかった。
しかしその頃、アメリカの新しい大統領となる人物が実際にどのような方針をとるのかはまだ定かなかった。
こうした疑惑が確信に変わったのは、2017年8月のシャーロッツビル事件だった。ネオナチのデモが平和主義派の対抗デモ参加者たちに暴力を振るい、集団のなかに車が突入し、1名が死亡。だが、トランプは反ネオナチの穏健派を、ネオナチのデモ参加者と同じように批判したのだ。
両者を同等と見なしたトランプに世界中がショックを受けたが、イスラエル政府は抗議しなかった。寛大な(あるいはシニカルな)政治解説者であれば、沈黙するイスラエルを、主君に強いられて同意する家来のようだと言うだろう。たしかにイスラエルは、世界で最もアメリカから軍事支援を受けている国だからだ。
だが、その後を見れば、その解釈はもはや通用しない。ネタニヤフはトランプ以外にも、反ユダヤ主義を許容する別の指導者たちに強いシンパシーを示しているからだ。しかもイスラエルが軍事的にも経済的にも依存していない国の指導者に対してだ。

反ユダヤ主義者たちと近いネタニヤフ
ハンガリーはその一例だ。2015年、ハンガリー政府は、ホーマン・バーリントを記念する銅像の設置計画を公表した。ホーマン・バーリントとは、ハンガリーのユダヤ人60万人が追放されたとき決定的な役割を演じていたかつての大臣だ。
さらに2016年、今度は第二次世界大戦中の反ユダヤ法の起草者ジョルジ・ドナートの記念碑をブダペストに建てることが話題になった。
まだ偶然の一致だと思っている読者には、2017年、再選を狙ったオルバン首相が、選挙キャンペーンのなかで反ユダヤ主義的なレトリックを多用していた件も挙げておこう。
「(米英的な意味での)リベラルな」価値観を支持していたハンガリー出身のユダヤ系アメリカ人投資家ジョージ・ソロスに対して、オルバンが徹底的に個人攻撃をしかけたときにそうしたレトリックが用いられたのだ。
そんななか、ネタニヤフは誰を支持したか? ハンガリー国内でオルバンの選挙キャンペーンに強く抗議していたユダヤ人コミュニティではなかった。同じユダヤ人で人道的政策を支援していたソロスでもなかった。
ネタニヤフはオルバンを支持したのだ。オルバンの反ユダヤ主義的な傾向に対して、イスラエル首相官邸が公式に抗議したことは、私の知る限り一度もない。
むしろ、ネタニヤフは2017年に首相選挙前のハンガリーを訪問し、オルバンが受けていた国際的な批判を拭おうとした。彼は、ユダヤ人コミュニティ連盟からは冷ややかに迎えられたが、オルバン首相からは熱い歓迎を受けたのだった。
両者の友情はいまもなお続いている。2018年7月19日、今度はオルバンが、イスラエル首相から熱烈に迎え入れられた。

ポーランドとの関係にもあ然とさせられる。
現在ポーランド与党「法と正義」(PiS)は、難民に対して譲歩しない政策をとっている。一連の改革によって司法の独立を終わらせたがっている。さらに、人種差別・外国人排斥・不寛容に対する戦いを放棄しようとしているのだ。
2018年2月、アンジェイ・ドゥダ大統領は、「“ポーランド国民のナチス加担”への批判」を違法とする法案を制定した。この法案に、当初イスラエルはわずかながら反対した。
しかし6月、ネタニヤフ首相とポーランドのモラヴィエツキ首相は、戦時下のユダヤ人に対するあらゆる犯罪行為からポーランドを除外するという宣言に調印したのだ。これにより、「ポーランドの強制収容所」という表現は違法となった。
ネタニヤフは自らの手で反ユダヤ主義と「反ポーランド主義」を同じ次元にあるものと見なす宣言に調印した。すなわち、ポーランドに暗黒期をもたらしたのは一部の個人であって、国民ではないと断言したのだった。
7月、ヤドヴァシェムのホロコースト研究所や、科学アカデミーに所属する21人のグループは、この宣言を非難した。
しかしいかにあ然とするものであっても、結果は変わらない。イスラエルの首相たるネタニヤフは、歴史否定主義とも言えるような立場に対し、合法性を認め、それどころか尊敬の念すらも示したのだ。

「歴史修正主義シオニズム」?
こうした状況は、じつのところシオニズムの決定的な変化を意味している。ネタニヤフの背後には、「歴史修正主義シオニズム」の政治論理を突き詰めていった最終段階とでも言えるものがある。ネタニヤフとその政党「リクード」は、20年前からその代表者たらんとしているのだ。
政治的な教義や実践レベルで言えば、伝統的シオニズム(社会民主主義)は3つの極のあいだでバランスをとろうとしてきた。
その3つの極とは、世界中に散らばった「ユダヤ人コミュニティ」、「イスラエル国家」の政治的利害、「有力な民主主義国家との国際的な政治同盟」だ(かつての「ならず者国家」との連携は大部分が非公式なものにとどまっていた)。
ホロコーストの記憶は、イスラエル人、ディアスポラのユダヤ人、各国に同化していったユダヤ人たちにとっていわば精神的地盤となっており、歴史を繰り返さないためにこうした3極構造を全体として支えてきた。(以後有料)