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麻原 彰晃(本名:松本 智津夫) 竹中 平蔵
(1955年3月2日 - 2018年7月6日) (1951年3月3日 ‐ )
麻原 彰晃について
〜よみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会 」
2012年6月17日放送回 より。
元オウム 現・ひかりの輪 代表 上祐史浩が、
オウム事件の根本的な原因について述べた発言。
上祐史浩
「彼のお兄さんは全盲で、彼は視覚障害なんですが、
お兄さんの手記によりますと、子供の時は目が見えていた。
目が見えなくなったのは、水俣病の結果ではないかと考えて
お兄さんは水俣病の申請をしたということがありまして、
だから、子供の時から、国家とか企業が自分にとって
"敵"という意識があった。
さらに、家族も敵というのがあって、
麻原彰晃は全盲ではないが視覚障害者として、
親元を離されて、寮制の盲学校に行かされたのですが、
その時に、彼に出る政府からのお金を
生活が苦しかったのだと思いますが、両親が生活費に流用し、
それを学校の教師に咎められるということがあった。
そういうことから、家族に、国家に、
強い憎しみを抱いて育ったのかな。というようには思います。」
竹中 平蔵について
〜月刊『リベラルタイム』(2005年10月号)
売国奴か?改革者か?「竹中平蔵」の研究
「貧困と差別」に憤った少年期 /ルポライター◎田中 幾太郎 より
「父親は小さな履物小売商をやっていた普通の商売人なんですが、
父を見てると、世の中が不公平に見えるわけですね。
父親はこれだけ苦労をして一所懸命働いてるのに金持ちになれない。
もっと楽してお金儲けしている連中が一杯いるのに・・・・。
どうやったらもっと住みやすい、よい世の中になるんだろう」(中略)
同級生から「緻密で冷静」と評されていた竹中が
別の側面を見せたのは、
六七年十一月、和歌山市で「第四回全国高校生部落問題研究会」が
開かれた時のことだった。
十七都府県二百三十二校から二千三百名が結集した会場に
高校二年生の竹中も足を運び、各分科会を精力的に回り、
発言していたという。(中略)
周囲が驚いたのは、その集会で、
和歌山のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという
報告があったときのこと。
竹中の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。〜〜