invisible peopleに光を当てる『万引き家族』〜常備灯の眼差しを持つ人 | ☆Dancing the Dream ☆

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invisible people に 光を当てる
それが今回のカンヌ映画祭の大きなテーマだったという。

ああ、私が愛読しているブログ 、
『これがマスコミの裏側』の 元新聞記者さんが、
紙面上でなさってきたお仕事と 同じだなぁ。そう思った。
*「なぜ障害者ばかり記事にするん?」
*私の最初の署名記事

それから、もうお1人、
ご自分で記事を書かれることは殆どないのだが、
色々な事件が次々に起きるヒステリックな世の中で、
子宮頸がんワクチンの被害者の方々に、
視線を向け続けておられる 911Rさん
彼も、ずっと、invisible peopleを
静かな眼差しで見つめている人なのだと感じる。

名を持った人の通る声や、
通りで上げる大きな声や、
注目を集めるイベントも必要なのかもしれないが、
小さな常備灯のような眼差しを持つ、
こういう人々の心に触れると、
As Tears Go By
なぜか、涙が溢れてくる。

是枝監督の名前は益々大きくなったわけだが、
監督が紡ぐのは、いつでも 小さな物語だ。
『万引き家族』も次のお休みには、
きっと見に行こうと思う。




『 万引き家族 』(英題 Shoplifters )


La Palme d'Or Cannes 2018

是枝監督の『万引き家族』が
パルムドールを受賞した『カンヌ映画祭』の授章式ーー

是枝監督は、こう述べた。
〜〜映画や映画祭から頂いた「勇気」と「希望」を
  作品が選ばれたにも関わらず
  この場に来れなかった〈2人の監督〉と共に分かち合いたい〜〜

是枝監督は、
普段 私たちが生活していると、
見えない、あるいは、見ないふりをしているような
ある家族の姿を 映画の中に描き出した。
invisible people の姿を目に見えるようにしようと試みたのだ。

そして、この作品でパルムドールを授与された是枝監督は、
受賞の挨拶の時に、
invisible people として
国家権力の弾圧によって隠されている映画仲間の存在を示唆し、
可視化しようと試みたのである。

その2人の invisible people の映画人とは、
ロシアの映画監督、Kirill Serebrennikov (キリル・セレブレンニコフ)と、
イランの映画監督、Jafar Panahi (ジャファール・パナヒ)である。

現在、キリル・セレブレンニコフ監督は、
芸術プロジェクトのために拠出された国家資金を横領したとして、
多くの芸術家らによる嘆願書や保釈金支払いの申し出にもかかわらず、
自宅軟禁に置かれている。
セレブレンニコフ監督は、ロシアのLGBTのコミュニティをサポートしたり、
2014年のロシアのクリミア併合を批判するなどして、
当局に危険分子としてマークされていた。
2015年、ボリショイバレエでは、
セレブレンニコフ監督、振付師ユーリー・ポソホフ、
音楽イリヤ・デムツキーの名トリオが、『ヌレエフ』を作っていた。
同性愛者を公言して海外公演の途中に亡命した不世出のダンサー、
ルドルフ・ヌレエフを描いたものだが、
プーチン政権の文化相は、『ヌレエフ』の同性愛描写の問題と、
監督の詐欺疑惑を理由に初演中止の圧力をかけた。
カンヌには、彼の作品 「LETO」が
コンペティション部門出品作に選ばれ、
映画祭はフランスの外務省を通じて、
プーチン大統領に直接協力を依頼したが、
断られたことが明らかにされ映画祭に参加できなかった。

もう1人の invisible peopleの ジャファール・パナヒ監督は、
2009年のイラン大統領選挙において、
反政権側の改革派を支持したこと、
またイラン暴動のドキュメンタリーを作成したことなどから、
イラン当局により逮捕された。
監督は、この年のカンヌ国際映画祭の審査員に選出されていたが、
映画祭の欠席を余儀なくされる。
映画界を代表する著名な映画監督や俳優が、
パナヒ監督の釈放を要求する嘆願書を作成し、
さらにカンヌ国際映画祭とフランス政府も抗議の意を表明する事態になった。
保釈金を支払い保釈された後も自宅軟禁状態に置かれ、
その後の判決では、今後20年間の映画製作禁止、脚本執筆禁止、
国外へ出ること禁止、マスコミとの接触禁止という命令が下された。


カンヌ出品 キリル・セレブレンニコフ監督作、「LETO」

「LETO」(ロシア語で「夏」の意)とは、
1980年代の旧ソ連で伝説的なロックシンガー、ヴィクトル・ツォイの
バンド「KINO」の代表曲のタイトルだ。
「KINO」とは、”映画”を意味する。
共産主義国では反体制的音楽として禁じられていた“西側”のロックの名曲、
デヴィッド・ボウイ、ルー・リードらの音楽が全編に流れる。
ヴィクトル・ツォイは、1962年、
カザフスタン出身の朝鮮人の父とロシア人の間に生まれた。
美術学校を卒業後、1982年に「KINO」を結成し、
活動を開始。
ソ連唯一のレコード会社「メロディヤ」との契約はなく、
非公式、未検閲でのアンダーグランドでの活動であった。
しかし、リリースする作品は大ヒットし、
他国の慈善企画などにも招待される。
1990年8月15日、トゥクムス(現在はラトビア)にて交通事故死。
28歳没。
KGBによる暗殺だろう。


カンヌ出品 パナヒ監督 『3 faces』


日本外国特派員協会会見 2018年6月6日