チャップリンの道化師の系譜/ジェームス・ティエレ 〜映画『ショコラ~君がいて僕がいる~』 | ☆Dancing the Dream ☆

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このブログで書いてきた記事の中で、
今だにみなさんに読んでいただいている記事は、
主に、不朽の名作…されど、意味不明…な
マイケル作品の不思議な歌詞の和訳&マニアックな解読もの、
それから、お気に入りの音楽レジェンド作品の和訳もの、などです。

〈昨日アクセス数が多かった記事 〉の常連記事は、
ここ2〜3年、ほぼこれら↓です。

Smooth Criminal の"表訳"と"裏訳"
Billie Jean の "表訳" と "裏訳"
フレディとボウイ ~Under Pressure (和訳)
A Dream Is A Wish Your Heart Makes(和訳)
神々の詩 ~私の名前はマポ
移民の歌 Immigrant Song(和訳)~神々を奪った泥棒を追いかけて・・・
21世紀の精神異常者・Twenty First Century Schizoid Man(和訳)


けれども、たまに、ずいぶん昔に書いたニッチな記事に
アクセスが集中するというナゾの現象が起きる事があります。

ここ数日、2年半ほど前に書いた、この古い記事↓
チャップリンの孫・ジェームズ・ティエレのパフォーマンス!! に、
アクセスが集中しているのは、なぜ?
…と思ったら、

チャップリンの孫のジェームズ・ティエレと、
オマール・シィの、W主演の映画『CHOCOLAT』が、
日本で毎年行われているユニフランス主催のフランス映画祭で、
昨年の6月に上映され、
今年、お正月、シネスイッチ銀座(1/21〜)から始まって、
全国に配給されるんですね。


フランス映画『CHOCOLAT (邦題:ショコラ ~君がいて僕がいる~)』

ジェームズ・ティエレのパフォーマンスに魅かれ、
チャップリンの孫・ジェームズ・ティエレのパフォーマンス!!
この記事を書きましたが、

今夜は、現代サーカスに至るまでの歴史など盛り込んで、
もうすこし深掘りしてみたいと思います。

チャップリンのコメディアンの血を最も濃く受け継ぎ、
チャップリンの遺作になったはずの作品を頓挫させて、
チャップリンの懐から飛び立ってしまった子供と、その子供の子供たち、
消えかけたサーカスの灯を再び蘇らせた
翼を持つ冒険好きな怪物(Freak)たちの物語を〜

チャップリンの父母は、
肉屋の息子の父のチャールズ・チャップリン・シニアと
靴屋の娘の母のハンナ。
チャップリン一家は、見事な崩壊家族でしたが、
ロンドンの下町、ケミュージックホールの立ち並ぶ
ケニントン地区のランベスのイースト・レーンで
父のチャールズは、少しは名の知れた役者、歌手、
母のハンナも、マイムやモノマネを得意とする芸人、歌手でした。
そして、チャップリンから枝葉を茂らせた家系樹に繋がる人々の多くは、
エンタメ界の住人です。

因みに、チャップリンは、
生涯で4人の妻、6男5女の11人の子供をもちました。

この家系樹のうち、
最後(4番目)にして最愛の妻ウーナとの間に生まれた娘、
長女のジェラルディン・チャップリンも
女優として不思議な魅力を放っていますが、
殊にユニークだと思うのは、
チャップリン自身がコメディエンヌの才能を見抜いていたという、
ジェラルディンの妹、
3女ヴィクトリア・チャップリンに伸びる枝…。

ジェームズ・ティエレは、
チャップリンの特別な娘、ヴィクトリア・チャップリンの息子です。

このヴィクトリア嬢は、
チャップリンが最晩年に手掛けていた
映画『フリーク The Freak』(1966-1977未完)の
主演女優にと白羽の矢を立てられ、
脚本、音楽、特撮の準備も整っていましたが、
いざ撮影という段になって、
当時18歳のヴィクトリア嬢の恋の前に頓挫してしまうのです。


古い倉庫で見つかった羽根


『The Circus』1928年 アカデミー賞初受賞作品

チャップリン自身が歌う「Swing little girl」の歌のままに、
ヴィクトリア嬢は、虹を見るため空を見上げ、
空高くブランコを漕いで…
〈新しいサーカス〉を作ることを夢見る男と恋をし
『フリーク』の撮影直前に出奔。

『フリーク』は、1977年のチャップリン没後以来、
脚本が他人の手に渡らないよう遺族によって厳重に守られ、
その内容は30年以上秘密にされていましたが、
2010年、その秘密が解除されました。
http://www.afpbb.com/articles/-/3070352?pid=0

『フリーク』のストーリーは、次のようなものでした。
〜〜翼を持った少女が人類に希望をもたらし、
同時に、人間の最も深い欠陥もあらわにするという内容。
英国人宣教師夫婦のもとに生まれた翼を持つ少女。
この少女はある日、南米のチリで教授が住む家の屋根の上に降り立つ。
少女はサラファ(Sarapha)と名づけられ、
彼女を天使と信じた人たちが病気を治してもらおうと
この教授の家を訪れるようになる。
しかし、サラファは拉致され、ロンドンで見世物にされてしまう。
逃げ出すも捕らえられ、自身が人間であることを証明するよう迫られる。
そして解放されると、サラファはチリの家に戻ろうと飛び立つが、
旅の途中で力尽き、大西洋(Atlantic)に落ちてしまう…〜〜

〈Freak〉とは、〈異形のもの、怪物〉
あるいは、〈熱狂的なファン〉の意ですね。
この物語の『The Freak』とは…
・芸という特別な翼を持つ異形の芸人
・芸人に貪欲に癒しを求め熱狂する大衆
・異形の芸人を利用する悪徳商売人
・異質なものを蔑視し危険視する権力者
このような人間たちのことを指しているのではないでしょうか。

このチャップリンの未完の遺作『フリーク』の物語の骨格は、
おそらく、
デヴィッド・リンチ監督の『エレファントマン』、
マイケルジャクソンの『Ghosts』とも通底するものだと思います。





また、翼を持った少女が、
〈旅の途中で力尽き、大西洋(Atlantic)に落ちてしまう…〉ということは、
異質な者として虐げられ、新天地を求めて海を渡る〈移民〉の死を
暗示しているとも思われます。

チャップリン自身も、反戦、反独占資本などをテーマにした映画を作って
赤狩りにあい、アメリカを追放されましたね。
1952年の追放から20年の時を経て、
1972年、ハリウッドはアカデミー名誉賞を授与し、
チャップリンに詫びを入れましたが、
チャイニーズシアターにはチャップリンの手形もありません。
赤狩りの時、元々あった手形の上にはゴミが積まれ、
撤去されたままです。
チャップリンは、所詮、
ハリウッドがコレクションできるようなスターではなかったのです。
「私は世界市民ですから」と言って、
イギリスから国籍を変えることはありませんでした。
チャップリンは、ユダヤ系ではないようですが、
アイルランド系、母方からロマ二の血も継いでいるようです。
https://www.theguardian.com/film/2011/feb/17/charlie-chaplin-gypsy-heritage
http://ethnicelebs.com/charlie-chaplin

1917年に公開された
チャップリンのサイレン映画『移民 The Immigrant』から、
100年後の世界がどうなったかを知ったら、
チャップリンはどう思うでしょう。


2015年 シリア難民

1917年 チャップリンの「移民 The Immigrant 」


ヴィクトリアは、バティスト・ティエレという14歳も年上のフランス人、
現代サーカス(Cirque contemporain) を夢見る男に恋をし、結婚(1970)。
二人は、二人の子供に恵まれます。
オーレリア・ティエレとジェームズ・ティエレ。
ジェームズは、姉のオーレリアと一緒に4歳で、
Le Cirque Imaginaire(架空のサーカス)という小さな舞台に立ち、
両親が立ち上げたシルク・ボンジュールというサーカス団と
10歳まで旅興行を共にしたと言います。


因みに 姉のAurélia Thierréeは、
シルク・ドゥ・ソレイユでもパフォーマンスしています。

1960年代、動物の曲芸や見世物的な伝統的なサーカスは、
人気が衰退し始めていました。
バティスト・ティエレは、消えかけたサーカスの灯を再び点すため、
観衆の想像力に訴えることに重点を置いた芸術的なサーカスを
模索し、これを〈目に見えないサーカス(Cirque invisible)〉と銘打ち、
1971年、ヴィクトリアと共に〈シルク・ボンジュール〉を設立しました。
彼らは、アヴィニョンフェスティバルやオーリヤックフェスティバルで演じ、
現代サーカスの先駆けとなりました。

1974年、パリに西欧で初のサーカス学校が設立され、
誰でもサーカスを学ぶことができる環境が整えられ、
フランスにおいて見事に復活を遂げたサーカスの動きは、
カナダ、ベルギー、スカンジナビアなど全世界中に拡散していくのです。
また、1985年、
フランス国立サーカスアートセンター(CNAC)も設立されます。

現在、シルク・ボンジュールの後続として、
非常に芸術性の高いサーカスとして成功しているのが、
バルタバス率いる、騎馬スペクタクルの「ジンガロ Zingaro」です。
circus サーカスとは、天幕を張った円形劇場のことですが、
「ジンガロ」は、まさに観客が円形の舞台を取り囲むサークルとなって、
人馬一体となって繰り広げられるサーカスなのですね。

〈Cirqueシルク=Circus サーカス〉とは、
18世紀、特権を与えられた者以外、
〈劇場〉と称することは、ナポレオン一世によって禁止されていたことから、
苦肉の策として、生まれた言葉なのだそうです。

ジャグラー芸人のAntonio Franconi アントニオ・フランコニや、
サーカスを統合エンターテイメントの域に高めたサーカスの父とも言われる
天才馬術マスター・Philip Astley フィリップ・アストリーが、
リング状の舞台をもつ劇場をサーカスと呼んで、
この不平等な法をかわしたのです。
フィリップ・アストリーは、パリで乗馬学校を開き、
Cirque Olympique (Olympic circusオリンピックサーカス)とい名前の
馬術劇場設立しました。
こうして、18世紀末に生まれフランスで発展した近代サーカスは、
未知なるものや非日常を連れてくる、特別な存在となりました。

バルタバスこそ、フィリップ・アストリーの再来のような存在でしょう。
ジンガロは、1985年に設立され、
馬具の老舗からハイファッションブランドとなったエルメスが、
スポンサーとなり、2003年、ヴェルサイユ宮殿の大厩舎に
学校でもあり舞台芸術カンパニーでもある、
馬術アカデミーをオープンしています。
バルタバスは乗馬をする人が芸術的な感性を磨くことを希望し、
乗馬の技術的な訓練のほかに、ダンス、歌、フェンシング、
日本の弓道が教えられているそうです。

また、最も世界中でよく知られ、最も人気を博している、
シルク・ボンジュールに影響を受けて後続する
もう一つの大きな集団は、
あの火喰い芸の大道芸人・ギー・ラリベルテが
1984年にカナダ・ケベック州に創設した
「シルク・ドゥ・ソレイユCirque du Soleil」です。
シルク・ドゥ・ソレイユに関しては、
もはや何の説明もいらないでしょう。

映画やテレビが登場し、飛行機で未だ見ぬ海の向こうを旅する
リクリエーションが一般化していくと、
人々は徐々にサーカスへの興味を失っていきます。

サーカスの火を消してはいけない。ーー
そう思っていたのは、
バティスト・ティエレとヴィクトリアだけではありませんでした。

1970年、映画監督のフェデリコ・フェリーニは、
子供時代の忘れ難い幻想的な思い出を残してくれた
サーカスと道化師へオマージュを捧げた
一本のドキュメンタリー作品を作っています。

こうして、彼らは、l演劇界やフランス政府に、
「新しいサーカス」の動きを生み出し、
この時代に総合芸術としてのサーカス学校が次々に誕生し、
今では、フランスには200以上ものサーカス学校があると言われています。




『I Clown (フェリーニの道化師)』

フェデリコ ・ フェリーニの道化師 (1970 年)
フェリーニがRAI(イタリア国営放送)のために製作したTV映画。
少年の頃よりサーカスに強い憧れを抱いていたフェリーニは、
道化芸の本場イタリアとフランスを旅するが、
どこにも道化師が見つからない。
彼らは老い、その芸を継承しようという者も少ない。
最後、フェリーニは満を持して、絢爛たる道化ショウを再現してみせる。

『フェリーニの道化師』には、
ヴィクトリアとバティスト・ティエレが、
出演しているシーンが残されています。