「北人霊歌」とも呼ばれ、
縄文びとの魂を感じさせる音楽を発信し続けた
姫神(星吉昭)の「縄文海流~風の縄文Ⅲ」(1998年)から、
今夜は、「赤道伝説」を。
日本のシンセザイザー音楽と言えば、
天才・富田勲さん。
これに続くのが、YMO、喜多郎、姫神などのアーチストですね。
富田勲さん:新日本紀行、NHK大河ドラマ、ジャングル大帝、リボンの騎士、どろろ、円谷プロや東映の特撮番組など、放送・映画・アニメ・ドキュメンタリー・CM・舞台など膨大な数の作品を世に送り出した。
1974年、シンセサイザーによる作品「月光」は、日本人として初めてグラミー賞にノミネートされ、続く「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」も全米チャート1~5位となった。『バミューダ・トライアングル』はグラミー賞2回目のノミネートを受け、1983年のアルバム『大峡谷』では3回目のグラミー賞のノミネートを受けた。
映画『地獄の黙示録』の音楽をコッポラ監督より要請されたが、レコード会社の契約問題で実現されなかった。Sワンダー、マイケルジャクソンなどからも尊敬する音楽家として名を揚げられた。1987/9/24 実際にマイケルジャクソンは富田のスタジオを訪れた。
先鋭的なテクノロジーの国・日本のテクノミュージックの旗手、
「黄色い猿」として世界へ向かって快進撃していったYMO、
また、エキゾチックなヒーリングミュージックの喜多郎らは、
拠点をアメリカに移し、世界的な活動を求めて行きました。
つまり、当然のごとく音楽のメインストリーム、
「世界」とは、すなわち「アメリカ」でした。
しかし、彼らと同じく80年前後から活動を開始した姫神は、
岩手県花巻の田瀬湖畔にスタジオを構え、
ノースジャパンレコードを設立し。
日本の東北の音楽を東北から世界に発信することにこだわりました。
さて、姫神の「赤道伝説」は、
赤道周辺の南方の地から、営々と船を操り、
黒潮、また対馬海流にのって海を渡って
日本列島にやって来た海人、
私たち日本人の祖先が辿った
壮大で熾烈な 遠く果てしない海の旅の歌。
行く手に希望を託して命を賭し、茫漠とした海を渡る
移民の歌です。
あるいは、
戦争、差別や迫害、貧困、飢餓、
自然災害、伝染病などによって故郷を追われた
難民の歌でもあるかもしれません。
先ごろ、ギリシャの島を目指していたシリア難民の小さな男の子が、
溺死してトルコのリゾートビーチの海岸に
打ち上げられていたニュースが世界に衝撃をあてましたが、
現在の日本は、
上に列挙した難民となる原因が、
どんどん膨張してはいないでしょうか。
シリアの男の子の姿は、福島の子供たち、私たち自身の姿であると、
思わざるを得ません。
遠いむかし、
私たちの先祖は、海を渡り日本列島にやって来ました。
彼らは、どんな言葉を話し、
どんな歌を歌い、
どんな神を崇めていたのでしょう。
彼らの中には、北上を続け、
やがて、大陸そしてシベリア、欧州につながる系譜の
オホーツクを渡って来た北方の民と出会い、
そして、遠く南方の血と北方の血が混じり合っていきます。
さらに、彼ら縄文の民と弥生系渡来人が侵入し、
混血していくのですね。
宮崎駿の私たち日本人のルーツを巡る連作とも言える、
「もののけ姫」のサンとアシタカ、
そして、「千と千尋の神隠し」の千尋とハクの愛の物語を
思い出させます。
東北に住みついた海洋の民の中には、
北の大地からさらに漁場を求め、
南北の智恵を結集して作り上げた船で、、
遠洋に漕ぎ出すものたちもいました。
彼らの船には、
北方の技術の象徴である方船の鎧張り、
そして、南方の技術であるチキリとよばれる
板同士を継ぎ合わせるリボン型の木の接合パーツが用いられ、
つまり、北方船と南方船の技術が混ざり合った
ハイブリッド船だったです。
この船が遠洋漁業の始まりとなった鱈漁を可能にしました。
チキリの歴史は古代エジプトにまで溯ります。
中国から沖縄を、そして日本海へと北上し、
この技術は約2200年後に日本に辿りつくのです。
秋田県の八郎潟湖底から、
チキリを使った9世紀の船が出土したと言う。
姫神という名は、
岩手・盛岡にある「姫神山」からとられたと言います。
姫神山はピラミッド型をした山容が特徴の美しい山。
チキリが用いられている最古の船は、
紀元前1850年のエジプトの船だと言うのですから、
ピラミッドに似た姫神山の名を冠した
日本の音楽家が、海人の「赤道伝説」を奏でるのも、
海の神・ワタツミの思し召しかもしれません。
赤道伝説
融る鱈場 泡ごと (とおるたらば あわごと)
雲と見紛う 島群れ (くもとみまごう しまむり)
融る鱈場 泡ごと (とおるたらば あわごと)
雲と見紛う 島群れ (くもとみまごう しまむり)
融る鱈場 泡ごと (とおるたらば あわごと)
雲と見紛う 島群れ (くもとみまごう しまむり)
海越し 来ぐり (わたごし ぐるぐり)
島無き 志多那去る (しまなき したなさる)
海越し 来ぐり (わたごし ぐるぐり)
島無き 志多那去る (しまなき したなさる)
エエー エエー エエー
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古る (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古り (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
海越し 住古り (わたごし すみふる)
白々 島去る (しらじら しまさる)
*赤道伝説
縄文時代から弥生時代にかけて海人族と呼ばれる海上交易を行う民がいた。
海人族とは、赤道の北を西に向かって流れる北赤道海流に起源を持る黒潮に乗って日本にやってきた南島系種族(隼人=インドネシア系)。
また、黒潮が東シナ海で分流した対馬海流に乗って、中国南部から玄界灘、九州北部に渡って来た水稲栽培技術をもつ集団(安曇系=インド・チャイニーズ系)と言われる。
*鱈場
鱈のとれる漁場。
鱈は北半球の寒冷な海の海底に生息し、大きな群れを形成し、
大規模な回遊を行う。冬期から早春の産卵期、砂泥の海底に産卵する。
延縄(はえなわ)漁、底引き漁などで漁獲される。
遠洋漁業のはじまり。延縄縄漁は、日本では『古事記』や『古今集』にも
その記載があり、古くは、千尋縄ともよばれた。
北洋漁業を切り開いていった先駆者たちは、進出した先の在所で
出身地毎に纏まった集落を形成した。
*海越し(わたごし)
「ワタ」は海の古語。「わたごし」とは「海を渡る」こと。
『古事記』は綿津見神(わたつみのかみ)、綿津見大神(おおわたつみのかみ)、『日本書紀』は少童命(わたつみのみこと)、海神(わたつみ、わたのかみ)、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)などの表記がある。
対馬、壱岐、伊豆諸島、淡路島や沖縄などの多くの島々に残る「和多津美」、「海神」いずれの「ワタツミ」も、その言葉の背景には海を旅する民の信仰に纏わる言葉である。
諸説:http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=148
http://japan-spiritual.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html
*志多那去る
上代歌謡(『古事記』と『日本書紀』などに収められた上代の歌を総称する)で
用いられた言葉。
「志多那」とは、「そのように」と言う意味。
*住古る(すみふる)
住み古すこと。長い間住んでいること。俳句などでも用いられる古語。
縄文人は、舟に乗り南方の島から海流に乗って
日本列島にたどり着き、北方からの人々と合流したという仮説がある。
鱈は漁獲が難しい魚であり、深海を狙った延縄(はえなわ)漁の技術と
遠洋に耐える造船の技術が必要であった。
環太平洋地域の交点である日本列島で、南方船と北方船の技術が、
交錯融合していく。
星吉昭が樺太、アイヌの歌をさがして稚咲内を歩く。