心優しき不屈の人・復活するGhosts ~1993版 1997版 | ☆Dancing the Dream ☆

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1993年版と1997年版の見比べ


タイトル不詳 1993版


Ghosts 1997版

1993年、デンジャラスツアーの最中のことでした。
当初、マイケルは、映画「アダムス·ファミリー2」のための
ホラーをテーマにした曲とそのプロモビデオを
ツアーのインターバル中(Third leg前)に
撮影することになっていました。

アダムス·ファミリー2のテーマとして使う歌の歌詞は、
プロモビデオの出演者でもあり、マネージャーでもあった
Shana Mangatalさんによって口述筆記されましたが、
録音されることはありませんでした。
その歌は、後にリリースされた「Is This Scary」とは、
全く違うもので、実際に「Is This Scary」とは題されておらず、
歌だけでなく、長編ミュージックビデオも「Is This Scary」とは、
呼ばれていなかったそうです。(詳細は過去記事のコチラで)

しかし、この企画は、
1993年のエバン・チャンドラー事件と言われる
マイケルを襲った恐喝事件によって
実現することはありませんでした。

この事件の捜査は、マイケルの刑事起訴に向けて行われた
2つの郡の合同作業によるかつてないほど大規模なものでした。
サンタ・バーバラ郡主席検事のトム・スネドンと
ロサンゼルス郡主席検事ガルセティが陣頭指揮を執り、
リンチのような取り調べや
家宅捜査と称する破壊窃盗が行われました。

猛烈なマスコミよるバッシング、
マイケルに貼られた児童性愛者、児童虐待者、
変質者というレッテルは、
人々の心の中で『有罪』の印を消えないものとして残し、
生涯彼を苦しめることとなります。

皮肉なことに、ちょうどこのとき撮影されていた 
後に長編映画「Ghosts」として蘇る
アダムスファミリーのための映像作品は、
その後に現実に起こることを
正確に予言するような内容でした。

実際、この事件以来、"normal people 普通の人々"は、
奇怪で不気味な存在としてマイケルに偏見の眼差しを向け続け、
彼の尊厳を粉々に破壊してしまうかのようでした。

連日のようにマスコミがマイケルバッシングを行っていたこの時、
いったい世界では何が起こっていたのでしょう?
実は、時代は、
"normal people 普通の人々"が気付かないうちに、
大きなうねりの中に吞みこまれていました。
1991年ソ連が崩壊し、冷戦が終結。
しかし、第一次世界大戦後、
分割統治された中東には、
その後撤退するとき戦勝国があえて残した火種が燻り、
新しい戦争が作られていたのです。
パレスチナは悲惨でした。

"normal people 普通の人々"を巻き込んで
マイケルジャクソンを破壊しようとした全計画の核にあるものは、
決して、表に姿を現さない、世界で戦争ビジネスを展開する、
悪魔的な勢力と同じであると信じています。

明らかに、1992年からマイケルジャクソンが開始した
デンジャラスワールドツアーは、
パレスチナ問題に焦点をあてた世界規模の反戦運動
でした。

デンジャラスツアーのショーのハイライトとなる楽曲は、
「Will you be there」ではないでしょうか。(*Will you be there和訳はコチラ
イスラムの衣装を纏ったクワイヤ、
戦場の子供たちの声なき声を象徴する手話を使う子供と共に、
マイケルは平和への祈りを歌いました。
マイケルがステージで涙を流す姿を見たのは、
「Will you be there」を歌ったこの時だけかもしれません。



デンジャラスツアー(1992年6月27日~1993年11月11日)は、
ベルリンの壁崩壊したドイツ・ミュンヘンから開始され、
東欧やロシアという旧共産主義国家を回りました。
マイケルが唯一DVD化を許可したのは、
1992年10月1日のブカレスト公演だけでした。
マイケルが訪れたルーマニアの孤児院の劣悪な環境には、
チャウセスク政権の暴政の爪痕が残されていました。
ライブ映像には、独裁からの解放の革命的なシンボルとして
西側を代表するスーパースターに熱狂するルーマニアの人々の姿が
映し出されています。

1992年のデンジャツアー・2ndレグ、東京ドームでのショーが、
その年の大晦日で終了し、
1993年8月より開始されるアジアツアー3rdレグを控えたマイケルの年明けは、
世界中が注目する2つの大式典での
平和運動、子供たちの救済支援活動に始まりました。

そのうちの一つは、1993年1月18日、
クリントン大統領(民主党)の就任祝賀祭(An American Reunion: the 52nd Presidential Inaugural Gala)への出演でした。
マイケルは、血液製剤によるエイズ感染によって18歳で亡くなった
ライアン・ホワイト君に捧げられたを'Gone Too Soon'を披露し、
エイズ撲滅を訴えたのです。

もう一つは、1月31日、発展途上国を含む世界100カ国で放送された
NFLスーパーボウルハーフタイムショーへの出演です。
NFLから10万ドル、カーター元大統領(民主党)を協力者とした
平和運動組織、Heal The Worldに寄付されました。
マイケル出演を機にスーパーボウルハーフタイムショーが、
ゲーム以上のメガイベントとして
全世界1億世帯以上が視聴すると言われるほどの人気枠となりました。

マイケルは、音楽の力によって巨大なメディアとなった
スーパスター・マイケルジャクソンの世界規模の平和運動を直走り、
快進撃中でした。
自らが使命だと信ていたのは、世界中の子供たちを救うこと。

そして、3rdレグ開始(1993/8/24よりバンコク公演)直前、
バンコクに滞在中8月21日に、
エバン・チャンドラー事件に関する
ネヴァーランド家宅捜査がロス市警によって行われ、
8月23日、児童性的虐待疑惑の訴訟が、
世界中にニュース速報で流され、
報道合戦がエスカレートしていきました。

しかし、その後のアジア、中南米、
マイケルを迎えたライブ会場のどこの国の観衆も
変わらぬ熱い声援を送るマイケルの味方でした。
Happy birthday!Michael! (inシンガポール)
Ole! ole! ole! ole!Michael!Michael! (inブラジル) と!

1993年11月11日、
デンジャラスツアーは、メキシコを最後に中止されました。


Rehearsal 1993 Sony studio Culver City
ロス西部のカルバーシティのSony studioで行われた
デンジャラスツアーのリハーサル映像が、最近公開されました。