マイケルの芸術的言語② ~反・英語による世界制覇 | ☆Dancing the Dream ☆

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Let us celebrate
The Joy of life ♡
with ☆Michael Jackson☆

Englishは、今や、世界の公用語のごとく用いられる言語であり、
世界で最も多くの国で使用されている言語です。
ネイティブスピーカーの人口も、中国語(約13億7000万人)に次いで
2番目(5億3000万人)に多い言語となりました。

元々の意味は「イングランド語」であり、
イングランド(England)とは、グレートブリテン島の南東に位置する国で、
イングランド語は、その地方で使われていた言葉でした。

しかし、もともとグレートブリテン島にはケルト人が住んでいましたが、
5世紀にゲルマン系のアングロ・サクソン人が侵入し統治するようになり、
その地はイングランドと呼ばれるようになったのです。
イングランドという名前は、アングル人に由来します。

アングル人=Angel
Angel=魚釣りをする


アングルという名の由来は、彼らが住んでいた土地が
「釣り針」の形をしていたことによるものとされていますが、
なぜ、これを名付けの元にしたのでしょう?
なぜ「釣り針」型をしていることを好ましく思ったのしょうか?

初期の弾圧されたキリスト教徒が隠れシンボルとして用いたのが、
ichthys=イクトゥス(魚)です。
イエスは、漁師ペテロに、
「これからは魚でなく人間を取る漁師になるのだ」とに諭しました。
つまり、聖書世界では、「魚釣り」とは「布教活動」の比喩なのです。

20世紀中盤までイギリス帝国は、植民地政策を推し進め、
英語話者が急激に増えて行きました。
イギリスは、エリート層を本国で教育し、それぞれの植民地へ送り返し。
かくして旧イギリス領(現在その多くはイギリス連邦に加盟している)では、
法律も英語で起草され、それによって政治・経済・教育などの分野で
公的に使われるようになり、イギリスとこれらの地域の共通語になりました。

第二次世界大戦後イギリスは徐々に国際政治での影響力を弱め、
かつての植民地であり、英語を使用する国でもあるアメリカ合衆国が
強い影響力を持つようになり、結果として英語が有用な外国語として
世界に広く普及することになっていきました。

英語という言語が国際的地位を保ち続ける状況は、
経済的にも国際支配を堅固にし、
また世界の非英語国との格差を助長するものとなります。

血統的関係に関わらず、英語を国語・公用語とする白人主流派の先進国である
イギリス、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドは、
アングロ・サクソン諸国と呼ばれ、グローバル資本主義の進展を行ってきました。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を著した
マックス・ヴェーバーによると・・

――プロテスタンティズムは、基本的に、
行動的禁欲をもって天職に勤勉に励む精神を持つ。
しかし、その利潤は、安くて良質な商品やサービスを人々に提供したという「隣人愛」の
実践の結果であり、その労働が神の御心に適っている証であり、
救済を確信させる証であるとした。
このように、論理のすり替えが発生し、プロテスタント達は金儲けにひた走り始めた。
つまり、最も金儲けに否定的な禁欲的な宗教が、
それとは正反対の金儲け肯定論、近代資本主義を生み出したという
歴史の皮肉がある。
救済の証である利潤をより多く得るためには寸暇を惜しんで勤勉に労働しなければならない。そのため人々は時計を用い、自己の労働を時間で管理する精神、行動様式が成立した。
これを端的に表す言葉が、「時は金なり」である。―― 
およそ? このような論を説きました。

こうして、プロテスタンティズムの信仰が近代資本主義を産み育てていきましたが、
近代化とともに、信仰が薄れ世俗化していくと、
元々が宗教的な「内からの動機」に基づくものであった利潤追求が、「外圧的な動機」によるもの、あるいは、利潤追求自体が目的になっていきました。

それまでの人類の労働の在り方は、南欧の非プロテスタント圏に見られるように、日が昇ると働き始め、仲間とおしゃべりなどをしながら適当に働き、昼には長い昼食時間をとり、午後には昼寝や間食の時間をとり(シエスタ)、日が沈むと仕事を終えるというような、実質的な労働時間は短く、おおらかで人間的ではあるが生産性の低いものでした。

ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学『モモ』の舞台は、
イタリア・ローマらしき町でした。
そこに現れたのが、「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たち。
彼らのもつ力こそ、「近代資本主義」の外圧的な動機を生む魔力です。
「時は金なり」。 人々は時間を盗まれてしまうのです。

さてさて、マイケルが、
アフリカの言葉や、自由と友愛の言葉エスペラント語を用いたのは理解できるとして、
彼の楽曲の中で、もっともロマンチックなラブソング I Just Can't Stop loving youを、
フランス語、スペイン語のヴァージョンで歌った理由、
そして、ラテン系のシンガーが、911被害者支援の歌What More Can I Giveの元に
結集した理由は、この仕事に関わった人々が、
プロテスタンティズムの洗礼を帯びていないことに関係するのかもしれません。

フランス、スペインは、どちらの国も同じように約70%の国民が、
カトリック教徒であり、しかも熱心に教会に通う人々は少なく、
国家としては、非プロテスタント圏です。
しかし、ヴェーバーの分析を鑑みなくとも、
恋と歌と美味しい食事、人生を謳歌することを旨とする民族であることは、
彼らが醸し出すムードで明らかですよね ラブラブ
彼らのSmileは、太陽のように温かく明るいですから~ぴんくほっぺすまいる

◆映画「Moonwalker」のレディスミス・ブラック・マンバゾー
1988年のマイケル製作総指揮による映画「Moonwalker」のエンディングで、
ズールー人の伝統文化を起源としたアカペラ唱法、で歌う南アフリカの男性コーラスグループ「Ladysmith Black Mambazo」がフューチャーされました。
その唱法は、イシカタミア(慎重に歩くこと。忍び寄って攻撃するの意)や、ムブーベ(ライオンのように力強く大きな声で歌うの意)と呼ばれるスタイルです。
リーダーのジョセフ・シャバララが、アルバム「Journey of Dreams」の中の曲「Lindelani(Get Ready)」をマイケルのためにアレンジして書いたのが、この「The Moon Is Walking」でした。彼らが披露するダンスは、伝統的なイシカタミアのスタイルです。
このダンスは、アパルトヘイト時代、炭鉱労働を強いられた黒人男性達が劣悪な環境で、密やかに自らのアイデンティティー、連帯と英気を呼び覚ますためのものであり、楽器を使わず手足の小さな動きでリズムを取りながら巧みに表現をするのが特徴です。
慎重なつま先のステップは、マイケルのムーンウォークにも通じる、なんとも静かな緊張感と神秘性をもったスピリチュアルなダンスではないでしょうか。
歌は、ズールー語で始まり、そして英語で歌われる内容では、南アにも平等に輝く月をマイケルに例え讃えています。27年者長きに渡って拘留されていたネルソン・マンデラ元大統領も、マイケルジャクソンの存在に励まされ獄中生活に耐えることができたと語るほどですから、差別に苦しむ南アの多くの人々にとって、マイケルは「イシカタミアの魂をもつ月」のような存在だったことでしょう。マイケルは、彼らのパフォーマンスに感涙の涙を流したと伝えられます。
Come and see,                 おいで 見てごらん
The moon is walking,             月が歩いているよ 
the moon is walking,             月が歩いている
Come and see,                  来て見てごらんよ
The moon is walking,             月が歩いて
the moon is shining,             輝いているよ
Come and see,                 来て見てごらん
The moon is dancing,            月が踊っているよ

Come and see,                 おいで ご覧よ
come and see,                 来て見てごらん 
This is a miracle,              これは奇跡だよ
Come and see,                 おいで そして、ご覧よ

Come and see, the moon is dancing     来て見てごらん 月が歩いてるよ 
(repeat)
Come along, my brother,           兄弟たちよ さぁ、一緒においでよ
Come along, my sister...           姉妹たちよ さぁ、一緒においでよ
(repeat)




◆History Teaserのオジサンのエスペラント語の叫び声
1989年11月、ベルリンの壁が崩壊、 チェコスロバキアでビロード革命、
12月にはルーマニアのチャウシェスク政権崩壊、次々に東欧諸国が非共産党国家として成立し、しました。その数年後、1992年デンジャラスツアーは、ミュンヘンを皮切りに、まだチャウセスク独裁政権の爪痕が生々しく残るルーマニアのブカレスト、初の東欧入りを果たしました。孤児院の慰問を行ったマイケルは、チャウセスクの避妊・堕胎手術を禁止の悪政の犠牲となった子供達の状況を目の当たりにします。孤児院の子供達が不衛生で手の行き届かない最悪の環境に置かれていることに衝撃を受け、これが即座に改善されなければコンサートは行わないと発言しました。このツアーは、新たな局面を迎えようとしていた中東問題を抱えるクリントンにマイケルが深くかかわり、反戦と犠牲となっている子供達の為に行われた政治色を強く帯びたものでした。1993年ツアーの途中で、児童虐待疑惑が起り、マイケルは心身の過労から薬物中毒に陥り、ついにツアーは中止されました。この問題は、示談が成立し、
この一連の苦境を支えたリサマリーと1994年5月に結婚。マイケルにとって激動の時期です。
1994年10月、マイケルは妻リサマリーを伴いハンガリーのブダペストのロイヤル宮殿前でHistory Teaserの撮影を行いました。このフィルムの冒頭には、マイケルの巨大像建立を指示する作業員の声にはじまります。その声は、[エスペラント語]でした。
「Teaser」は、チャップリンの映画「独裁者」へのオマージュでもあり、「独裁者」と同じように、自身が独裁者に扮しながらファシズムを否定し平和を謳う逆説的な手法を用いたのです。
異なる文化をもつ民族が、互いの文化を押し付けあうのではなく友愛を築く精神の象徴でもあるのが、[エスペラント語]でした。ヒットラーは、エスペラント語を危険視し禁じていましたが、チャップリンは「独裁者」の背景のゲットーの街並み作りの小道具として、店の看板などにエスペラント語を配し、潜ませていました。おそらく、マイケルは、チャップリンのこの工夫を知って共感し取り入れたのでしょう。
因みに、このハンガリー訪問のとき、訪れた子供病院で肝移植を必要とした小さな少年ベラ・ファーカス君がマイケルによって命を救われ、20年後の今年2014年の2月、父親になった報告をし、改めてマイケルへの感謝を捧げました。
( Teaserエスペラント語の和訳→http://ameblo.jp/et-eo/entry-11784065716.html



◆ I Just Can't Stop loving youのスペイン語バージョン
(Todo Mi Amor Eres Tu)

パナマ市出身のサルサ歌手、作詞作曲家、俳優そして政治家ルーベン・ブラデス(Rubén Blades)によって翻訳されました。ルーベン・ブラデスは、アルバム『エセーナス』、『ムンド~地球』でグラミー賞を獲得し、1994年に立候補したパナマ共和国大統領選では、落選したものの20%の得票率を得、2000年には人種問題に関する国連親善大使を歴任した人物です。
1988年11月に日本で限定発売された「マイケル・ジャクソン・3インチCDスペシャル」や2001年発売のリマスター盤「Bad」、2012年発売の「Bad25周年記念盤」に収録。



◆I Just Can't Stop loving youのフランス語バージョン
(Je Ne Veux Pas La Fin De Nous)

クインシー・ジョーンズの友人でもある70年代にベルギーで活動したグループ"The Lovelettes"のシンガー、クリスティーヌ・ドゥクロワがフランス語の歌詞を書き、デュエットの相手も務めました。
http://www.mjfrance.com/michael-jackson/concerts/tournees/bad-tour/interview-de-christine-coco-decroix←このインタビューによると、彼女はクインシーのアドバイスで、マイケルのバッドツアーの皮切りとなった東京に訪れ、フューチャーされる運びとなったようです。彼女は、マイケルは非常に耳が良く即座に同じ発音をリピートでき、先に収録されたスペイン語バージョンと共に素晴らしいと述べていました。
マイケルのフランス語の喉を鳴らす「Rの発音」が素晴らしい~ですね♡
2012年発売の「Bad25周年記念盤」に収録。



◆What More Can I Give (Todo Para Ti)
マイケルの30周年コンサートの直後2001年911「同時多発テロ」発生直後9/17に被害者支援のためにWhat More Can I Giveのシングルを発売することを発表しました。しかし、マイケルとソニーの間でソニーウォーズと呼ばれる不和が激化し、2002年後半になっても当時のソニーのトミー・モトーラ会長によってリリースが拒まれ、未発表曲となりました。この時期隠密に行われていたのが、ダイアナ妃のドキュメンタリー番組を手掛けたマーティンバシールによるマイケルの密着取材でした。
これは2003年1/20イギリス・グラナダテレビ制作のマーティンバシールによるインタビュー番組「Living with Michael Jackson」として放映され、2/20これに対して不当を訴えたマイケル側からの反論番組「The Michael Jackson Interview: The Footage You Were Never Meant To See」が、そして、4/24アメリカFoxTVの2時間スペシャル番組「Michael Jackson's Private Home Movies」が発表されます。21世紀の幕開けと同時に、やがて、あの第二の児童性的虐待裁判へと向かっていく不穏な時期のことでした。
しかし、マイケルの元には、多くのアーティストが集まり、What More Can I Giveは、
異言語のスペイン語版も録音されました。
K. C. Porter(サンタナのSupernaturalでグラミー9部門受賞) のプロデユースの元、アメリカの音楽シーンで活躍するラテン系アーティストが結集したスペイン語バージョンです。
「Todo Para Ti」とは「日本語に訳すと[君のためにできる全て]という意味になります。
参加アーティスト一覧:
What More Can I Give (English version) produced by Michael Jackson
マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオン、ビリー・ギルマン、リーバ・マッキンタイヤ、アッシャー、マライア・キャリー、リッキー・マーティン、ビヨンセ・ノウルズ(デスティニーズ・チャイルド)、マイヤ、グロリア・エステファン、ルーサー・ヴァンドロス、ニック・カーター(バックストリート・ボーイズ)、アーロン・カーター、イン・シンク、タリア、アナスタシア、ショーン・ストックマン(ボーイズⅡメン)、マイケル・マッケリー(ボーイズⅡメン)、ジギー・マーリー、トム・ペティ、3LW、ブライアン・マックナイト、カルロス・サンタナ、ジョン・セカダ、シャキーラ、ブライトン、ハンソン

Todo Para Ti (Spanish version) produced by K.C. Porter
マイケル・ジャクソン、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリー、リッキー・マーティン、マイヤ、グロリア・エステファン、ルーサー・ヴァンドロス、イン・シンク、タリア、アナスタシア、ブライアン・マックナイト、カルロス・サンタナ、アレハンドロ・サンス、クリスチャン・カストロ、ジョン・セカダ、フリオ・イグレシアス、ジャン・ガブリエル、ルイス・ミゲル、
シャキーラ、ルベン・ブラデス、ラウラ・パウジーニ、ジョイ・エンリケス、オルガ・タニョン


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あらぁ~ まだもう少しあります~あせる
思った以上に大変なことに。。

長くなるので、
ここでいったん仕切り、次回につづきますおじぎ