目から鱗 ~魚のイエス | ☆Dancing the Dream ☆

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ずっと前から、「目から鱗」のこの「鱗」。

なぜ、鱗なんだろう~~??

気持ちわる~~ぅあせると思っていました。


聖書の「パウロの回心」の物語が

この諺の由来だということではありますが、

しかし・・なぜに、目を覆ったものが選りによって「鱗」なのでしょう???



「パウロの回心」の

新約聖書の使徒行伝9章の原文はこうなんですね。


At once something like fish scales fell from Saul's eyes,

and he was able to see again.

サウロの目から魚の鱗のようなものが落ちるやいなや、

彼は再び目が見えるようになった。


「パウロの回心」のストーリーのあらましは、だいたいこんな感じ・・


キリスト教徒を迫害していた熱心なユダヤ教徒のサウロ(パウロ)は、

「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか?」という

復活したイエスの声を聞いた。その後、目が見えなくなった。

アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈ると

サウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。

こうしてサウロはキリスト教徒となった。――


旧約聖書は、もともとヘブライ語、

新約聖書は、ギリシャ語で書かれてました。

多くの魚類や爬虫類の体表の一部を成している平たくて堅い小薄片。

律法は『水の中にいるもので、ひれと鱗のあるすべてのもの』は食物として

儀式上清いと定めていました。


水生動物でひれや鱗のないものは食べてはなりませんでした。

そのような動物は「忌み嫌うべきもの」だったのです。

レビ 11:9,10, 12; 申 14:9,10


したがって、

鱗(ヘブライ語==קשק カスカス・複数形カスカッスィーム)の有無は、

特定の魚を食べても良いかどうかを容易に見分けるしるしの一つでした。


「食べて良いもの」とは、「受け入れて良いもの」ということなのでしょうが、

「魚」とは、イエスを象徴するシンボルでしたね。

つまり、パウロの目を覆い、彼を盲目にしてしまった「鱗」とは、

「キリスト教徒を迫害するお前は、盲者も同然なのだよ」というような、

イエスのパウロに対するメッセージ(罰?)だったのかもしれませんね~あせる

初期の弾圧されたキリスト教徒が隠れシンボルとして用いたのが、
ichthys=イクトゥス(魚)です。


ichthys=イクトゥス(魚)


つまり、魚であるイエスは、

手裏剣のように鱗を繰り出して、

パウロの目玉に貼り付け、

目が見えなくなって窮地に陥ったパウロに、

キリスト教徒の祈りの術者を送り込んで、治してやり、

キリスト教徒に改宗させてしまった・・・


これは、手の込んだ「脅しと懐柔」作戦ではありませんかね?

「パウロの回心」は、「罠にはまったパウロ」でもあるのでは?


ユダヤ教徒のパウロが、

多くのキリスト教徒を処刑し弾圧していたのも暴力なら、

このやり口もまた、策略的、暴力的だと感じるのですが あせる叫び

いかがなもんでしょうか?