聖書の学び レビ記17-19章 神聖法集 「聖さ」の意味 | ester-chanのブログ

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 レビ記の17章から26章は、「神聖法集」と呼ばれる文章で、もともとあった文章が今の形に編集された時期は、後にイスラエルの民がカナンの地へ移り住み、国家が形成されましたが当時の大国に亡ぼされ、ユダ王国の民がバビロニア帝国に捕囚となった以降とされます。

 この法律の特徴はいくつかありますが、まず、「神聖法集」の由来ともいえる「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」(レビ19:2)の言葉が、これが神聖法集のメインテーマとされ、何度か出てきます。これは、神様がモーセを通してイスラエルの民に与えた律法を守るように示されている根拠が、かれらが聖なる神との契約を結び(出エジプト記24章)、神の民となったので、従って彼ら自身も聖なる神のおきてに従い、彼らの全生活を通して、神様の聖さの証人として生きることが求められるからだとされます。従って、ここで記される様々の宗教的、倫理的、経済的なことに関わる律法は、これから彼らが移住することになるカナンの地の人々の行う異教的風習に倣わないようにという(レビ18・2-3)、自身を分離するための法として記されています。

 聖書でいう「聖」とは神様に帰属する性質のもので、「隔絶していること」「分かたれていること」を意味するそうです。いわゆる「聖人君主」の「聖」とは異なります。神様は、人間や自然という神様の被造物とは全く異なる、隔絶した存在であり、たとえば他宗教のように、人が神になるとか、または神を人に似せたり、太陽を神として拝んだりということはあり得ないということが、隔絶されているということです。そして「聖なる」とは関係概念であり、聖なる神様と人が関係を持つことで初めて、人は聖なる者とされるので、神様との関係が失われれば人の聖性も失われます。

 具体的な法の内容としては、血を飲んではいけないこと(レビ17・10)、肉親(親族)の女性を犯してはならないこと(近親相姦の禁止、18・6-18)、自分の子を火の中を通らせてモレク神にささげてはならないこと(異教の祭儀の、子供を焼いて捧げるという恐ろしい儀式。18・21)等、これらはカナンの土地の慣習や宗教儀式でなされていたことで、神様はこれらを「いとうべきこと」とし、従ってはならないと禁止されます。また、倫理的な法としては、弱者の保護(在留異国人、障碍者)、不正な裁判や商取引の禁止、兄弟を憎んではならないこと、復讐しないで同胞を率直に戒めること等が19章に記されています。特にレビ記19・18「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」はイエス様が律法で最も重要な戒めとして言われた、二つ目の戒めとして引用された箇所です。一つ目は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」で、「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22・37-40)と言われました。

 つまり、神の民とされた人は神様を愛し、神様に従うので、自身が神様の聖性を保てるように、他の宗教や国の慣習でなされているいとうべきことから離れ、また、対人関係において誠実に対応する、つまり隣人を愛するということに纏められると、イエス様は言われています。キリストを信じる者は、どの国、どの地域においても、キリストの命によって自身の罪が赦され、新しい命に生きる者として、その生き方を神を愛し、隣人を愛するという二つの戒めに適った生活態度が求められます。しかし、それは不可能なことを強いられてするのではなく、神様の愛に対する個々人の感謝の応答として、またキリストに連なる教会という神の民として自ずと神様の愛に生きる生き方を求めていけば、心の内に住む聖霊によってさまざまな局面で助けられるという希望があり、幸いです。 (新共同訳聖書引用)