40日40夜、シナイ山で神様(主)がモーセと語っている間、山の麓にいる民はモーセがなかなか山から下りてこないので、不安になりました。そして、祭司であるアロンに、「我々に先だって進む神々を造ってください。…あのモーセがどうなってしまったのかわからないからです」と民は言い出しました。彼らは山に顕れた神様、目には見えないけれども、密雲と雷と稲妻の中から神様の声を聞き、十戒を受け畏れおののき、主の言われた言葉と法を守ると誓って主との契約を結んだばかりであるのに、その直後に十戒の1戒「わたしをおいてほかに神があってはならない」と2戒「あなたはいかなる像も造ってはならない」を破ってしまったのです。また、アロンはモーセから彼の不在の間、民を任されていたのに関わらず、なぜ「モーセは間もなく戻って来るから」と言って、民を励ましたり、または「私たちは主の戒めを守らなければならない」とたしなめることができないのでしょうか。民の圧力に負けてしまったのでしょう。そして、彼らの要求通りに、アロンは民から金のアクセサリーを集めて鋳型を作ってそこに金を流し込み、金の子牛の像を造り、「これが神々だ」といってそのまえに祭壇を築いて、神様にだけささげるべき捧げものの儀式を行いました。そこで「民は座って飲み食いし、立っては戯れた」(6節)とあるように、お祭り騒ぎだけでなく、「戯れた」というのは、当時の偶像崇拝には必ず不道徳な行為が伴っていたので淫らなことをしていた可能性もあり、するとつまり十戒の7戒「姦淫をしてはならない」も破ってしまっていたことになります。イスラエルの民は、エジプトから脱出する時に神様の力ある業を目の当たりにし、荒野の旅において奇跡的に水や食べ物(マナで日々養われ、シナイ山で神様が直接かれらに語られたことをこんなに早く、いとも簡単に、忘れてしまったのでしょうか。
そして、主はすぐに山にいるモーセに伝え「すぐに下山せよ」と言われます。そして、主はお怒りになり、彼らを滅ぼすと言われました。そしてモーセを通して新しい民を起こすとも。しかし、モーセは必死に滅ぼさないでくださいと懇願し、その根拠を主がイスラエルの族長アブラハム、イサク、イスラエルにした約束:子孫を増やし、土地を与えるを思い起こしてくださいと、神様が約束を守られる方であること、また神様の名誉(他の民もエジプトから主が民を連れ出したことを知っているので、滅ぼすために連れ出したととられてしまうと)に訴えたのです。そして、「主は…思い直された」(Ⅰ4節)とあります。モーセの執り成しの祈りが神様の心を動かしました。神様は人の思いも考慮してくださる方であります。
そして、モーセは主が与えた十戒が刻まれた2枚の石の板を持って山から下りてきました。そして、民が偶像崇拝と騒いでいる様子をみて、モーセの怒りが爆発しました。おそらく、山の上で神様に民のために執り成しをしていた時は、ここまで民が堕落しているとは想像していなかったのでしょう。あまりの怒りに、持参した主が戒めを記した石の板を投げ捨てて、山のふもとで壊してしまったとあります(19節)。そして金の子牛も破壊し、それを粉々にして水の上にばらまき、それをイスラエルの民に飲ませたとあります。この行為は、結局偶像という物は神々ではなく、破壊されて、人間の排泄物になってしまうようなものであることを示すとされます。そして、アロンに問いただすとアロンは責任転嫁し、民が頼んだから、金を投げたら子牛の像ができたと弁解、自分が鋳型を造って金を溶かして作成したのに嘘までつきました。
モーセは民の堕落の仕方があまりに酷いのを目の当たりにし、翌日、もう一度山に登って、主に願い、民の贖いをしようと決めました(30節)。「贖う」の意味はもともと、奴隷の人を買い戻して自由にすることや、身代金を払って捕らわれている人を解放することを意味します。そして、モーセは自分の命を引き換えにして、民を生かして下さるように、救おうとします。32節「もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください」とまで主に願いました。そして、主はモーセの祈りを聞き入れて、民をその場で滅ぼすことはせずに、「わたしの使いがあなたに先だって行く」(34)から、民を約束の地に導くようにとモーセに命じました。ただし、罪を犯した者をさばきの日に罰すると言われました。「裁きの日」とは、今ではなく、終末の時のことかと思われます。
モーセの命をかけた民のための執り成しは、ある方を指し示す型だとされます。それはイエス・キリストです。キリストもご自身は全く罪がない神の子であるのにかかわらず、人間の罪を贖うために、ご自身の命と引き換えに、全人間の罪が赦されるように十字架にかかられ、こう執り成されました「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないのです。」(ルカによる福音書23:34)。また十字架で死なれ3日後に復活され、天に戻り、神様の右の座にいて、今も、私たちのために執り成しをしていてくださります。(ローマの信徒への手紙8:34)