ester-chanのブログ

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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 私は20代の頃、なぜ「先進国」と「開発途上国」とに世界が分類され、後者において難民が飢餓に飢え、いくら食料等の支援を国際援助として投入しても、それらの諸国は社会・経済構造的に貧しいままであることに疑問を抱き、国際関係論を学び、この問題に取り組む機構で働きたいという志をもったことがありました。その頃、「ジュビリー2000」という運動が起こっていました。これは1990年代に国の重債務国を多く抱えるアフリカ諸国で、全アフリカ・キリスト教会協議会の呼びかけにより始まり、債権国に対しこれらの負債を2000年に帳消しにしてほしいという、主にキリスト教会を通して多くの国に広められた運動です。帳消しの根拠は、アフリカ諸国の重責債務を引き起こしている元植民地宗主国、先進国の経済的構造とされます。その結果、G8サミット参加各国はある程度の債務取り消しを行ったそうです。この運動の由来が旧約聖書のレビ記25章のヨベルの年です。

 ヨベルの年は、イスラエルの民とそこに寄留する人々も含めた人々の安息の年として、7年目に耕作の土地を休ませることから始まり、そしてその安息の年の7倍、つまり49年目の次の年、50年目を聖別し、全住民に解放の宣言をする年とし(25:10)、おのおのその先祖伝来の所有地に帰る、家族のもとに帰ることができると規定されています。毎50年目はすべての人の負債が帳消しにされ、奴隷にされた人々は解放され、売買された土地は無償で元の持ち主に返却されるという定めが記されています。これは神様が定めた安息の年であり、人々にも安息が与えられ、人間の経済活動によって生じる貧富の差が解消されるようになっています。このことは、そもそも土地は神様のものであり、イスラエルの民は神様のもので人がその管理を任されているということ(創世記1:28)、そして神様がすべての人の主人であるということが前提です。しかし、現代社会のように所有権という権利が保障されいてる限り、実行不可能な制度でしょう。

どうしたら貧富の差がなくなるのでしょうか。一つには、人が神様の愛を知って、それを受けて、自分自身が縛られているものや状況から解放されるという神様の救いを経験して初めて、皆で助け合う社会への一歩へと繋がるのではないでしょうか。個々人がイエス様による救いの恵みに感謝し、その応答として、自分が神様に良くして頂いたことを他者にもしていこうという思い、そもそも今持っている者はすべて神様から与えられているものだという意識があると、それが動機で、所有欲に縛られず、身近なところでの他者を助けるという隣人愛が可能となっていくのではないかと思います。では金持ちの人にはイエス様の福音を受けるのは困難なのでしょうか。いえ、福音は誰にでも良い知らせであります。

現代において、ヨベルの年の安息と解放のことは、神の御子イエス・キリストによって、実現されているからです。その安息と解放が個人的に自分のものとなるのはただ神様の愛を受けとること、つまり誰であっても、イエス様を通して私たちを救おうとして下さったその恵みを信じるだけです。神様がご自身の御子イエス様を犠牲にしてまで、すべての私たちの負い目、債務、罪、咎を代わりに十字架で負ってくれたからこそ、そのことを信じる私たちはそれらが赦され、解放されて永遠に自由になれます。なぜならイエス様が死から甦ることで、死に打ち勝ち、天に戻られて、私達も同様に、死の恐れから解放され、そしていつか復活するという希望が与えられるからです。自身も日常生活において、損になることがあっても聖霊により導かれ、寛容になれる心に内側の性質が変えられていきたいと願います。

「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。」レビ記25章10節   (新共同訳聖書 引用)