この章では神様とイスラエルの民の間の契約の締結の様子が記されています。まずモーセが「主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると」、民はそれを聞いて皆声を一つにして「わたしたちは、主が語られたすべての言葉を守ります。」(3節)と同意し、そして、モーセは主の言葉をすべて書き記したとあります。そして翌朝、モーセは山の麓に祭壇を築き、神様に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を捧げます(5節)。旧約時代では、神様は罪ある人間をこのような贖いの儀式により、神の民として受け入れ、神様との交わりを維持し、回復できるようにされました。祭司が神と民の間にたち、仲保者となって神様に動物や穀物を献げ物として祭壇で捧げる務めがあり、モーセは全焼の献げ物、和解の献げ物を捧げるように、民の中から若物たちを遣わして、執り行わせました(5節)。12の石の柱を12部族のために立てたとあり、創世記においても石の柱はしばしば契約の承認として立てられています。
次に、モーセは献げ物である雄牛の血を半分取って鉢に入れ、残りの半分を祭壇に振りかけて「契約の書」を取り、民に読んで聞かせたとあります。それを民は聞いて再び「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と宣言しています。最後にモーセは、鉢に入れた血を取り、民に振りかけて8節後半「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」と言いました。この「契約の血である」についてですが、先に血の半分を祭壇に振りかけたとあり、祭壇は神様の臨在を象徴しますので(20・24)神様に注いだことになり、残りを民に振りかけたということです。この契約の締結の完了を象徴するためにこの血の儀式があり、人間の罪の贖いに用いられるのは、「血は命であるゆえに、あがなうことができる」とレビ記17・11に記されていることが根拠となります。こうしてイスラエルは単なる血縁集団から主の礼拝共同体となり、契約の民となりました。その後、9-11節にモーセと祭司、長老たちが神様とともに食事をしたことが記されています。実際、神様の姿を見たかどうかが不明で、「御足の下にはサファイアの敷石のようなものがあり…」(10節)とだけ記され、その部分だけを見て食事をしていたのではないかと思われます。なぜなら、人は神様を見て生きてはいられないとあるからです(33・20)。古代の人々の契約締結の後にこのように、食事を共にするということが行われたことが記されています。
その後、神様は戒めを記した石の板を授けるから、山に登りなさいとモーセに命じ、彼は従者ヨシュアを連れて、雲で覆われたシナイ山に登り、そこに40日40夜いたと記されます。その間、モーセは25章以下に記される礼拝のための幕屋の建設について指示されて行きます。
(新共同訳聖書引用)