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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 レビ記13章では、「もし、皮膚に湿疹、斑点、疱疹が生じて、皮膚病の疑いがある場合」(13・2)と、人間の皮膚の疾患と衣服や家などの物にできるいわゆるカビ(13・47-58)に対する、その見極め方と、対処法について、それらを祭司が調べて、行うことが記されています。これが記された時代は、今から約3500年前、現代のように医学が発達していない社会で、病原菌の検査方法もない時代、それらの感染が共同体全体を脅かすゆえに、この神への「清さ」を保つための規定が、同時に感染拡大を防いでいたことも読み取れます。感染性のある皮膚病の症状の場合は、それを見極めるために、祭司は目視と、週単位で経過観察の期間を置き、治ったら日常生活に戻れるけれども、重い皮膚病(いわゆるハンセン氏病など)と判定された場合は、共同体から隔離されて住まなければならないとされます(13・46)。14章はその思い皮膚病等が治った場合の清めの儀式と、カビが発生した家屋についての処置がしるされています。

 14章は男女の性器からの漏出(女性の生理およびそれ以外の病的失血等を含む)があった場合の対処についてが記されています。これらが生じた状態は「汚れている」とされ、水で洗浄し、一定期間接触を避けるなど、それらが終われば「清い」とされ、日常生活の戻れるという内容です。これらも、感染性のある体液、血液に触れると、共同体全体にその病気が感染してしまわないようにという、水も河や井戸水の水源しかない、薬も存在しない時代の対応にかなっていることを見ることができます。特に、男女の性器の清浄に対して細かく規定されているのは、新しい命を産む出す器官であり、それが神の創造の秩序を維持することであるからと考えられます。

レビ記では、「清いもの」と「汚れたもの」の判別、そして人がなんらかの理由で汚れたとされた場合は、清めの期間、つまり時間をおいて治癒もしくは症状がおさまったことを祭司が判定した後、必ず供物をささげて、贖いの儀式を行うように規定されています。彼らの普通の日常生活においては、常にこれらの贖いの儀式が組み込まれ、それはつまり神様との関係を正しく保つためにその都度行われていることがわかります。

 新約聖書の記事によるとイエス様は、医学も未発達で薬もなく、自然に治癒されない病気や障害を持ち、苦しんでいた大勢の人々を、彼らに触れたり、また遠隔で言葉だけ発することにより神の力で癒されました。ある時、12年間失血に苦しむ女性(生理以外の不正失血)がいて、イエス様はその女性を癒されました。このレビ記によると人との接触を禁じられていた女性がどうやって癒されたかというと、その女性はこっそりと、群衆に囲まれていたイエス様の「洋服の房に触れれば治る」という信仰を持って、掟を破って外に出てその房に触れ、その瞬間血が止まったことを体に感じたのです。イエス様はご自身の内から力が出たことを認識し、「わたしの服に触れたのは誰か?」と群衆に尋ねると、女性は恐る恐る自分に起こったことを告白します。するとイエスさまは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われました(マルコによる福音書5章25-34節)。神様の聖さという観点で、神の民とされたイスラエルの共同体は神様から与えられた律法を守って、自分たちを清く保たねばならないという原則はありますが、イエス様はそれよりも、彼女の命が助かることを優先されました。レビ記で規定されている律法を守ることばかりを重視し、現代においてさえも「聖書にこう書いてあるのだから」と他者を断罪してしまうと、そもそも神様が人間を愛するために創られたこと、その愛を見失ってしまうと、形骸化した宗教儀式に基づく命のない生き方となってしまうのではないでしょうか。