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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

  彼の目から、喜びと嬉しさの涙が流れていました。

 先日、80歳代の方の洗礼式が行われました。その方が信仰を持つようになったきっかけは、約50年前に当時7歳だった長女が脳腫瘍で天に召されたことでした。娘さんは他県のある教会付属の幼稚園の園児だったので、病床で洗礼を受け、その教会で葬儀が行われ、それ以来毎年教会で行われる召天者記念礼拝などを通して、ご家族は教会と共に娘さんを偲び、教会と交流を保ってきたそうです。折しも、この2ケ月前に急に彼はお連れ合いを亡くし、失意の中において、彼はキリストを信じたいと決心するに至ったと証され、益子教会の礼拝にも何度か参加されていました。彼は初めは、「神様を信じて、娘と一緒の天国に入りたい」という思いでしたが、教会の礼拝で聖書の話を聞いているうちに、「限られた残る日々はキリストを信じて教会の礼拝に行こう」と言われるようになり、よく席でも祈っておられました。実はご本人も、癌の末期という状態にあり、「洗礼予定日まで持つかなあ」と不安をもらしていたのですが、先週末発熱し、状態が悪化したため、緊急に自宅で3女さんと私たちとで洗礼式を行うことになりました。彼は洗礼を受けられることが嬉しくて嬉しくてと涙を始終流しておられました。そして洗礼式が終わると、ベットに座ることができ、初めての聖餐式を共に受けると、涙は笑顔へと変わりました。「お父さん、なんか顔が変わったよ!すがすがしい感じになった」と3女さんも驚いていました。「これで、わたしもキリスト者になった!嬉しい!皆さんにも私のことを言ってください!」とご本人。

 イエス様は十字架にかかられる前に、弟子たちに下記の言葉を言われました。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」麦一粒は、地にまかれなければ一粒のままです。しかし、地に蒔かれて、麦の皮が破られて、新しい命が芽をだす、そして葉がなり、幹がのび、いくつもの麦の穂が育っていくことをイエス様は「一粒の麦:一人の死」と「多くの実:多くの新しい命」に譬えられたのです。この一粒はイエス様ご自身の十字架の死を指し、それによって多くの人が永遠の命を得ることを示しています。さらに、一粒の麦から実った多くの麦の一粒一粒が、次の作物のための種となります。種がその中に命を持つように、神様の命も次の命へと、神様の不思議な技はキリストを信じる者へと末広がりになされていくことでしょう。

 この7歳だった娘さんも一粒の麦になられたと言えるのではないでしょうか。彼女の命がご家族へと、永遠の命へと受け継がれていったからです。また、一粒の麦は、必ずしも死ぬことだけで、他者へ影響を及ぼすケースに限らず、生きている方を通しても、この御言葉により影響を及ぼします。なぜなら神の言葉に力があり、それを受けた人は変えられるからです。ロシアの小説家ドフトエスキーは「カラマーゾフの兄弟」の著者ですが、彼はその小説の序文(見返し部分)にこの聖書の箇所「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままであるが、死ねば多くの実を結ぶ。」を記しています。彼は、この小説を通して神様、イエス様の与える命について多くの人に伝えたかったのでしょう。そして、多くの方がその人生において、この聖書の言葉より影響を受けると察します。聖路加国際病院の故日野原重明医師もその一人です。

 イエス様の与える永遠の命は、イエス様を信じた時から与えられて、この肉体の命が終わっても続く霊的な命であり、ついには新しい体へと復活し、天国で永遠に神様と生きる命であることが、聖書に記されています。キリスト者はその永遠の命の希望によって生かされています。

 

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」     ヨハネによる福音書12章24節

             (新共同訳聖書引用)