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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 この箇所では、引き続き神様がモーセを通してイスラエルの民に与えられた十戒を基盤にした細かい社会生活に関する法が記されています。1節以下は盗みと財産の保管に関してです。他者の所有物を盗んだ場合、例えば一頭の牛、一頭の羊を盗んだことに対し、5頭の牛、4頭の羊で賠償すること、もしその盗んだ人が賠償する物を何も持っていない場合、自分を身売りしなければならない(3節)とこれも厳しい処罰ですが、自分がしたことの責任を労働力でもって償うということ、6年奴隷として働いたら解放されるという法については前章で述べた通りです。失火による他者の畑の損害、預けたり貸したりしたものの損害に対する定めも細かに記されています。保管を頼まれていた人が、預かっていた物がなくなり、無実を証明する場合は、神様の前に出て無罪を主張するようにと記されています。また借りていた物、預かっていた物が棄損されたらそれに対する賠償責任が定められてます。

 現代では結婚は当人同士の問題ですが、古代は結婚は各々の家族から離されて、新しく夫婦となることを神の前に誓う神が定めて制度とみなされるがゆえに(創世記2・25)、何の正当とされる理由もなく、結婚を軽んじたり、結婚する予定もないのに誘惑して性的関係を男女が持つことに対しては厳しい罰が定められています。現代では、そのような法律はないですが、倫理的に聖書に記される原則を理解して、守ろうとする人が果たしてどれだけいるでしょうか。

 神様の法律は弱者を守る制度です。22-34節は、夫に先立たれた寡婦(当時の社会は女性が仕事をもって家計を養えることは難しく、夫に先立たれると生活に困窮)、みなしご(親がいない子ども達)を養うこと、共同体内の経済的困窮者には利息なしでお金を貸すようにという法が記されています。現代は福祉制度が発展し、行政が生活困窮者や子どもを保護する福祉保障がありますが、それでも、このような人々を拾いきれない、つまり保護を受けられない人々がいて、一部の民間団体が支援を行っているのが現状です。聖書の神様は、行政でなく、福祉は地域の共同体がすることとして、弱者を守るというのが特徴としてあります。なぜなら神様が「もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。憐れみ深いからである。」(26節)神様は困った人が神様に叫ぶ声、その声を聞いて、他の人を通して神様の憐れみ深さを示そうとされるからです。

 28-31節は宗教上のいくつかの義務が記されます。なぜならこの法は、神様が与えた法ですから、神様を信じることが第一前提であり、よって神様を呪ったり、神から権威を与えられているとされる代表者を呪うことの禁止、初物を神様に捧げること、そして「わたしに属する聖なる者」と、神の民として分けられている者として野外で噛み殺された肉を食べてはならない(30節)と記されています。人が法律を守る動機が、法で罰せられるから仕方なく守る、だから密かに違反するというのでは意味がありません。神様と自分たちとの関係(神の民であり、神に畏れ従うこと)を前提として、人間関係にとって何を尊ぶのか、してはならないのかと神様を畏れる心で、「神様がわたしたちの平和のことを考えて、この定めに、法律を与えたのだから、それに従おう」という動機が大切なのかと思います。それなしに、人間の道徳観だけで、法治国家が健全な社会を維持し、秩序を保てるかという問に対しては、残念ながら現代のニュースを見ればわかることではないでしょうか。  (新共同訳聖書引用)