神様は再びモーセに石の板2枚を持って山に登るように言われました。モーセが民に怒って砕いてしまった十戒が記された2枚の板を、神様が再び書き記してくださるためです。モーセの必死の民のために執り成しのゆえに、神様は民により早速破られた契約を破棄なさらず、更新して下さることになりました(10節)。それは、神様のご性質が「憐れみ深く、恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪とそむきと過ちを赦す。」方であり、また「罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代まで問う」方だ、と神ご自身がモーセにおっしゃっていることによります(6-7節)。
10節以下の守るべき命令12項目が主なる神様により言い渡されました。これらの命令はすでに与えられた十戒や契約の書の内容(出20・22~23・19)が簡略化されたものだとされます。偶像崇拝・偶像作成の禁止と、カナンの先住民と契約をしない、その民と結婚しないこと(カナンの偶像崇拝の影響を受ける為)、安息日を守ること、3大祭り(過越祭、七週の祭、収穫祭)の開催、初穂の最上の物を主に捧げること等で、これらのことばをモーセに書き記すように神様は命じられました。モーセは山に再び40日間留まりましたが、前回の教訓より民はモーセを待つことが出来ました。そして、モーセは2枚のあかしの板(2枚の十戒が記された石板)を持って山から下りてきました。
すると、モーセの顔が輝いていたのです。神様と語っている間に神様の栄光を受けて、その余韻が残っていたからでした。民は恐れて最初は近づけなかったのですが、アロンと民の代表がまず近づき、そしてイスラエルに人が皆モーセの方へ近づくことができ、そこでモーセは神様が語られた命令をすべて民に語りました。そして、モーセは自分の顔に覆いをかけたとあります(34節)。
しかしこの顔の光は持続するものではなかったようです。モーセが神様と語るとその直後はモーセの顔が光っていましたが、しばらくすると消えていくのです。モーセはこの日以来、いつも民の前では覆いを掛けていたとあり、神様と語る時にはその覆いを外したとあります(34節)。
この覆いの意味は、新約聖書でその霊的意味をパウロにより解説されています(コリントⅡ 3・6-18)。現代でこの覆いとは、キリスト信じる前の状態を、つまり覆いがかかっていて神様の真理が見えない、理解できないということを意味しているとされます。そして、キリストを救い主として信じた時、この覆いは取り外され、聖霊がその人の内に与えられ、自分自身の内側がキリストの似姿に変えられて行くとパウロは記しています。そして、将来天国においては、神様の栄光を目の当たりにできる、直接見れる新しい体(復活の体)が与えられることでしょう。人は、主なる神に向くことにより、信仰が与えられ、覆いが取り除かれ、イエス様の光の中を歩むことができる、そのことがすでに、モーセのこの出来事を通して予め記されています。