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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 この章には神様がモーセを通して古代イスラエルの民に与えた法律集(契約の書)として、定めと命令が記されています。一節で「以下は。あなたが彼らに示すべき法である。」と、十戒で示された基本的原則を実生活に適用させた細かい法です。聖書はその時代の社会制度に沿った、社会生活において、他者の命を奪った場合、他者の所有する者を奪った者に対する賠償が「こういう場合には」と条件に応じて賠償されるべき内容を記し、基本的には命に対しては命、つまり死罪を定め、またその他の死罪に値する罪について、物による賠償、当時の他国の法典(例えばハムラビ法典)に類似する同外報復的定め「目には目をなど」も記されています(23-25節)。このような社会生活に関する定めは律法と呼ばれます。人は法がなければ無秩序な社会を造り出してしまうため、古代からどこの地域でも「法」のようなものは人間が定めてきましたが、イスラエルの民の法や戒めがとりわけ特別であるのは、人間ではなく、神様がモーセを通して、戒めと法を与え、その内容が民に示し、民のほうでも「守ります」と同意し、神様と民がそのことを契約したという形式をとり(24・7)、他では見られないからです。十戒と、それに基づくこの細かい戒めや法が記される「契約の書」(20・22~23・19)は、重要な法律集として、長い時代をへて今の形になってまとめられたとされます。神様との契約は、イスラエルの民にとって非常に重要なことであり、また彼らのアイデンティティ:神の民であることに関わることだからです。

 最初に記されて法が奴隷についてですが、もちろん、今の時代奴隷制度は人権的には許されざるべきことですが、奴隷制度は古代より人間が作り出した制度であり、神様が平等に創られた人間を人間が所有するという悪に基づく制度です。しかしながら、この法は古代という時代を反映していて、その状況での社会生活における定めなので、神様は当時の古代社会にそった社会生活でのあるべき法を、神様のご意思に基づき、神の民として守るべきこととしての法をイスラエルの民に与えています。

神様がイスラエルの民に与えた内容は、他国の奴隷制度が非人間的扱いであったことと一線を画し、奴隷の人格が尊重されていることが分かります。週に一度安息日には、奴隷も仕事をしないで休むこと、6年主人のもとで働いたら、7年目は自由の身として去ることが出来たこと(21・2)、立場の弱い女性奴隷についてはさらに保護が加えられています。奴隷に対して身体の損傷をあたえたら、自由の身にして去らせなければならないと、奴隷であっても大切にしなければならないと意図がこの法に読み取れます。当時の他国の奴隷の扱いは、主人が暴力でもって奴隷を扱い、自身の所有物として死なせても許されていた時代で、家畜以下並みの扱いだったことからすると、神様は同じ人として、奴隷に非常に人道的配慮がなされていたことが読み取れます(20-21, 26-27節)。

次に12節からは死罪に値する罪として、ここでは命の大切さを根拠に、故意の殺人は「命には命」つまり死罪、そして過失殺人の場合は家族を殺された近親からの殺されそうになるので、後に「逃れの町」と呼ばれる、神様が定められた避難する場所に留まることが出来るとあります。また十戒で「父と母を敬え」に基づき、両親を呪った場合でも死刑と定められるほど、厳しい処罰が記されます。日本でも以前の刑法には「尊属罪」という、親を殺した場合、通常の殺人罪より厳しい刑が定められていました。誘拐罪も死刑が処せられるとあります。だからといって、現代の死刑制度を認めるかどうかについては、別の議論となります。人が他者の命を奪うということが、神様の造られた人間の命を奪うという意味で、してはならないことであるという原則に立つと、たとえ死刑が聖書に記してあるからとか、社会制度的に死刑や戦争での殺人が認められているとしても、私は人が人の命を奪えないと考ます。なぜなら、イエス様は律法で、死罪に当たる罪を犯した女性に、「これからは、もう罪は犯してはならない」と言いましたが、死罪の罪に定めなかったからです(ヨハネによる福音書8・3-11)。その女性の罪も、またすべての人類の犯した罪も、イエス様が十字架で代わりにおって処罰されて死なれたので、このイエス様の十字架の救いの業を信じる者を誰も罪に定めることができないからです(ローマの信徒への手紙8・34)。

 18節以下は身体の損害に関する法で、興味深いのは現代の「損害賠償」が、西洋キリスト教社会を経て日本の現代の法律に受け継がれているところがあり、相手をけがさせて、働けなかった期間の分の保障を要求できること、また所有している牛が他者の牛をついて死なせた場合、牛が人を死なせた場合の損害賠償なども記されています。井戸の蓋が開いていて、家畜がその井戸に落ちた場合、井戸の持ち主は賠償責任があるという、所有している人は他者に害を与えないよう管理責任を問われることも記されています(33-36節)。次章でも法が続いて記されていますが、基本的に神様の与える法は、人道的、倫理的、弱者保護の観点が盛り込まれているといえるでしょう。