ester-chanのブログ -5ページ目

ester-chanのブログ

聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 モーセはファラオがますますイスラエルの人々を重労働で苦しめられているのを神様に訴えました。それに対し、神様は多くの励ましの言葉を与えられます。まず、ご自身が「主」という名であることをここで最初に自己紹介されます。「主」とは主人の主であり、神様がすべての者の支配者、また主人であること、よって神はご自身に徹底的に信頼し、また依存することを望まれました。

 また「わたしは主である」が2節と8節に記され、その間に神様が、イスラエルの民をエジプトから連れ出し、労働から救い出し、贖いだす:奴隷となっている民をエジプトから買い戻し、神のもの、神の民とする、そして、彼らの先祖に与えると約束した土地に導き、その土地を所有として与えると断言されます。これは、「わたしは主である」という言葉を単に自己紹介的に記していること以上に、法の布告に際に権威者が自己の名を刻んだ「印象」を押して確約するという機能があるとされます*。

 しかし、主が言われたことをそのままモーセが民に伝えても、彼らは激しい重労働のため意欲を失い、モーセの言うことを聞こうとしません(10節)。モーセは、イスラエルの人々さえ彼の言うことに耳をかさないのに、自分のような唇に割礼のない者(「無能」という意味)がファラオに「国から去らせろ」と説得しても、聞いてくれないだろうと主に2度訴えます(12節、36節)。これはモーセがかなり落胆している様子を強調しているかのように記されています。

 また6章では14-27節でモーセとアロンの系図が記されています。これは神様に指導者として選ばれた二人が、イスラエルの12部族の一つレビ族の家系であることを記すためだとされます。

 私たちも試練や逆境において神様に委ね、祈っていても、状況が一行に好転しない、変わらないままの時期があるかもしれません。それでも、神様がモーセを何度も励ましたこと、また約束されたことを必ず実行してくださる方であることを思いだし、神様の助けと計らいを待ち望みたいと思います。次章から展開される神様の大いなる業が記されるように、私たちの人生にも神様は必ず働かれると信じて。

 

*大野惠三、「旧約聖書入門3」、新教出版社、2019、p81-82参照