イスラエルの民はモーセと一緒に、神様がいわゆる「十戒」と呼ばれる10の言葉を告げられるのを聞きました。これが「十戒」と呼ばれているのは、他の書簡でそう書かれていることによります(申命記5章6-21節の内容を指して、「主は契約を告げ示し、あなたたちがおこなうべきことを命じられた。それが十戒である。」申命記4章13節)。
十戒の根本的土台が2節「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。」という、神の自己顕示の言葉です。「わたしはあなたの神」という言葉は、神が人間との人格的関係「あなたーわたし」を持つことを意味します。人は神の前に立って、向き合わされて、真に人間としての道を示され、それを歩んで行く存在となります。10の戒めは、ユダヤ教と各キリスト教宗派ではカウントの仕方が多少異なりますが、下記がキリスト教のプロテスタントの表記となります。
第1戒 他の神を拝ではならない 第2戒 いかなる像を作ってはならない 第3戒 神の名をみだりにとなえてはならない 第4戒 安息日を守りなさい 第5戒 父と母を敬いなさい 第6戒 殺してはならない 第7戒 姦淫してはならない 第8戒 盗んではならない 第9戒 隣人に関して偽証してはならない 第10戒 隣人の家(隣人の妻、その他一切の所有物)を欲してはならない
第一から四までは、神に関する戒めで、第五から十が人間関係に関する戒めですが、第五の「父と母を敬え」は、親は神から子を任命に預かり、ゆえに子は親を神の代理者として敬愛するべきという戒めと見ると、神に関する戒めとの捉え方もあります。聖書の十戒の特徴は、まず神顕現を土台とし、第一から五戒の戒めを守ることで神との関係を人が保持した上で、残りの人間関係に関する戒めを人間の基本的なあり方として命じているところです。もし現代の生活で、この第5から10の戒めを人々が守ろうとしていたら、世界はこんなにたくさんの家庭内での争いや、社会での犯罪、国家間の戦争も起きることはないのではないでしょうか。なぜこれらの人間間の戒めを人が守れないかというと、神との間の戒めが守られていないからと言えます。人類史上、人々が平和を求めても、常に戦争や争いがあり、平和の実現はなかなか困難であることは歴史をみれば自明であります。十戒は、人間を創造した神が人として正しく生きるられるようにと、与えた戒めであり、その前提が創造してくださった神を神として信じ、畏れることとなります。
神の御子であるイエス・キリストが、十戒を含むたくさんの戒めの中で最も重要なものは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」の二つと言われました(マルコによる福音書12章29-30節)。神を愛する、つまり神を信じて従うことなしに、自分の周りの隣人を愛することは出来ないですし、そしてこの十戒を完全に守ることができる人間はいないのです。戒めが与えられた目的の一つは、人間がこの戒めを守れない者であることを自覚させるためであり、守れなくて限界に行きつき、助けを神に求める時、イエス・キリストが救い主として、その人に示されるためでしょう。
(新共同訳聖書引用)