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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 モーセとアロンは、エジプトの王ファラオのもとに出かけて行き、「わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい。」とダイレクトにイスラエルの神、主が命じたことを伝えました。もちろん、ファラオは「主など私は知らない、なぜその命令に従わなければならないのか?」と一笑にふします。ファラオはエジプトでは神であり、自分より上の神の存在、ましてや奴隷のヘブライ人の神など問題外で、聴く耳を持ちませんでした。さらに、ファラオはこれ以降、イスラエル人にこれまで以上の労役をかします。当時エジプトのピラミッドのためのレンガ作りを奴隷にさせていたと考えられます。そのレンガをつくるのにわらが必要で、今まではエジプト人がわらを与え、それをもとに一日に作成するレンガの量が課せられていましたが、そのわらさえも自分たちで調達して、同じ量を作れと命じたのです。物理的に、藁を集める人が必要となるため、レンガの作成の人員がその分減らされることになり、目標のレンガ数に達しません。そこで、イスラエルの人々はファラオに訴えると、そしてこの過酷な要求がモーセとアロンの要求によるものだと知り、彼らを責めます。「あなたたちのお陰で、我々を殺す剣を彼らに渡したのと同じです。」モーセはこの後も、出エジプト後もこの民に何度も、「私たちを殺すためにエジプトから連れ出したのか?」と何度も不平を言われることになります(出エジプト記14:11,16:3他)。彼らには、先祖が信じてきた神への信仰が根付いていないからです。

 そこでモーセは主に訴えます。「わが主よ、あなたはなぜ、この民に災いを下されるのですか、わたしを遣わされたのは、一体なぜですか」(22節)その問いに対し、主は「わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる」(6:1)と言われ、神がすでにモーセに告げられた計画は、必ず実現することを再確認されました。

 以前のモーセなら、再び逃げ出していたかもしれません。40年前に同胞を救おうとして、同胞から背を向けられ、ミデヤンの荒野に逃げたように。しかし今のモーセは時の経過とともに謙遜となり、主なる神から直接召命を受け、幾度も「わたしが共にいる」と励まされ、不思議なしるしも示され、彼はもはや自分の意思や計画で行動しているのではなく、主なる神がモーセを遣わしていること、また主なる神が大いなる業を行い、エジプトから脱出させるという約束を事前に聞いています。ですから、モーセは事態の進展がたとえスムーズにいかなくとも、すべて神のみ手にあることを信じ、その信仰の上で、神に訴えていることが分かります。

 現代に生きる私たちも、生きている上で信仰が試される様々な逆境、困難、妨害などが起こるでしょう。そこで、今自分がしていることが自分の考えで行っているのか、それとも神に相談し、神から導かれて行っているのかで、その対応の姿勢が変わって来ると思います。神に祈って、信仰で踏み出したことであれば、ことがうまくいかない、それどころかかえって事態が悪くなろうとも、神に現状を訴えつつ、神が責任を持って下さるからという安心感が与えられるのではないでしょうか。

 「主にまかせよう」と丸投げしてよいのです。私たちは、ただ、主から示されたこと、現在の仕事、職務、伝道活動、子育て、何であれ、主に助けを求めてよいのです。「どうしてですか?」と訴えてよいのです。神様を知らずに自分の力で生きている人でさえも、逆境を耐え忍び、チャンスが来るまで待つ人がいます。ましてや、信仰が与えられて、神様に任せて、同じ逆境を主に訴えながら耐え忍べることはなんと心強く、幸いでしょうか。主は必ず祈りに答えて下さることを、過去の自らの体験により知り、また聖書に示される信仰の先輩たちの証しにより、更に神様への信頼関係が強められ、励まされて前進していきたいと願います。