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聖書を読んで示されたことを記しています。礼拝でしたメッセージや聖書の学びの内容も載せています。

 

 エジプトを出てからちょうど3ケ月目に、イスラエルの民はシナイ(現代のシナイ半島とされる)の荒れ野の山の麓に宿営しました。この山はいわゆる「シナイ山」と呼ばれ、イスラエルの民にとって重要な場所となります。モーセがその山に登ると、神様は山からモーセに、イスラエルの人々にこのように言うようにと、語り掛けられました。ここで、神様は民と契約を結ぶことを提案します。聖書で示される神様は、全知全能の神、すべての創造主である神ですが、人間の理解のレベルに合わせて人間と約束を交わそうとする、人格的な神様です。通常契約には双方の条件が記されますが、この「シナイ契約」では人間が守るべき条項は「もしわたしの声に聴き従い わたしの契約を守るならば」(5節)であります。それに対して神様は「あなたたちはすべての民の間にあって わたしの宝となる。…あなたたちは わたしにとって 祭司の王国、聖なる国民となる」(5-6節)が人間に対する神様の保証する三つの特権が記されています。3つの特権とは①「わたしの宝」とは、神様にとって大切な、価値があるとみなされる民であること、②「祭司*の王国」とは、神様と他の諸民族との間の仲介的役割を持つ国となるということ、そして③「聖なる国民」とは、身分の上で、神様のために特別にきよめ分かたれた国民にされることを意味します。

 また、神様は一方的に契約を強制される方でないことがわかります。モーセを通して、この契約を結ぶかどうか民の意思を確認されます。神は、契約を結ぶためには、イスラエルの民が喜んで神に聞き従うかどうかという従順さと、この契約を結びたい望むかどうかを確かめられています。それに対して、「民は皆、一斉に答えて、『わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います』と言った。」(8節)と応答しました。

その上で、神様は民にご自身を山の上で現わそうとなされます。しかし、山のふもとに境界線を設け、ここまでしか近づいていはならないとして、モーセだけ山に登らせ、もう一度民が神様を見ようとして越境し、多くの者が命を失うことのないようにと警告されました。実に、神が顕現される様は、シナイ山がまるで燃えているかのように、煙が立ち上がり、山全体が激しく震え、角笛の音が鳴り響きとあり、それを目の当たりにした民は恐ろしかったのでしょう、「民は皆、震えた。」(16節)と記されています。またモーセが神様に語り掛けると、雷鳴を持って答えられたとあるほどです。おそらく神様は、私たち人間が肉眼で直視できないような姿であり、その声も聴き分けられないような音のような存在なのかもしれません。それでも、神様は私たち人間が把握できる、理解できるレベルまで降りてきてくださる、やさしい方だなと思わされます。その究極が、神の御子イエス様を人として生まれさせて、私たちと同じ人間の身体になられて、私たちに神様がどれほど人間を救おうとされ、愛そうとされているかを目に見える、耳で聴こえる、手で触れられる形で示して下さいました。そして、イエス・キリストを神様が送られた救い主と信じる者に聖霊を送って下さり、その信仰を維持し、もっと神様を知ることができるように心の内側の性質を変えてくださるように、新しい命で生きる道も用意してしてくださいました。そして、キリストを信じる者に対しても、イスラエルの民に契約されたと同じこと「あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。」(ペトロの手紙2章9節)であるとされ、神の民として生きるようにとの勧めが新約聖書に記されています。

 神に選ばれるとは、神の目的が伴うということを忘れてはならないと思います。イスラエルの民の「選民」という思想において、なぜ特別に神に選ばれたかという神様の目的があるからです。つまり、イスラエの民族は、彼らを通して、真の神様を他の民族に宣べ伝える使命のために、神様を世界に顕わすために選ばれていますし、キリスト者も同様です。そのことを実際にしているかどうかが問われますが、少なくとも、神様の愛のご性質を表す、神様が与えた戒めの一番重要なこと御子イエス様が言われたように「敵を愛しなさい」「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」を、個々人として、共同体として、国として問われるのではないでしょうか。

(新共同訳聖書引用)

*祭司とは、神と人との間に立って仲立ちをし、民のために執り成しの祈りや、神様との関係の修復のための必要な祭儀を行う役割があります。